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「タイリー様は素晴らしい方でした。絶対の権力者を嫌っていたアレッシアで、最もエリポスで言う王に近づいた存在でしょう。普通に行けば今後数百年は並ぶ者が居ない。そんな人です。

 ですが、あの方は自分の子供に甘すぎた。いや、その自覚があるからこそ足を止めたのか」


 エスピラはすっかりフォークを置いて、腕を組んだ。

 左手は胸の下に。革手袋に右ひじを置いて、右手人差し指で下唇をなぞる。


「子供に甘すぎると言うのは、エスピラ様だけには言われたくないと思いますよ」


 少しだけ茶化すようにシジェロが言う。



「当主としての接し方なら、私に言う権利があると思いますよ。


 親としては子供への愛情に優劣をつけるべきではありませんし、つけることはできません。しかし、当主としては別です。一門同士での争いごとは、家門の力を削ぐ結果にしかなりません。

 ならばこそ、タイリー様はタヴォラド様に絞るべきだった。トリアンフ様なんぞに情をかけるべきでは無かった。タイリー様の子供たちの中で最も無能なのは、申し訳ありませんがトリアンフ様でしょう。


 失敗しているように見えるプレシーモ様はクエヌレスを支配下に置いております。ティミド様は使う側の問題。コルドーニ様は数か月とは言え、アレッシアを意のままに動かしました。


 では、遺言ではどうでしたか?

 タヴォラド様の次に色々なモノを受け継いだのはトリアンフ様でしたでしょう?」


 いいえ、と言いながらシジェロが首を横に振った。


「二番目に受け継いでいたのは、エスピラ様です」


 ふむ、と眉を上げ、首をやや斜めにしてからエスピラは口を開いた。


「そこは数えないことにいたしましょう。私が受け継いだ、と言ってもメルアと合同でならば二番目になる、と言うだけですから。パーヴィア様の子供たちがセルクラウスの家の後継者候補にならないのと同じです」


 タイリーが愛したのはアプロウォーネ。元処女神の巫女であるパーヴィアには情はあっただろうが愛があったとはエスピラには思えない。


「そういう事でしたら、そう致しましょう」


 意図を理解してかしていなくてか、シジェロがやわらかく言った。


「何はともあれ、タイリー様はセルクラウスが基盤を固められるだけの強大なモノを分割してしまいました。兄弟同士で手を組めば対抗できる程度にタヴォラド様の力を削ってしまったのです。

 だからこそ、アレッシアを立て直すために悪役を買って出たタヴォラド様は未だにプレシーモ様と言う姉に悩まされている。


 私は、そんなことを致しません。


 ウェラテヌスの当主として見た時、継ぐべきはマシディリ。彼ただ一人。毎年届けている遺言でも、メルア以外の私の全てをマシディリに託しております。他の者へは、マシディリが支援する形になるでしょう。


 そして、最大の理想はマシディリを中心に調整をクイリッタ、外征をリングアが担当すること。ユリアンナが外にある家をカリヨのように、いや、カリヨ以上にうまく掌握して、ウェラテヌスを支える。

 マシディリが中心に居るからこそ成り立つ仕組み。他の兄弟は、何かが足りないくらいが丁度良い。そう思っております。


 ね。私が、タイリー様のことをとやかく言えないほど子供たちに甘いとお思いですか?」


 シジェロが首を横に振った。

 先程と違うのは、やや眉が寄っていること。意識の向きが内側に向かっているようにも見えること。


「マシディリ様にもしもがあった場合はどうするおつもりですか?」


 その言葉には、少しだけ心が籠っていないようにも感じた。


「エリポスに居る間はクイリッタにも後継者教育を、と考えておりましたが、クイリッタを後継者には致しません。アグニッシモかスペランツァか、あるいはその後にも産まれてくる男の子の誰かか。マシディリから歳が離れている方が良いでしょう。その間に、マシディリが功績を立てて後継者を確実なモノにすれば良いだけですから」


「マシディリ様ならそれが出来ると?」

「ええ。もしできないのであれば、それは私に人を育てる才が壊滅的にないと言う話になります」

「その第一章は、カルド島から、と言うお手伝いは出来ますよ」


 シジェロが、尻の位置を動かした。

 当然、前に出てくる状態になる。椅子の前方に座った形だ。



「カルド島での問題は大きく分けて三つですよね。

 民心の安定と、エクラートンの攻略と、ハフモニの将軍であるアイネイエウス。


 エスピラ様が出れば、エクラートンの攻略は可能でしょう。アイネイエウスもエスピラ様が場を整えられるため、マルテレス様を向ければ問題になりません。


 ですが、最大の課題は民心の安定。


 如何でしょうか。私が、期間を延長し、特例であと二年間処女神の巫女として働く。新たな赴任地はカルド島。アレッシア本国で、アレッシアの守り神である処女神、その巫女がカルド島に出向くのです。しかも、エスピラ様はエリポスの宗教会議に呼ばれるほどの人物。決してカルド島の神々を蔑ろにしているわけでは無いとアピールできるとは思いませんか?」



 これが本来の目的だったか、とエスピラは思った。

 最初の結婚話は断らせるため。断らせた後に、それよりも難易度の低い話を吹っかけて首を縦に振らせると言うのは良く聞く手法だ。


「神殿の話と執政官は別物ですよ」


 エスピラは、シジェロとは対照的に深く腰掛けた。


「知っております。ですから、別に動くのです。その場合、処女神の巫女に護衛、守り手が必要となりますよね。その守り手に、マシディリ様をお付けになるのは如何で

しょうか。


 マシディリ様は来年十二歳。まだ従軍はできませんが、守り手としてついて行き、かつ息子として父親の天幕に泊まるのは不思議な話ではありません。それに、来年は激動の時期だと既にお伝えしていたと思います。私も従軍すれば、毎日のように占うことができますよ?」


 魅力的な提案である。

 裏が無いのなら。連れて行けるのなら。

 戦場でしか得られない経験だってあるのだ。将来的に軍団を率いる際にこれは大きく役に立つ。


「ヴィンド様。ルカッチャーノ様。もう帰られてしまいましたがパラティゾ様。そしてジャンパオロ様。建国五門のほぼ全ての若手がマシディリ様と交流を持っております。異色の人事でも無いでしょう」


 なるほど。十二歳とは思えぬほどにマシディリの人脈はとても強力である。

 マシディリ本人がそれを使いたいかは別として、使えれば大きな武器になるのだ。


「おっしゃる通り、確かに今後を見据えるにせよ、二十一歳までに若手の財務官枠にと思えば守り手は早く経験させておきたいですね」


 エスピラは言いつつ、右手の人差し指で音も無く机を叩いた。

 それから、体を少し前に出す。


「ですが、シジェロ様につく守り手はクイリッタです。神官としてトリンクイタ様もつけましょう。


 名だけでなく実も。


 トリンクイタ様は様々な娯楽の提供を受け持っておりますから。失礼ではない大道芸人を数人選出し、民の心をほぐす。当然軍団とは別行動ですから、トリンクイタ様には神官になっていただきます。

 そして、マシディリは軍団と一緒に回り、カルド島に根付いている信仰を守ることをアピールいたしましょう。マシディリと共に居るのは神官でも巫女でも構いません。

 これで、如何でしょうか」


 フィルフィアに良くついているのはクイリッタだ。

 そこを紐解けば、プレシーモの敵でもあるフィアバにもたどり着く。そうでなくとも、エスピラの息子と長い時間を過ごすと言う目的は果たせるはずなのだ。


 プレシーモとどれだけの間、何を以って手を結ぶのかは分からないが、シジェロが断ることはできないだろう。


「父上が女の人と会ってる!」


 次の一言を告げようとしたタイミングで書斎に入って来たのはユリアンナ。後ろからは歓声をあげてアグニッシモが続き、スペランツァも無言で走ってくる。


「静かにしなさい」


 エスピラは、雰囲気をやわらかくしつつも硬い声で注意した。


「母上以外の女の人と会ってる!」

「そうだな」

「母上に言っちゃお」


 と言って、ユリアンナがまた扉の方へと駆けて行った。だが、書斎を出る前に足を止めてエスピラをちらちらと見てくる。


「母上に言っちゃうよ。良いの?」

「父上。これ食べたい」

「俺も!」


 ユリアンナの言葉に続いて、スペランツァがシジェロの目の前にあるスイカを掴み、アグニッシモがエスピラの皿を掴んだ。


「スペランツァ。そちらは客人の分だ。こっちをアグニッシモと分けなさい」

「や! こっちが良い!」


 スペランツァが珍しく叫んだ。

 アグニッシモは手づかみでスイカを掴むと、口を汁で汚している。


「アグニッシモ。綺麗に食べてみような」


 エスピラは、自身の服にスイカの汁が飛んだのを確認しながらまずはアグニッシモの口元を拭いた。遊んでくれていると思っているのか、アグニッシモはきゃっきゃと喜んでいる。


「母上に言うよ!」


 そして、ユリアンナが叫んだ。


(いつもより随分と幼い言い方だ)

 と思いながら、エスピラは「父が悪かったからこっちに来てくれないか」とユリアンナを呼んだ。ユリアンナもウキウキでエスピラの膝の上に乗ってくる。アグニッシモが羨ましそうに見たかと思えば、次の瞬間にはスイカに興味が移っていた。


「こっちが良い」


 スペランツァがシジェロのフォークを掴む。


「スペランツァ」

「いえ。お気になさらず」


 シジェロがエスピラに小さく頭を下げてエスピラの言葉を止め、「食べて良いよ」とスペランツァに視線を合わせて言った。


「ありがとうございます」

 とやや舌足らずな声でスペランツァがお礼を言って、スイカを食べ始める。


「食事の本懐は食べて楽しむモノだからな。食べ過ぎて夕食を見るだけになるようなら、食べられるほどにお腹がすくまで走らせるぞ」


 溜息交じりに言うものの、「はーい」と分かっているのかいないのか良く分からない息の合った返事がくるだけ。

 たまに、思い立ったようにスペランツァがわざと口元を汚してエスピラに拭いてくれとアピールしてくる。アグニッシモはそんなことしなくても徐々に汚れていった。


「綺麗に食べられないならないないするぞ」

「父上。私の大変さわかった?」


 言いながら、ユリアンナがエスピラに体重をかけてきた。


「乳母はどうした」

 と言いながらも、気配は無い。子供たちが居るのに、乳母が近くに居ないのだ。エスピラが書斎で客人と会っているのを邪魔した子供たちの行動を問題に思っていないと言うことでもある。


(なら)

 このちびっ子たちの襲撃を裏で糸引いたのは、メルアか。


「良く分かったよ、ユリアンナ」


 諦めて、エスピラはユリアンナを支えた。


「じゃあ、私、服が欲しい!」

「二着までな」


 アグニッシモの世話の分と、スペランツァの世話の分。


「父上が母上にあげるような服ね」


 思わず、エスピラの表情が固まってしまった。

 エスピラがメルアに用意している服は最高級品だ。値が張る。それを二着しかもこれからも成長してすぐに着られなくなる子供に。


「……分かった」


 約束してしまった以上は、と思いつつエスピラは返事をした。

 ユリアンナは、本当に無邪気に喜びを露わにしてくれる。エスピラの膝の上で揺れて、満足げに、笑顔でアグニッシモの食事作法を注意しつつ口元を拭いて。


「お疲れ様です」

 と困惑と呆けたものが綯い交ぜになった表情で告げてくるシジェロに、エスピラは眉を下げつつ「先ほどの件をよろしくお願いします」と言ったのだった。


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