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いざ、戦場へ

 カルド島における戦局の悪化は酷かった。


 まず、全てが敵と思っても差し支えないのである。そうなれば当然補給も供与よりも略奪が主流となり、余計に住民との溝が深まる。深まれば他の提供も無くなる。無くなれば、当然奪うしかない。奪えば、アイネイエウスに情報が行く。


 そんな、一方的に鬼に位置を知られているようなかくれんぼの中でもしっかりと撃退を続けているのはマルテレスのすごさだろう。

 例え、マルテレスから分かれていたブレエビらの軍勢が叩きのめされても、彼らを回収して立て直したのはマルテレスの功績だ。


 だが、昨年には半分以上を占拠していたのに、カルド島におけるアレッシアの占領領域は三割を切っている。港町も解放された。つまり、アイネイエウスらにとって、本国から何らかの処罰を下される心配が減るほどの功を挙げたとも考えられる。


「いやあ、マルテレス君も正直者のようだ。奪われた報告なんて減らせば良いのに。マルテレス君なら奪い返すことも簡単だろう?」

 と、トガに身を包んだトリンクイタが言った。


 エスピラは着付けの奴隷から目を切る。


「奪い返したところですぐにまた奪われるのでしょう。半島でマールバラにやっていることをカルド島ではマルテレスがやられている訳ですから」


 居ないところを叩く。来たら引く。引いて、別の拠点を襲う。

 その繰り返しである。


「つまり、エスピラ君の行動次第ではマールバラに正解を渡してしまうわけだ」


 トリンクイタが、たはー、と嘆息した。悲観的なモノではなく、どこか楽観的なモノも漂っている。


「敵が違います。カルド島における敵はカルド島の民。対してマールバラの敵はアレッシア人。まるで違いますよ」

「そうかい。なら、私は一休み、とはいかないものかねえ。エスピラ君には言ったと思うけど、私は私の好きな者達と楽しいことをして過ごしたいんだよ」


 トガを巻き終えた奴隷に礼を言って、エスピラはトリンクイタを正面から見た。


「でも、『役に立つ』と言いましたよね。今がその時ですよ」

「二度目じゃないかい?」


 言いながらも、トリンクイタは否定はしてこない。

 ある意味、神官になってカルド島に行くことも、神官になるために顔を売ることも受け入れているようだ。


「そうだ。此処からは別料金と言うことで、師弟関係を結ぶのはどうだろう? もちろん、エスピラ君が師で私が弟子だ。メルア君もいない、娼館にもいかないのであれば、丁度良くないかい?」


 トリンクイタが楽しそうにトガの端をかけてきた。


「お断りいたします」


 そのトガを払い、エスピラは良い笑顔でそう告げた。


「そりゃ残念」

「クイリッタに手を出したら、トリンクイタ様と雖も訴えますからね」


 今度は声を低くする。

 その結果、エスピラの口から出てきたのは完全な威嚇音であった。


「しないよ。大体、まだ幼いじゃないか」


 トリンクイタが苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。


「この流れだと信じられないかも知れないが、クイリッタ君のことは任せてくれ。クロッチェも気に入っていてね。可愛い甥っ子だよ。当然、他の子も可愛いが、やっぱり会う時間が長い方が情も沸いてしまうものだからね。

 っと、すまない。エスピラ君とメルア君は会う時間が短くとも深い愛情で繋がっていたね」


 トリンクイタが今日初めて本気で慌てたようだ。

 早口で、口もやや硬い。手ぶりも少しだけ大きくなっている。


「別に気にしておりませんよ」


 本当の話である。

 そこまで気にしていたらやっていけないと言う思いはあるのだ。


 とは言え、メルア関連のことで気を遣われてエスピラは嫌な気分にはならない。その辺りも知っていての慎重さだろう。


「それならば良かった。クイリッタ君も、両親についてとやかく言われたと思えば良い気分にはならないだろうからね。ディアクロスにとっても損失になるところだったよ」


 奴隷が完全に離れたのを見計らって、エスピラは口を開いた。


「トリンクイタ様。発言については別に気にしておりませんが、行動に関しては違いますよと言ったらどうします?」


 冗談か本気か区別がつかないのか、トリンクイタが選んだのは沈黙の様である。


「外衣をかけて誘うのはエリポスのやり方。ここはアレッシアで、私たちはアレッシア人ですよ」


 エスピラとしてもそこまで本気で怒っているつもりは無いので、ただただにっこりと笑って言うに留めた。それはそれで威圧感があるのだが、それ以上は特に何かアクションを起こすことは無い。


「エスピラ君は、理解も勘違いも良くされるようだねえ」


 トリンクイタがそう溢した。

 困惑したが故の最善の言葉として選んだのだろう。


「エリポスとの関係についておっしゃっているのであれば、私は足の爪の先から髪の毛の先に至るまでアレッシア人。この血はアレッシア建国から繋いできたモノで、この魂はアレッシアの歴史と共に受け継いできたモノ。子孫に伝え、子に与えるのはその生き様。

 そう、分かり切ったことをあえてまた述べさせていただきましょう」


「誰よりも、アスピデアウスが分かっていないといけない『分かり切ったこと』であるわけか」


 衣擦れの音は聞こえない。声も揺れていない。

 だから、実際には頷いては居ないのだろうけれども、声は得心を示すように頷いていた。


「私を責めているのはアスピデアウスの者だけではありませんよ。もちろん、アスピデアウスの者もおりますし、アスピデアウスの者の中にも私の味方はおります」


「サジェッツァ君のことならば、友を助けず一門の横暴を見逃している時点で少し考えものだけどね。もちろん「絶対の信用を向けるのは怖くないかい?」と言う意味さ。エスピラ君の友達であり、困っている時に手を差し伸べてくれることを否定したりはしないよ」


 エスピラは、トリンクイタを見ようとしてやめた。

 ただ、顔は向かないまでも目はトリンクイタの方に移動する。映すことは無く、エスピラが前になって進み、シニストラが途中で合流し、まだトガに着られているようなマシディリと合流し進むだけ。


 向かう先は元老院。


 道々で人々に出迎えられながら、エスピラは進む。

 期待と願いを視線からひしひしと感じて。インツィーアの戦い以来静かなアレッシアに、確かな熱も見出しながら。


 エスピラは、ついに元老院の議場にたどり着いた。


 トリンクイタは先に離れ、神官などの元へ。

 正装のエスピラは扉の正面。後ろには木のファスケスを持ったシニストラ。そして、見学のために端に居るマシディリ。


 エスピラは、左手の革手袋の上から左手首を一度握りしめた。

 手の甲や指に軽い痛みが走る。その痛みをしっかりと感じるように、エスピラは左手にもう少し力を入れてから、一気に脱力した。


「緊張されているのですか?」


 シニストラが小声で聞いてきた。案じるような声である。


「たった今ほぐれたよ」


 安心させるように軽く返し、エスピラは扉を開けさせた。目に入るのは人。人。人。

 全員が正装で、エスピラを見下ろすように並んでいる。

 その中央に居るのはサジェッツァ。そして、少し離れてタヴォラド。三十歳を超えているアスピデアウスの男子はほぼ全員いるだろう。


 エスピラは、不敵に笑った。物理的な圧さえ感じさせるような数の視線が集まる。押し返してくる流水のような空気と、膜のような壁。そんなありもしないモノを感じさせるような空気の中、エスピラは議場の中心まで歩を進めた。


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