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奸計

 クイリッタを動かすのはさほど難しいことでは無かった。


 自分の子供に対してもそこまでするのか? とは思うが、要するに子供たちの中でクイリッタにしか頼めないとすれば動いてくれるのである。マシディリでも一個下のリングアでも無く。ユリアンナでも無い。クイリッタにしかできない、と。


 だからこそ、エスピラはこれはその罰が当たったのかと思った。


 シジェロ・トリアヌスがディファ・マルティーマの処女神の神殿の巡回に訪れた時にそう思ったのである。クイリッタの信奉する神は狩猟の神。野菜が嫌いだからと言う理由もあって幼いころに選んだらしいが、初めの理由なんて言うのはどうでも良い。大事なのは、その神を信奉できるかどうかと言うところ。今に限って言えば、その神は狙った獲物を逃がさないと言う逸話があること。


 当然、処女神の神殿からエスピラに、ディファ・マルティーマの処女神の神殿の案内の頼みがやってきた。エスピラはそれを拒絶。フィルフィアが軍団の命令権を持っているが街についての権限はほとんど無いと言うシジェロの言葉を遠回しに肯定しつつ、自分では筋が違うとも述べた。


 今は役職に就いておらず、神官でも無い。ウェラテヌスの当主として、ウェラテヌスの私財を国のために使っているだけだ、と。

 代わりに、ヴィンドに神殿の案内を、と紹介したのである。

 フィルフィアの副官であるため、立場としても十分。ディファ・マルティーマの街についてはフィルフィアよりも知っている。これ以上無い適任だ、と。


 フィルフィアの快諾を以って決定となり、ヴィンドがシジェロ一行の饗応役となった。


 のだが。


 個人的にやってきたシジェロならば追い返すことが出来ない。


 ウェラテヌスはディファ・マルティーマの正式な差配者では無いのだ。あくまでも、民の信頼と富の還元、街の発展で以ってそれに近い地位に居るだけ。当主が家に居るのに尋ねて来た人を追い返すことはできないのである。


 当然、来客用の部屋ででは無く、いつも通り書斎で会うことになってしまうのだ。


「お久しぶりです」


「シジェロ様が来られた時にお会いしておりますので、日数はさほど経っていないかと思いますが」


 嬉しそうにほほ笑んだシジェロに、エスピラは笑顔のまま牽制の意を籠めて返した。

 何も気にすることなくシジェロが座る。そのシジェロの目の前に、家内奴隷が切り分けたスイカを出した。


 シジェロの視線が、僅かに長くスイカに留まる。


「贈り物ですよ。今は、アレッシアでは手に入りにくいですから」


 内緒にしてくださいね、とエスピラは茶目っ気を含めて自身の唇に人差し指を当てた。


「赤味の濃いスイカは、久しぶりに見ました」


 言って、シジェロが一欠け口にした。


 うん、うん、と首を上下に動かしている。


「もう輸入が八年近く止まっていますからね。オレンジ色のスイカならば半島でも栽培されているのですが、禁酒令の影響からか生産量は年々減っていると聞いております」


 禁酒令だけでなく、人手不足や麦の方が売れるからと言うのもあるのだろう。

 スイカは、結局は嗜好品なのだから。


「禁酒令の影響はウェラテヌスも大きく受けているのではありませんか?」


「どうせ売れないのならと兵に配ることが出来ておりますから。それに、寒くなりやすい北方の軍団には必要不可欠なモノ。北方諸部族の捕虜をヌンツィオ様に渡すときに持って行ってもらっています」


 輸送にかかる人件費を計算しないで格安で、と言う売り方である。


「流石ですね。父などはエリポスに売っているのではないか、と言っておりましたがウェラテヌスの者がそんなことをするはずが無いと言っておいて正解でした」


 シジェロの顔は綺麗に形作られた笑み。


「売っていますよ。まあ、恐らくラシェロ様の想像とは異なると思いますが、シジェロ様はどう思います?」


 シジェロが口を大きくし、手で隠した。

 ただし、動きは少し緩慢だったようにも見える。目の黒い部分も大きくはなっていないように見えた。


「なんと。私は、てっきり売っていないものとばかり思っておりました」


 嘘か本当かは分からない。

 ただ、先の発言と矛盾しないような言葉であることに違いは無い。


「シジェロ様。確かに、ウェラテヌスは度々私財を全て投げうってアレッシアに尽くしてまいりました。ですが、その後の苦労を知っている身からすれば子供たちにそんな経験はしてほしくないのです。

 メルアも本来ならもっと贅沢に、我儘に暮らせた身。それを縛っているのは他でもない私やウェラテヌス。

 元老院が支援をしてくれない以上、他のところから財を引っ張ってくる必要があるのは当然のことでしょう」


「その元老院は、エスピラ様がメガロバシラスからの賠償金を受け取っていることが不当だとしているみたいですよ」


「言葉は正確に、ですよ。元老院はでは無く一部の元老院議員が、でしょう。サジェッツァやタヴォラド様が本気で抗議すれば、私だってそんな勝手なことはできませんから。

 それに、私は既に元老院が欲していた以上の財をアレッシアに納めております。その上で街の開発、戦後の復興のために民に用意するサーカス。それからパン。全て私が準備していると言えば過言ですが、少なくともどの元老院議員よりも圧倒的に私が力を注いでおります」


 そもそも、本国では禁酒に剣闘士試合の開催禁止に戦車競技も中止。劇団も公演の規模縮小とたくさんの制約を課されているのだ。

 その制約を無視しているようなディファ・マルティーマにいないと彼らの維持・発展ができないのは当然のことでもある。


「そうでしたね。ですが、優秀さと言うのは嫉妬の元。嫉妬の力が恐ろしいのは、エスピラ様ならば良く御存知では無いでしょうか」


 メルアのことだろうか、と思い少し不機嫌になるも、エスピラは表情には出さないように努めた。


(意図していないと言えば嘘だろうが)

 と思いつつ、エスピラもスイカを一欠け口に運ぶ。


「他ならぬ私が実感しておりますからね。メルアに近づく男は誰も許せない。だから敵視する。まあ、サジェッツァとの間では持ち込まないことにはしておりますが、アスピデアウスの者がこれ以上何かを言ってくるのであれば私もその限りではありませんよ」


「そう言えばそうでしたね。アスピデアウスも随分と惨いことをなされる、と神殿でも話題になっておりましたよ」


「話題にしておりましたよ、でしょう? 本当にそう思っているのなら、神殿は些かアスピデアウス、もとい現在の元老院に阿り過ぎているのではありませんか?」


「それは弱腰の最高神祇官の所為でしょう。アネージモ様は私たちを簡単に切り捨ててしまいますから。だからこそ、強い最高神祇官が必要なのです」


「そうは言いますが、七年もやっている方を満場一致で押しのけられる方などそうは居ないでしょう。

 いえ。占いの精度が良く、まさに神に愛されている方ならばもしかしたらアネージモ様に代わることができるかもしれませんね」


 処女性を失わず、ずっと神の忠実な僕である女性ならば。


「神殿が閉じられすぎますので、内外からの反発は必至でしょう。

 私は、それよりももっと良い人材が居ると思います。宗教的にアレッシアで最大の功績を立て、アレッシアの神々を他国に広く認めさせた方が。最高神祇官に政治的な権力を絡めたくないのであれば、その功績で以って必ずや選ばなければ嘘になる方がおります」


「それは凄い方だ。本当にそうであるならば、自然と最高神祇官になっているのでしょう。神殿も良識ある元老院議員も黙ってはおりませんからね」


 大変なことだ、とエスピラは神妙そうな表情を作って頷いた。

 シジェロが同調するような笑みを作り、エスピラの頷きに合わせて頷いてくる。


「ええ。ええ。そうでしょうとも。エスピラ・ウェラテヌス、と言うのですけれどね。肝心の本人が、自分のことと知っておきながらはぐらかすのですが、どうすればよろしいでしょうか」


 そして、本当に困ったと言う顔でシジェロが言った。


「貴族の端くれである私が思うに、ウェラテヌスの当主にとって、今、最高神祇官になるのは不利益が大きいことでは無いでしょうか。何よりエスピラ・ウェラテヌスとは最も政治と最高神祇官を絡める男ですよ。やめた方がよろしいかと思います」


 エスピラも他人事のようにシジェロに返す。


「それは、執政官になる意思があるから、と見ても良いですね? エスピラ様」


 シジェロが雰囲気を一転させた。

 ずい、と体が前に出てくる。まるで獲物を目にした雌ライオンのような空気で。


「ディファ・マルティーマにはずっと私に付き従ってくれていた者たちがおりますから。彼らに報いなければならないだけですよ」


 若いが、まるで好々爺のようにエスピラは言った。

 雰囲気も尖らないように、やわらかく、まるいモノを意識する。


「それだけでは無いでしょう? エスピラ様の家族への対応、マルテレス様への裁判の弁護、マフソレイオへの優遇、忠実な兵士への褒美。

 それらを見ていれば、到底マルテレス様の窮地を見過ごせる方では無い。そう、誰もが思いますよ。

 だからこそ、執政官となってカルド島に行く、と。くじ引きの不正は、私達神殿勢力が必要不可欠ですよね?」


 しかし、そこに、シジェロが突っ込んできた。


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