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光明

「すまん! エスピラ!」


 歯切れ悪い説明が終わるなり、立ち上がって、大声で、マルテレスが謝罪してきた。

 午後のカフェテリアであるため一気に注目が集まり、そして消えていく。


 エスピラはやや粗雑な赤銅色の焼き物のコップを傾け、口を湿らせた。


「気にしすぎだ」


 そもそもがウェラテヌスに魅力が高ければ放っておいても縁談など舞い込んでくるのである。良き相手を見繕えなかったからと言って、マルテレスに非は一切無いのだ。


「そうか?」

「そうだとも。むしろマルテレスがそこまで必死になるのなら、私ももっと頭を下げてもぎ取らなければならなかったしな」


 妻を差し出せと言ってきたナレティクスは論外としても、タルキウスには「君たちの言い分はおかしい」と言うこともできたし、ニベヌレスにはこちらから頭を下げればまだ動きはあったかも知れない。


 良好な関係も風下に置くことも婚姻関係ができた後にすれば良いとも言えるのだ。

 始めから妹の条件を全て満たそうと考えずに頼めば今頃は一つぐらいは婚約の話が合ったかも知れない。


「エスピラは十分本気だと思うけどな。人を使って情報を集めてるんだろ? 中々しないって」

「選別ついでだけどな」


 エスピラは声量を落とした。

 それとなく周囲を窺えば、こちらを見ている視線が二つ。エスピラの視界には入らない位置。敵意の類ではないとエスピラは判断した。


「選別」


 マルテレスも声量を落として、唇をあまり動かさずに返してくる。

 妹の相手を、と言うわけでは無いと言うのは察したらしい。


「何が得意で何が苦手か、と言うのは人によって違うだろう? お前は政治が苦手だから護民官に乗り気じゃないかも知れないが、やってみれば才能を発揮するかもしれない。一見すると向かないような奴が実はやらせてみれば、と言うのは有り得る話だ。


 ほら、去年のハフモニの使者もそうだったろ?


 微妙に向いていない奴を一人入れておくことで、他の連中は完全に隠れていた。むしろあいつが居たからこそハフモニは多くの情報を入手できたんだ。向いていた、と言えるだろうよ」


 神殿であからさまに怪しかった奴隷風の男。

 そいつが自分を警戒している相手を見つけ出し、その人たちの周囲の情報を手に入れてから本格的に動く。


 結果的に二名の殺害と二名の捕縛に成功したわけだが、泳いでいた間にどれだけの情報が抜き取られてかは分かった物じゃない。


「つってもウェラテヌスは名門だろ?」


 意図は伝わったようだと、エスピラは満足げにコップの中身を飲み下した。


「戦争は命懸けのかくれんぼだ。特に洋上で不意を突かれれば、損害は陸上の比じゃない」

「ああ。ウェラテヌスは造船に力を入れていたな」


 昔はな、とエスピラは呟きで返した。

 今は、とてもとても船の建造などできる状況ではない。


 海戦は陸戦よりも国力の消耗が激しいのだ。特にアレッシアはアレッシアの市民権を持つ者に対しては子供を作る義務と兵役の義務しかない。同盟諸都市から巻き上げた金か、金のある者の私財が国力となり船を造り漕ぎ手を用意するのである。


 持参金を用意できるのか他の一門に心配され、被庇護者にとっては遠い所に家を持つウェラテヌスがそんなことできるわけが無いのだ。


「誰も彼もが準備準備で大変なこった。まあ、俺もあいさつ回りがあるんだけどなあ」


 マルテレスから盛大な溜息が零れる。


 護民官選挙に出ることを決めたマルテレスは、残り四か月の選挙に向けてまずは貴族へのあいさつで忙しいらしい。平民人気は十分にあるので、一緒に学んでいた者たちを中心にマルテレス自身が出ることは少なく、逆にマルテレスの人気が低い貴族に対して顔を売っていく。


 これがサジェッツァが組み立てた作戦だ。


 古い貴族にはサジェッツァとサジェッツァがこの前の晩餐会で味方につけたタヴォラドを中心に働きかける。マルテレスは自身が参加した晩餐会の伝手を使ってルキウス・セルクラウスと接触。現在官位についている者達を中心に個人的な関係を築いていき、国の方針の一貫性を保ちやすい人物と言った認識を持たせるつもりだ。


 エスピラが協力することは誰の目にも明らかだが、あえて表立って選挙協力には出ないことでタイリーとの距離も保ち、余計な反感を防ぐ。タイリーを押さえることがアレッシアで自身の意見を通す一般的な近道ではあるが、あえて残すことでつけ込める隙を見せるらしい。


 まあ、実態はタイリーに対する些細な優越感を抱けるようにすることで協力を得やすくする、とかだろうか。


 マルテレスの細々とした愚痴を聞きながら、文句は出るものの上手く言っているらしいとエスピラは判断した。


「マルテレスの護民官選挙も戦争準備の一環だからな。もし前回と同じように十年以上も続くのであれば私たちも軍事命令権を持ってもおかしくない年齢になる。その時に護民官を経験していないと色々と問題が多いからな。気楽にやると良いさ」

「まるで当選したかのように言うけどなあ。落ちたら変に融資してくる人たちに借金を返さなきゃいけなくなるんだからな」


「では、此処の代金は私が払うことにして、これをマルテレスへの融資としよう」

「少ないわ!」


 そもそも前払いである。


 一拍置くと、エスピラとマルテレスは互いに静かに笑い出した。


「助けてもらってばかりだからな。私にできることがあれば何でも言ってくれ」

「エスピラには散々引き立ててもらっていると思うぞ。ばかりってことは無いだろ。俺は婚約者探しに失敗したぐらいか?」


「神殿ではお前がいなければ死んでいたかもしれない」

「それだってエスピラの推薦があったからこそ、だろ?」


「活かしたのはマルテレスだ」

「活かす機会が無ければ意味はない」


 エスピラは次の言葉を紡ごうとしたが、堂々巡りだなと思いやめた。

 代わりに困ったように笑えば、マルテレスも肩をすくめてくる。


「お互い様だな」


 マルテレスの言葉に頷いて。

 エスピラの様子に満足したのか、マルテレスが立ち上がった。


「悪いが、あいさつ回りにまた行かなくちゃいけなくて」


 申し訳なさそうな顔で言うマルテレスに、「がんばれよ」と返してエスピラは見送った。


 やはりと言うか、護民官候補は忙しいのである。

 にも関わらず妹の婚約者探しを手伝ってくれたことには感謝しかない。


(さて)


 来ないのかい? とこちらを窺っていた主たちに意識を向けつつ胸襟を開く。

 数拍待てばそれが伝わったのか、足音が聞こえてきた。


「お久しぶりです。前、宜しいでしょうか」


 記憶よりもやや低くなった声に頷き返して、エスピラはマルテレスが先程まで座っていた場所を勧めた。


 前に来たのは神殿で出会った少年。怪しいと伝えてきた子。

 新貴族であるイロリウスの少年だ。ただし、身長は大分伸びている。


「何かあったのかい?」


 聞くが早いか少年が身を乗り出すのが早いか。


「妹君、カリヨ・ウェラテヌス様を私にくださいませんか」


 いずれにせよ、勧めた席に着く前に少年が吼えたのだった。


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