個人的な思惑
「兎も角、私の我儘によって不幸な結果となってしまうのです。
フィアバ様。どうか、その不幸を止める手伝いをしていただけないでしょうか」
エスピラは、姉に頼る弱った弟のようなモノを演じた。
フィアバの目が揺れ、メルアの方にも行く。メルアはさくらんぼを押し潰していた。
「…………精一杯頑張りますが、私からも頼みがあります」
メルアの意識が一瞬フィアバに向いたような気がした。
もちろん、動きは変わっておらず、エスピラから見える横顔も変わっていない。それでも、何となくそのような気がしたのである。
「何でしょうか」
目を戻し、やわらかい声を出して。
「ティミドを、クエヌレスから守ってはいただけないでしょうか」
なるほど。タヴォラド様の言っていたことは、こういう事も見越してか。と、エスピラは思った。
「あの子は上に立つのに向かない子なんです。それでもタイリー・セルクラウスの息子として人一倍の誇りがあります。少し頑固で、謝っているのに譲らないことも多い子です。
それなのにカルド島に軍団を率いて向かわせると言うのは、正直、良い想像はできませんでした」
弟離れした方が良いのではありませんか? と思いつつもエスピラはそれだけは言わない。
例えティミドがエスピラよりも年上で、九子であるメルアとも結構離れていてもフィアバにとってはまだまだ自分よりも小さな弟なのだろう。
「私はそのティミド様を罷免しておりますが?」
「元老院からの厳罰は徹底して拒絶しております。ティミドの罪を告発したのはエスピラ様ですが、ティミドの復帰の道筋を立ててくれたのもエスピラ様です。
あの子は優秀なんです。エスピラ様ならば、その長所を最大限生かしてくれると。そう、信じているからこそ頼みたいのです」
ふぅむ、とエスピラは太ももを一度人差し指で叩いた。
交渉の成立のためだけならば肯定すれば良いだろう。機会があれば、とすれば良いだけなのだから。
だが、問題はそれに波及する効果。実際どう変わっていくのか。
あるいは、国家を割りかねない争いをセルクラウス家中の出来事にまとめることが出来るのか、それとも広がってしまうのか。
「あら。結局私への想いなんてその程度じゃない。他の女と遊びたいんでしょう?」
その少しの時間に、メルアが思いっきり不機嫌な声をねじ込んできた。
エスピラは苦笑いを浮かべる。同時に、感謝も。
此処で引き受けても、それはメルアへの想いゆえにと他ならぬフィアバに示せるのだから。
「お約束いたしましょう。ティミド様に確たる非があれば話は違いますし、クエヌレスに一切非が無ければ何もできませんが。何かあった場合はティミド様をクエヌレスから守ることとティミド様に新たな活躍の場を用意することぐらいはできます」
「ありがとうございます」
とフィアバが頭を下げた。
エスピラだけにでは無く、メルアにも下げている。
「いえ。こちらこそよろしくお願いいたします」
エスピラも、頭を下げはしないものの下げていてもおかしくは無い声音で返事をした。
やさしさと安堵の笑みをフィアバに向けた後、メルアに向き直る。
「機嫌を直してくれないか?」
「別に。そもそも悪くなってないのだけど」
エスピラは背中に手を回し、メルアの両脇に手を入れた。
そのまま、ぐ、と引き寄せる。メルアの手にあったスプーンは皿に置き去りになった。
そして何より、子供にするようなそれでも一応動くほどにメルアは軽い。いや、抵抗が無いと言うべきか、協力的だと言うべきか。
「メルア」
背中から抱きかかえるようにして、メルアのお腹に手を回す。
「何」
「悪かったって」
「別に。しばらく子を為してない妻なんて貴方にとってはその程度なんでしょう?」
「そんな訳が無いだろ。七人も産んでくれて感謝しかないし、しかも授かり物だ。今はその時では無いと神々がおっしゃっているだけだよ」
密着しながら、エスピラはメルアに言う。
とてもじゃないが、人のいる前でする行為では無い。明らかにやりすぎであり、行き過ぎている。
「メルア。確かに私の我儘によって起きたことなのにフィアバ様から出された条件に頷くことが遅くなったのは謝るよ。でも、私はウェラテヌス。建国五門の一つでアレッシアの名門貴族なんだ。色々、考えないといけないこともあるんだよ」
「あっそう」
メルアはつれない。
「メルア。君がとても大事だと言うのは本当だ。他の男になんて一切見せたくないくらいだよ」
言いながら、エスピラはさらにメルアを抱き寄せて、ついに膝の上にのせてしまった。
フィアバが困ったようにチーズとさくらんぼの入った皿に目を逃がしている。
「お姉さまの前なんだけど」
言いつつも、メルアから逃げる気配は無い。
「そうだな」
言って、エスピラはメルアを膝の上から下ろした。
メルアがさくらんぼを潰す作業に戻る。
「いつもこんな感じなの?」
フィアバが聞くか聞かないか迷っていたような声を出した。
「難しい質問ですね」
と、エスピラは笑う。
本当に難しい質問なのだ。
肯定しても否定しても、それなりにメルアが機嫌を崩す未来しか想像できないのである。
「まあ、でも、最近はメルアがどうかを考えるよりも私が構いたいから構っています。結婚した当初はメルアの自由にさせてあげたいと言う気持ちや自信の無さから放置していることが多かったのですが、もうそんなことはどうでも良いかな、と」
むしろ、やや積極的な軟禁に近いことをしていたかな、とエスピラは少しだけ反省した。
改める気はほとんど無い。
「普通に考えたら逆になりそうなものですけどね」
結婚して長い方が自由にさせるようになる、と言うことだろう。
「そうなんですかね?」
ただ、エスピラにはあまり友人のケースを知らないので分からない。
その原因が、エスピラの家族自慢が始まってしまうからあまり夫婦関係などの話題を振られないのだとしても。きっと、他を知るために家族自慢を控えることは無いだろう。
「いえ。私の方が互いに愛人に構う時間が長くなってきていると言うだけかも知れません」
フィアバの言葉に、メルアが勢いよく顔を上げた。
フィアバが両手を小さくあげる。
「そう言うつもりじゃないよ」
そして、フィアバが慌てて言った。
メルアがたっぷり数秒睨んだ後、顔を皿に戻す。
「そう言うってどういうつもり?」
「えっと。エスピラ様にちょっかいをかけようとか、ね。プレシーモの姉上とは違って、そんなこと私はしないよ」
「別に。エスピラがどの女とどういう関係を持とうが私には関係無いんだけど」
はは、とフィアバの笑みが再び困ったようなモノに戻って行った。
そんなフィアバを見もせずに、メルアは潰し終わったさくらんぼの皿をエスピラの前に置いてくる。それから、自分自身の皿とスプーンもエスピラの前に置いてきた。
「可愛いでしょう?」
と言いながら、エスピラはメルアが潰したさくらんぼとチーズの混ぜ物を口に入れる。
直後に左太ももに圧がかかった。
目をやれば、メルアが「つかれた」と言ってさくらんぼ色に染まったチーズを睨む。
「お疲れ」
エスピラはメルアの皿からチーズをすくった。
メルアの顔の高さにあげれば、メルアが口を開ける。そして、口の中へ。
「そう言えば」
と、エスピラはメルアに餌付けしながら雑談を再開した。
度々メルアの口にチーズを入れ、自分自身も食べる。最初はスプーンを使い分けていたが、その内同じスプーンを共有して。
フィアバの戸惑いの視線を一切受け付けず、エスピラとメルアはほぼ初めてとなる異母姉との会話を進めていったのだった。




