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望まれぬ子、義務の子

「良かった。元気そうで」

 と、フィアバが胸をなでおろした。同時にエスピラが運んだ手紙も机の上に戻ってくる。


「フィルフィア様も法務官。立派な軍事命令権保有者ですから。そう心配されずとも上手くやっていけますよ」


 エスピラは、そんな義姉にやわらかく告げた。

 一見すると普通の笑みに見える愛想笑いが返ってくる。


「ティミド様に関しましては明らかに用いた側の責任でしょう。ティミド様の適性は軍団を率いることでは無く支えること。それを無視して起用し、あまつさえ屈辱的ともとれる人事を行うのは国を引っ張る者の行いではありません」


 その愛想笑いの意図が、エスピラと言う、フィルフィアにとって母を同じくする二人の弟に対して害を加えかねない者に対するモノだと知っていながら、エスピラは話を逸らした。


 エスピラの横では、メルアがつまらなさそうにさくらんぼを潰してチーズに混ぜ込んでいる。失敗して大きな音が鳴ってしまいそうなものだが、鳴らないのは流石は貴族と言うべきか。


「姉上の技量が不足していると」

「ええ。プレシーモ様が男であったならば、インツィーアで簡単に散っていたか、そうでなくともタイリー様亡きあとは財務官にも就けなかったでしょう」


 もちろん、財務官も高級官僚だ。

 そう簡単に就ける役職では無い。


「ちなみに、メルアさんが男だったら?」

「かわいそうなことにどこかのウェラテヌスに粘着されているでしょうね」


 質問がどこまでの官位に就けるかであるのに対し、エスピラはまたしても答えをずらした。


 困ったように笑いながら、フィアバがメルアに視線を向ける。


「本当に良い所に嫁げたんだね。ディファ・マルティーマに連れて行った時もそうだけど、今もずっと一緒にいるって皆噂しているよ。エスピラ様はメルアさんに心底惚れているって」


「別に。夜会の度にクロッカスの花を貰うような男ですから。女の扱いにも長けているだけでしょう?」


 フィアバの困ったような笑いが、エスピラの元に来た。


「メルア。私は、そんな誘いに乗ったことが無い」

「どうだか。貴方が夜の内に帰ってきていても、私には酒宴がいつ終わったのかなんて分からないもの」


 心なしか、さくらんぼを潰すメルアの手が力強くなった気がした。

 フィアバが困ったように眉を下げたままメルアを見ている。ただ、完全に参っていると言うよりは観察の要素も含まれているように見えた。


「でもほら、夫が人気者って良いことだよ」

「別に。私に何か利があって?」


「情けない旦那や活躍できない旦那よりは良いじゃない」

「それは、エスピラが情けなかったり活躍できなかったりする可能性をずっと考えてたってこと?」

「いや、そ」

「私。一応結婚してから十三年目なのよね。ねえ、お異母姉さま。そう言う言葉は十年以上前に言うべきでは無くて?」


「あまり自分の姉をいじめるな」


 ぼすん、とエスピラは左手をメルアの頭の上にのっけた。

 メルアの頭がエスピラの手によって下がった後、頭を振って払われる。


「プレシーモの姉上は、相当良かったようね」


 メルアが低い声を出した。


「そんな関係じゃないのはメルアが一番良く知っているだろう?」


 エスピラはメルアの方に伸ばしていた左手を回収する。


「申し訳ありません、フィアバ様。たまにアプロウォーネ様を引き合いに出されることもあるのですが、メルアはメルアでして。私たちの関係もまた他の人とは違うのです」


 さくらんぼを潰し終わってしまったらしいメルアが、エスピラの皿にも手を伸ばした。


 エスピラの皿のさくらんぼもメルアによって潰され始める。二人の六番目の子であるアグニッシモが居れば、「これでも」「くらえ」「とりゃ」「とりゃ」とメルアの動きに合わせて言っていたかも知れない。


「問題ありませんよ。正誤様々な噂は耳にしてきましたけれど、エスピラ様とメルアさんが想いあっているのは正しいようですから」

「誰が誰を好きだって?」


 メルアが低い声を出し、続ける。


「ねえ。もしかしてだけど、それは私たちがまるで奴隷の夫婦みたいだって言ってる?」


 不機嫌な声を出したメルアに、エスピラはさくらんぼの練り込まれたチーズを差し出した。メルアの口に消える。ついでにもう一口、と、エスピラは再度メルアの皿にスプーンを入れた。

 これも、ほどなくしてメルアの口の中へ。


「気にしないでください」


 笑って、エスピラは少し身なりを整えた。

 それからやや浅く腰掛けなおす。雰囲気も少し真剣なモノに。視線は真っ直ぐフィアバを捉えて。


「さ……それでは、本題に入らせてもらってもよろしいでしょうか」


 さて、と言いかけてエスピラは言葉を変えた。

 されど、メルアからは本気の不機嫌さがにじみ出てきてしまっている。


「本題、と言いますとシジェロ様についてでしょうか」


 処女神の巫女、シジェロ・トリアヌス。

 彼女への警戒は、残念ながらエスピラの私情でしか無い。


「はい。その通りです。ですが、あくまでも念のためですのでフィアバ様には難しい立ち回りを頼んでしまうかも知れません」


 ゆっくりと二度、エスピラは顔を上下に動かした。

 フィアバも足を整えて、エスピラにしっかりと向いてくる。


「タイリー様にはアプロウォーネ様と言う愛妻がおりました。私も形は違いますが、この上なくメルアを大事に思っておりますし、正直なところメルア以外の女性など要りません。家に居れば邪魔だとすら感じるでしょう」


「あら。ユリアンナとチアーラが可哀想ね」

「子供たちは別だ」


 メルアの言葉に、エスピラは声を低くして返した。

 メルアもそれ以上は何も返してこず、さくらんぼを潰す作業に戻っている。


「すみません。また話が逸れましたが、つまるところ私にとって他の女性に言い寄られることはただただ困るだけなのです。メルアと同じ愛情など、メルア以外に注げない。そんな男なのです」


「愛情?」

 と、メルアがぼやく。


「足りなかったか?」


 エスピラはメルアに一言だけ返して、再度フィアバの方を向いた。

 足りるものでは無いと思うのだけど、と言うメルアの言葉には心の中では納得しつつも反応は示さない。


「タイリー様は私よりも器用な方でしたが、それでもやはりアプロウォーネ様とパーヴィア様では対応に差がありました。その子の苦労と言う意味では、フィアバ様の方が良く御存知かと思います。

 二人の弟を政争に巻き込まれないようにしつつ、母親が失墜しないように気を配り、警戒を抱かせないように積極的に父親には近づかない。アプロウォーネ様の子供たちには敬意を示して一段下がった態度をとる。

 誰よりもフィアバ様が苦労を御存知だと思います」


 フィアバから困ったような笑みは消え、笑顔の名残だけが表情に残る。


「同じ女性として他人の恋を応援したい気持ちはあるでしょうが、その後のこともしっかりと考えて頂きたいのです」


 あるでしょうが、のところでメルアがいじっているエスピラの皿から大きな音が鳴った。

 ただし、今はもう何も言わずにメルアは黙々とエスピラの皿のさくらんぼを潰している。


「処女神の巫女は重婚が認められております。ですが、子作りの義務は免除にはなりません。もしもそうなった場合、当然私にとっては苦痛にしかなりませんし、それで産まれた子に対しては人質であるディミテラと同じような扱いになるでしょう。

 と言うのは少し正直すぎましたかね」


 最後は少し砕けた空気でエスピラは言った。


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