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はちみつを床に、短剣を手に。

「素晴らしい概要に聞こえるが、できるのか?」


 サジェッツァが滔々と聞いてきた。目は明るくも昏くも無い。


「此処をどこだとお考えですか?」


 サジェッツァに返しながらも、エスピラは声を拡散するように周囲に意識をやった。



「此処は元老院。その議場。アレッシアの中心たる場所。アレッシアの中でも神聖でないといけない場所です。


 そこで嘘を吐く? ウェラテヌスの当主が? 建国五門が一つであり、父祖が多くを捧げ、尽くしてきた家門が? この場を穢す?


 確かに、アスピデアウスも歴史上一人になったことがあります。継ぐべき男子を残し、家門の者全員が散ったことも。ですが、最も少ないのは、最も多くを捧げてきたのはウェラテヌスだ。今のウェラテヌスは、成人男子は私一人。男子をとってもカリヨが加わるだけ。


 今も、昔も。ウェラテヌスはアレッシアを重んじて来たのだ!


 もう一度聞きましょう。アスピデアウスの当主よ。

 先の言葉、今一度言えますか? 父祖と、神々の前で。もう一度吐けますか?」



 サジェッツァの目が僅かに大きく開かれたように見えた。

 体は動かない。否。やや肩が広がったか。


「父祖の献身が」

「黙れ」


 エスピラは、顔を向けずに声のした方に言葉をぶつけた。


「貴様には聞いていない。ウェラテヌスの当主が、アスピデアウスの当主に問うているのだ。アスピデアウスに連なる貴様は黙っていろ。不快だ」

「わか」

「つまみだせ」


 男の次の叫びは、サジェッツァの冷たい声によってちぎられた。

 男は呆然とした空気を出したあと、何やら言い始めたが、その声も遠くなっていく。


 エスピラは連れ去れて議場を去る間際の男を一瞥すると、強い視線のままサジェッツァに目を向けた。


「ルカッチャーノ・タルキウスを派遣したのは、既に執政官を奪う気だからでは無いのか?」


 そのサジェッツァが淡々と言う。


「父を想う子を快く送り出しただけです。当然、優秀な人材だからこそ助言もする。普通のことではありませんか? 誰もがする。しないのは、ルカッチャーノかスーペル様、つまりはタルキウスに死んで欲しい者だけだと思いますが、何か間違っているでしょうか?」


「ルカッチャーノ・タルキウスは青く染めたペリースを羽織り、体の左半身を隠して乗り込んだそうだな」


「個人の服装にとやかく言うことは無いでしょう。特にルカッチャーノは顔が覚えられているわけではありませんので。明らかな特徴があった方が合流もしやすいのは、誰でも分かる理屈だと思っていましたが、いつの間にか元老院では意味合いが変わっていたのでしょうか?」


「ヴィンド・ニベヌレスは赤いペリースで左半身を隠しているらしいな」


「気になるなら本人に聞くのが一番でしょう? 私が全ての答えを持っているのなら、もっと早くにカルド島に乗り込み、無駄な死者を出さずに終わらせておりましたから」


 エスピラもサジェッツァも、殴り合っていた口を止めた。

 真っ直ぐやってくるサジェッツァの視線をエスピラは睨んで押し返す。


 サジェッツァが、目を、閉じた。


 少しだけ瞼に力が入るような間があってから、サジェッツァの目が開く。強く真っ直ぐにエスピラを見据えて。


「私のトガの中には短剣とはちみつが入っている。どちらが良い?」


 マシディリの方から衣擦れの音がした。


「ならば短剣を。はちみつでは、ハフモニと戦えませんから」


 されど、エスピラはマシディリにそれ以上の意識を向けず、即答する。

 サジェッツァの発言でざわめいていたのは議場も一緒。エスピラの返しで、その声は大きくなり、そして黙っていた者にも広がった。


「邪推をしようと思えば幾らでもできる」


 その中で、エスピラが郎、とした声を出せば徐々にざわめきは収まっていった。

 十分に聴衆の集中が自分に来たことを肌で確認しながら、エスピラは続ける。


「第一、アスピデアウスの当主が居る会合で私の三年以上にわたるエリポス行が決まったのは事実だ。別のアスピデアウスが、邪な欲望を露わにしたのもまた事実」


 ウェラテヌスに対する謝罪や釈明は今日まで無い。

 黙っていると言う約束も、短剣を選んだ以上もう意味が無い。


「そのことを考慮すれば、私がアレッシアに家族を残さない以上、私を遠くにやることに意味が無いから反対しているとも推測できる」


「失礼な」


 また別の男が口を挟んできた。


「話の途中だぞ。随分と行儀が悪いな。落ちたのは一つだけでは無かったか?」


 エスピラは、その男では無くサジェッツァを睨んだ。

 サジェッツァが手で男に座るようにと示す。


「邪推だと最初に述べたでしょう?」


 エスピラは、座った男に少しだけ顔を向けた。


 急いで必死に否定すれば真実のように見えるぞ、と。元老院議員ならば余裕を持て、と。

 むしろ馬鹿なことを言っているな、と嘲笑するぐらいであれ、と。



「例えば、私が執政官を希望し、二年間の軍事命令権を授けて欲しいとの希望が皆様に認められたとします。すると、任期が終わるのは私が三十四の年。つまり、二十四の私が凱旋行進を行った時に元老院の代表として出迎えたサジェッツァ様と同じ歳になります。


 どういうことか?


 機会が無かっただけとは言え、下手をすればアスピデアウスよりもウェラテヌスが上だと噂されかねない。だから邪魔してやろう。

 私の執政官就任を反対することは、それが如何に正当な理由であれそう言う風に思われる可能性もあるのです。


 あるいは、私が残った任期やカルド島攻略に必要なことだからとトュレムレに行くことを警戒しているとも取れるでしょう。グライオを捕まえておきたい。元老院の力無く私は私の最も信用する者を解放することすらできない。


 そう言った印象をつけたいがために。あるいは、人質とするために。

 そして人質にすると言うことは私をアレッシア人では無いと言っているようなモノ。アレッシア人は人質を認めない。それを徹底してきたのはウェラテヌスだ。ウェラテヌスこそが、アレッシアの拡大のために半島のありとあらゆる部族の元に赴き、交渉が決裂した末に殺されている。


 そのウェラテヌスの当主に向かって随分な物言いだとは思わないか?


 本当に。可能性があるだけで不快だ。


 他にも私を遠ざけようとしている動きや、当主の息子であるパラティゾ様まで送り込んで動きを制限しようとした。権限を奪おうとした。


 そう言う風にも邪推できるのです。

 それほどまでに、今のアスピデアウスに対する信頼など無いのです。


 ですが、今は国難。ハフモニとの長い戦争の最中。

 国を割りかねない行動は平時でも非難されるべきものですが、今は特に非難されるべきです。疑いあうのは良くありません。


 例え、ウェラテヌスの当主としては今のアスピデアウスを信用していないとしても。

 互いに協力し、最適な人材を最適な場所に派遣するべきだと。そう、思いませんか?」



 サジェッツァが静かに身を乗り出した。

 周りは黙っている。アスピデアウスにあまり関連の無い者達の空気は、最初よりも大分やわらかくなっているように思えた。


「ウェラテヌスの当主としてはアスピデアウスは信用できない、か。随分な物言いだな」

「友人として警告はしたはずだぞ、サジェッツァ」


 此処だけ、個人と個人としてエスピラは返事をした。


「こちらも友人としてメガロバシラスに居るエスピラに警告したつもりだが、伝令は取り込まれてしまったようだな。あれだけの勝利を誰が欲していた? 私の意図は伝わらなかったのか?」


 サジェッツァも個人と公的なモノが入り混じった雰囲気で返してきた。


「サジェッツァ。建国五門が舐められたら終わりだ。随分と弱腰な講和では、今頃はエリポスは燃え上がっていただろうさ。それぐらい分かるだろう?

 誰が勝利を欲していたか。当然、アレッシアだ。私と共に駆けた者達の中にはアスピデアウスのために戦った者はいない」


前半は相変わらず友として、後半は軍事命令権を預かっていた者として返す。


「ウェラテヌスがどうしてアスピデアウスを何故信用できないのか。自身の内を良くご覧ください。そこに、答えがあるはずです。見つけられないのであれば、二度と手を取り合うことは無いでしょう」


「その者は死んだ、では解決しないのか?」

「サジェッツァ様ともあろう方が一つの事象だけで今に至ったと思考されるはずがありません」


 視界の端でサルトゥーラが立ち上がった。元老院議員では無いからか、きっちりとした椅子では無い。

 しかし、元老院議員ではないが正式なそれに準ずるほど堂々とサルトゥーラが前に出てくる。



「アスピデアウスとウェラテヌスの棘がそこから始まっているのであれば、やはりしっかりと確認するべきだと思います。私からすれば、死者は裁けません。第一、愛人を持つことは何の罪でも無い。無能との間に子供ができれば問題ですが、サジェッツァ様ならば問題無いでしょう。


 加えまして、エスピラ様を追いやった者と同じ一門が妻に言い寄ったと申すならば、ベロルスはどうなるのですか?


 あれが追放されたのはハフモニと通じているから。メルア様との愛人関係によってではありません。最近はなにやら勘違いしている者も多いようですが、愛人関係では一切咎められていないのです。


 白眼視されているといわれましても、結局はそのベロルスを最も重用しているのはエスピラ様。これでアスピデアウスがアスピデアウスがと申されても筋が通りません」



 様々な感情の視線が集まる中、サルトゥーラ・カッサリアがまるで読み上げているかの如く述べ切った。


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