決意決断
エスピラの目が細くなった。
報告をしていたソルプレーサは一度口をつぐみ、一緒に聞いていたヴィンドは目をつぶる。マシディリの背は伸びたまま固定され、シニストラは何も変わらなかった。
「マルテレスが、そんなミスをするとは思えないが」
地を這う声でエスピラが言った。
報告をもたらしたソルプレーサがまた口を開く。
「数人から同じ報告が上がっております。間違いなく、やってはいけない場所で殺戮と略奪を働いたのかと」
略奪は良くあることだ。
補給をそれに頼っているし、兵の楽しみでもある。
殺戮も当然のこと。
敵への協力者を殺すことは誰でもやっている。
「宗教的に大事な場所だと、私がカルド島に行った時から変わっていないはずだよな」
怨嗟の声を出しながら、エスピラは自身が書いた手紙を思い返した。
きちんと自分は伝えていただろうか、と。
「はい。変わらず、イエロ・テンプルムは宗教的な要地です」
ソルプレーサの言葉に、エスピラは大きく深呼吸をした。
数秒間に渡って黙り、息を吐きだす。
「指揮した者は誰だ?」
「後方にはマルテレス様自身が控えていたのはほぼ確定的です。ただ、協力者たちの口も重くなってしまったため、中々情報は集まっていません」
「本当か?」
エスピラは、右眉を上げてソルプレーサを見た。
「不確定ではありますが、ブレエビ・クエヌレスの軍団も目撃されております。ただ、エクラートンの天才技術者が、一人か集団かは不明ですが、その巨石をも飛ばせる投石機やら遠くの船も燃やせるだとか言うにわかには信じがたい発明の所為でエクラートンにはぎりぎり監視できる程度の兵しかいなかったのは事実です」
本当に不確定なんだな、とエスピラは思った。
同時に、切迫する思いとは裏腹にその技術者も欲しいなと言う場違いな欲望も感じる。が、ひと先ずはと切り替えた。
フィアバとの話もティミドやプレシーモに対するエスピラの態度もソルプレーサは知っている。だからこそ、余計な勘繰りで無用な争いにならないように、との配慮からの言葉選びだろう、と。
「安心してくれ、ソルプレーサ。原因はいくつか考えられるが、今大事なのはこの後だ。協力者の口が重くなった、と言ったな」
「はい」
「それは、宗教的に大事な場所を荒らされたから、と見て良いな? 他に大きな問題は無いと。あるいは、優先順位は低いと」
「構いません。アレッシアが勝っているからと敵対した者は、味方にはならないでしょう」
ソルプレーサがしっかりと肯定した。
「宗教には宗教を。幸か不幸か、これで益々エスピラ様をカルド島に送らざるを得なくなりましたね」
ヴィンドがエスピラに力強い視線を向けて来た。
「アネージモ様を、とならないところがアレッシアにとっては悲しいところだな」
「他文化との関係ですから。身内からの信も失っている最高神祇官よりもアレッシア人を野蛮人だとみなしているエリポスから宗教会議に呼ばれるエスピラ様の方が受け入れられるでしょう」
ヴィンドの見方は、アレッシア国外の者ならば誰もが行きつく考えである。
当然、アレッシア国内にはそのことを良く思わない人間も多い。アネージモを無視してエスピラが宗教的に大事な位置に就くことなど、アレッシアを軽視しているようにも見えるのだ。
「無策で行ったところでどうにかなる問題でも無いけどな」
エスピラは、軽く目を閉じた。
「アネージモ様を送り込む流れに持っていくのは容易かと」
「ソルプレーサ様のおっしゃる通りです。例えサジェッツァ様とタヴォラド様の制御下を離れていないとしても、さほど変わらずにできると愚考致します」
「父上」
愛息に呼ばれ、エスピラは薄く目を開けた。
「これは、アネージモ様に失敗をさせて、父上が行くことを致し方なし、と言う見方を作るための算段ですか?」
声からは、あまり快く思っていないと言う響きが漂ってきている。
「そう言う話だな」
否定したくなる気持ちを抑えて、エスピラは肯定した。
気づかれないように大きく息を吐き、しっかりとマシディリを見据える。
「支持を得て動くのが賢いやり方だ。その方法は、自分を上げるモノも他者を落とすモノもある。悲しいが、後者が使われることの方が多い。不快かも知れないが、一門を率いるとはこういうことだ、マシディリ。どんな手を使ってでも守るべきモノが増えるんだ。
とは言え、だな。
今回はそんな手を使う気は無い。そんな時間は無い」
最後はマシディリから目を外し、真っ直ぐに正面を向いてエスピラは言った。
ソルプレーサとヴィンドがにわかに沸き立つ。もちろん、声は出ていない。空気が盛り上がり、両者ともに顔を見合わせるように動いたのだ。
「軍事命令権保有者と言う肩書が無くなってから二年。復帰には何の支障も無いでしょう」
ヴィンドが言えば、珍しくシニストラから衣擦れの音が聞こえた。
「少々早すぎる気もしますが、確かに今のエスピラ様にはほとんど元老院に味方はおりませんので丁度良い時期かもしれません」
ソルプレーサが言う。
まだ四番目の月。選挙まではまだまだ時間があるのだ。
だが、それでも。
「来年、私は執政官になる」
エスピラは、信頼できる者達の前でそう宣言した。
「三十三は若すぎるが、実績と血を考えれば文句はあるまい」
それから、革手袋の存在を確認するように左手を机の上についた。
ソルプレーサとヴィンドが頭を下げる。後ろのシニストラも下げた気配がした。
「平民側の執政官は如何致しましょうか」
「そこまで介入できれば良いが、今の私では難しいだろうな」
任地をカルド島にするのであれば、平民側の執政官も握っておきたかったが、仕方無い。
くじ引きに持ち込んで、不正をするのが一番確実だろう。
「ディファ・マルティーマを奪われるのではありませんか?」
と、シニストラが言った。
「丁度良い所にフィルフィア様が居る。カリトン様とフィルフィア様が居れば、余程の理由が無い限り介入はするべきでは無いと思うはずだ。無理でも、民会を焚きつけてグエッラ様の悲劇を繰り返す気だと刺激してやろう」
グエッラ・ルフス。
サジェッツァをやっかむ者やそう言った者達から利益を受けている者によって独裁官サジェッツァ・アスピデアウスの副官になった者。
当時は主流だったマールバラに対する積極的な会戦を主張してサジェッツァの足を引っ張り、結果としてインツィーアでの大敗北まで招いたとされてしまっている人物。
同時に、民会や護民官の力が強すぎたことの象徴。声の大きい愚か者が政治をしてしまった結果。
無論、グエッラ・ルフスは愚者では無い。
だが、愚者と言うことにされてしまっている。
「ああ」
と、エスピラは声を上げた。
まるで今思いついたようなあげかただが、音からは全くそんなことを思っていないのが丸わかりである。
「フィルフィア様にクイリッタを近づけよう。友好の、証として」
「危険ではありませんか」
シニストラが言った。
もしかしたら、目は一瞬だけマシディリを捉えたのかもしれない。
「何のためのフィアバ様だ。私はまだ交換条件の約束を果たしていない。果たすかどうかは、フィルフィア様次第でもあるとは思わないか?
まあ、脅しはあまり使いたくないけどね。
私は、純粋にフィルフィア様と仲良くなりたいんだ。戦争終結後のことも考えて、ね」
「母上は、あまり良い顔をしないと思いますが……」
マシディリが斜め下に目を逸らしながら言った。
「理解はしてくれるさ。態度に示してくれるかは分からないけどね」
エスピラは左の口角を歪にあげ、肩をすくめる。
とりあえずの方針は、フィルフィアの取り込み。もとい、エスピラ不在時にディファ・マルティーマに残ってもらい、余計な干渉を防ぐ存在になってもらうこと。
能力と、そしてディファ・マルティーマへの干渉はセルクラウスに喧嘩を売ると言うことを示唆出来ればそれで良いのだ。
「どのみち、フィルフィア様を味方につけて元老院からも一定の支持を得ないと厳しいでしょう。エスピラ様ご自身もフィルフィア様を味方につけたいとおっしゃっていたことがあったので、やるなら今かと」
最後にソルプレーサが言う。
頷いて、エスピラはどうフィルフィアを味方につけるかに話の方向をシフトしていったのだった。




