行きたい、行かせたい
「マルテレス様は宗教的要地で殺戮と略奪を大々的に行ってしまいました。軍事的に見れば当然の行いでしょうが、感情を見るとこれが良くなかったのは誰もが思い知っております。
なにせ、カルド島での味方が大きく減ってしまったのですから。そこに、アイネイエウスが軍団をまとめ、内部の街の再奪還を繰り返している。水と肥沃な大地を優先して取り返し、その後の降伏してきた者に分け与えるのは中々に考えられていると思いませんか?」
「ええ」
エスピラは短く肯定した。
「如何にマルテレス様と雖も、会戦に持ち込めなければ勝利を収めることは難しいでしょう。そして、会戦に持ち込むためには相手の動きを把握する必要がりますが、今のマルテレス様にそれが可能でしょうか? 島民の協力を得られない中で、情報を集められますか?
もちろん、エスピラ様ならばそれができることを私は知っております。野蛮人と見下し、文化遅れと見下し、自分たちが優位であると信じて疑わないエリポスで敵の動きを補足しておりましたから。何と言葉で取り繕おうと、エリポス人は未だにアレッシア人を見下しております。
その、いわば敵だらけの中で情報網を構築したエスピラ様とエスピラ様の軍団ならばマルテレス様の力を再度最大限使えるようにできるのです。
最高神祇官の話は誰もが、は難しかったかもしれません。ですが、これならばどうですか? アレッシアが勝つためには、カルド島に誰が行くべきか。分かるのではありませんか?」
なるほど、と頷きつつもエスピラは眼光を鋭くした。
雰囲気も冷たいモノに変える。否。変わる。
「主張はご尤もですが、些か気を付けた方がよろしいかと」
「何故でしょうか?」
シジェロが小首を傾げた。
エスピラは態度を変えない。
「邪推が成り立つからです。確か、ティミド様は私がカルド島に来るようにと工作を試みておりました。ですが、やってきたのはマルテレス。あまりティミド様を重視する人では無い。しかも、ティミド様があまり良く思っていない平民で、かつ家は海上交易で財を作っております。
なるほど。確かにティミド様ならば私を軍事命令権保有者にするためと言えば協力を取り付けやすいでしょう。同時に、プレシーモ様にとっても、そこまで負の感情を抱かせずにパーヴィア様を母親に持つセルクラウスの者を追い落とせる利点がある。とんでもない失態ですから。
そして、凄腕の処女神の巫女を娘に持つラシェロ様の宗教的な話ならば、耳を貸しやすい。
つまり、自分の利益のために私の友を嵌めたのではないか、とね。ああ。そう言えば、プレシーモ様は私のことが嫌いのようだ。彼女にとっても、ティミド様も私も貶める良い機会だったと。
まあ、そのような邪推が成り立ってしまいますので」
「邪推されても結構です」
エスピラの言葉の後、きっぱりとシジェロが言った。
「その上で重ねて頂くのであれば、凄腕の巫女と認めて下さっている私を妻とし、その上でカルド島に乗り込むのが最善ではありませんか?
宗教会議の出席と、アレッシアの神殿についての深い知識。それらが備わっている。
その印象を強く持たせることが出来れば、エスピラ様の発言を否定するのは非常に勇気のいることでしょう。もう一度間違えば、父上と雖も自身の地位を失いますから」
「娘から嫌われる父親と言うのは、相当きついものですよ?」
シジェロの今日の目的は婚姻では無い。
そう判断し、エスピラは続けた。
「私だったら、ユリアンナやチアーラにそう言う風に使われたと知った時にしばらくは引きこもってしまいますね」
「でしたら、エスピラ様の邪推も違うと御理解していただけますでしょうか」
シジェロが笑みを深めた。
「そうですね。フィアバ様が私の味方だと多くの方が知っておりますでしょうから。わざわざティミド様と私を会わせたいなどプレシーモ様が思うはずがありませんでしたね」
そうは言うものの、仮にエスピラの推測が真実だとすれば実行した時期の後にエスピラとフィアバが手を結んだことになる。それがプレシーモやシジェロの耳に入ったところで、カルド島に連絡を入れるとなると手遅れだっただろう。
「御理解いただけて嬉しい限りです」
シジェロが綺麗に頭を下げた。
ただ、処女神の巫女は家に対する意識が他の者に比べて軽薄な傾向にある。事実、アネージモ・リロウスを使ってウェラテヌス邸に見慣れない奴隷を入れたのはシジェロだろう。ラシェロに被害が行っても構わないと。そう言う考えが無いとできない手引きだ。
「ちなみに、これはマルテレスの友としてトリアヌスの御息女に聞きたいのだが」
言いながら、エスピラはスイカにフォークを突き刺した。
「宗教に詳しいはずのラシェロ様は、マルテレスが兵に休養の許可を与える際に何をしていた?」
此処で言う休養とは、一方的な殺戮と略奪のことだ。
「楽しんでいたそうです。大層儲けたとおっしゃっていたようですよ」
シジェロは庇いはしなかった。むしろ、認めたようなモノである。
(自分にはたどり着かない自信がある、と言うことか)
「なるほど。でしたら、申し訳ありませんが貴方を妻にと言う話はウェラテヌスの当主として断りましょう。処女神の巫女は家門とは関係ないとはいえ、流石に看過できません。言い方は悪いが、貴方の父君は無能すぎる」
「本当に失礼な物言いですね」
と言っているが、シジェロは楽しそうに笑っていた。
本心から無能だとは思っていないことを知っているのか、それとも情が無いのか。あるいは両方か。
エスピラには見抜くことはできない。
「エスピラ様の御父上の基準がタイリー様であるのなら、父が無能と言われるのも仕方が無い話かもしれません」
シジェロはそう言うが、ラシェロは娘にマルハイマナの言葉を学ばせてもいた。
最高神祇官になったアネージモを動かすこともできていた。
マールバラとの戦いに出向いていないが臆病者の誹りを受けず、失敗こそしたがほぼ確実に功を挙げられる場所に従軍している。
隠れてはいるが、したたかな人物であることに変わりは無いのだ。
「本当に残念ですが、先程の提案は無かったことにいたしましょう。強行してしまえば、フィアバ様がどう動くかが分かりませんからね。あの方は同母弟に非常にお優しい良き方です。特にティミド様が追い込まれ過ぎている現状では、フィアバ様の行動がフィルフィア様に影響を与え、タヴォラド様まで動き出してしまうかも知れませんから」
シジェロの言葉はプレシーモとシジェロがやはり手を結んでいたことの匂わせか。それとも、ただ単にフィアバの釘差しを知っていると言うアピールか。
(一時的に手を結んでいるだけと言うのが正解か)
アネージモの切り捨てを見るに、プレシーモともその内手を切るのだろう。
だが、今はその時ではないとして、彼女にも気を遣っていると言うあたりか。
「それがよろしいかと思います」
エスピラはフォークが刺さったままのスイカを口に運んだ。シジェロも同じようにして、ただしエスピラよりもおしとやかにスイカを口に運ぶ。
書斎の外から物音はしない。家内奴隷が二人、扉の近くで控えているだけ。
「マフソレイオ、エリポス、マルハイマナの戦術・戦略を学び、軍事拠点と生活拠点と言う異なる街の作り方を教えた。となると、マシディリ様の次は実践ですか?」
雑談のような調子で、シジェロが切り出してきた。
「そう行きたいところですが、学ばなければならないことはまだまだありますよ」
「建国五門も大変ですね」
くすり、とシジェロが口に手を当てる。
「アレッシアの貴族ならば当然のことでしょう。とは言え、応えてくれるからとマシディリに負荷をかけすぎている気はしていますけどね。まあ、メルアがマシディリには少し優しいのでそこに甘えてもいます」
メルアの愛情がマシディリにきちんと伝わっている自信は無いが。
エスピラの愛妻は、少々分かりにくい。
「それに、セルクラウスを見ていると子供たちの間の争いについても、道筋をつけておかないと、とも思いますよ」
そして、エスピラはついでにもう一本釘を差しておくことにした。




