タイリー・セルクラウスの子供と言う事
先のタヴォラドの発言は、防御陣地の効果的な使い方も、エリポスの抑えも、軍団の忠誠心をモノにするのも。
フィルフィアならばできると言っているように聞こえてもおかしくは無かったのだ。タヴォラドがそれを意識せず、メルアの解釈もやや強引なモノではあるが、元老院で生きているタヴォラドならば想定して然るべき言葉でもある。
「メルア。責任を取らされていた私に再び活躍の場をくれたのはタヴォラド様だ」
「最初からフィルフィアの兄上を使っていれば、エリポスに骸が転がっていたんじゃない? そうなれば今頃フィルフィアの兄上はカラスの胃の中よ」
「フィルフィア様はフィルフィア様のやり方がある」
エスピラの言葉の後、タヴォラドが右手のひらを見せて来た。
メルアが噛みつかんばかりの勢いでタヴォラドを睨む。
「あの男の真似? それともあの男と同じ? どっちみち、不快なんだけど」
「メルア」
エスピラは低い声を出したが、セルクラウス兄妹は一切なにも変えない。タヴォラドが手をゆっくりと下げるだけ。
「父上は嫌いか」
「嫌いよ。大っ嫌い」
タヴォラドが嘆息した。
口元を右手の親指と人差し指で挟んで揉み、それからタヴォラドの口が開く。
「父上は、エスピラ君を一番高くかっていたんだがな」
「で? それが何か?」
メルアの絶対零度の声が多少やわらかくなっていたタヴォラドの声を叩き潰す。
「セルクラウスとしてできる限りの協力は約束したいが、私は民に人気が無い。ティミドはそんな私に近づこうとはせず、姉上は自分で権力を握りたいだけの女だ。クロッチェには逃げられ、コルドーニは既に居ない。
あまり期待しないでくれ。セルクラウスが盛り返してきたように思っているかも知れないが、それはまやかしだ。名前こそあるが父上の基盤は分割され、民はついてこない。姉上はさらに遺品を使って伸長を試みている以上私の一番の政敵になってしまった。
その現状を知っているからこそ、今の元老院がセルクラウスに力を持たせるように動いているだけだ。どうせ、自分たちの権力を本格的には脅かさないと思っているからな」
「本当に権力を奪われないほどに脆弱だとは誰も思っていないと思いますが」
言いつつ、エスピラはタヴォラドから目を切ってお茶を飲んだ。
真意はウェラテヌスに協力していられるほどセルクラウスに余裕は無い、と言ったところだろう。
あるいは、エスピラの本題に目星がついていて、話しやすくしているのか。
「まあ、ただその言葉を信じるのなら、せめてもの協力としてフィアバ様に会う算段を作っていただいても? タイリー様と約束をしていたのです。処女神の巫女に対してどう接するべきか、どうやってアプローチをかわすべきか。それを、カルド島から帰ってきた時に話し合う約束だったのです。
セルクラウスの後継としてのタヴォラド様を確立するためにも、義弟がタイリー様のやり残したことを代わりにタヴォラド様に頼んだ、と言うのはタヴォラド様にも益があると思います」
ただ、タヴォラドの真意はどちらにせよエスピラはその流れに乗ることにした。
最も大事なことは今年で処女神の巫女としての役目が終わるシジェロへの対策を用意しておくこと。シジェロは無理でも周りに枷を配置しておくこと。
タヴォラドと探り合いをしている時間は要らないのである。
「君の宣伝能力が味方になるのであればこの上なく心強いからね。私がセルクラウスの仲を取り持ったとしてくれるのであればありがたいよ。
願わくは、君と言うセルクラウス一門の関係者としてみれば二番手の存在と、少し距離がある継母上に最も近いフィアバの仲を取り持ったことを強調してくれれば、かな。そうなれば私にとってはこれ以上なくありがたい話だよ」
タヴォラドが二つ返事で引き受けてくれた。
エスピラもお安い御用だとタヴォラドの願いを受け入れる。
「これだけははっきりと言いたいのだけど」
まとまりかけた雰囲気に、メルアが冷水を突っ込んできた。
「セルクラウス一門の関係者としてみれば二番手の存在、と言うのは訂正して。セルクラウスの財を分け合う中でと言う意味なんでしょうけど、別の意味として喧伝できるもの。
ウェラテヌスは私の可愛いマシディリが継ぐの。こんな馬鹿げた家の下だなんて言われて黙っていられないのは、むしろ私では無くエスピラの方じゃないといけないと思うのだけど」
「その通りだな。気にしていなかったよ」
と、少しだけエスピラはタヴォラドに対する毒を入れてメルアに返した。
宣伝能力、情報に関する能力はセルクラウスを無視できるほどにウェラテヌスが圧倒しているから気にならなかった。嫌悪はしていないが、侮セルクラウスとでもいうべき状態だった、と。
もちろん、そこまでは考え過ぎで済む話のため、タヴォラドが何か言ってこないのも計算済みだ。
「タヴォラド様。念のために、訂正してもらっても?」
「構わないよ。セルクラウスだけに限った話の勢力争いでは君が二番手だが、アレッシアに広げれば上下は無い。ウェラテヌスとセルクラウスにも。君と私にも」
その言葉で、エスピラはタヴォラドにも正確に伝わっていたのだと確信した。
(何がセルクラウスに権力を持たせても安心だ)
自分の権利を守ることに関しては有能だとタヴォラドは今の元老院を評していたが、そうは思えない。
彼らはその内失脚するだろう。
今は臨時。それも、誰か少ない頭で動いた方が良い時期。
そう思っているからサジェッツァが音頭を取りやすくなっているだけ。黙っているだけ。
いつもの体制に戻れば、そんな奴らはコロコロ変わる可能性がある。居続けるのはインツィーアの戦いなどで優秀な人材を失い過ぎたから。マールバラが重点的に潰してきたから。
(人を減らす、か)
優秀な人材でないのなら。権力を守りたい人ばかりが増えたのなら。
そう言う組織は父祖の望むところでは無いとしてヴィンド辺りは改革を押し進める道具に使うだろうか、とエスピラは思った。
「セルクラウスの二番手はフィルフィアの兄上。エスピラはエスピラ。セルクラウスの勢力争いでは無く、エスピラが出ればそれはウェラテヌスとセルクラウスの争い。
私の嫌いな父上なら、その辺りは分かっていたと思うのだけど。
それとも、父上はウェラテヌスを下に見ていたのかしら。卑しい家だと。所詮は自分に支えられているだけの弱小家門だと。
ねえ。お兄様。どう思う?」
エスピラとしては満足のいく返答であったが、メルアはタヴォラドの言葉に満足しなかったようだ。
「タイリー様は私のお爺様や父上に恩があるからと」
「エスピラには聞いてないのだけど」
メルアがエスピラの言葉を遮った。
「メルア。君の姓は何だ」
タヴォラドが氷のような表情で言う。
「七人のウェラテヌスの母にして、現状唯一『ウェテリ』を名乗れる者よ。クエリを名乗っている姉上がセルクラウスよりもクエヌレスに力をつけさせようとしているのを見ていなかったのかしら」
「父上は」
「母上の面影があると言ってきた男が、此処まできて父上はとしか切り出せないなんて。母上もアルグレヒトよりもセルクラウスを優先していた、と言う認識で良いかしら」
タヴォラドの表情が少し変わった。
探るような目。興味が出てきた目。メルアを、しっかりと差し込むように探る目だ。
「父上と母上は普通の夫婦よりも仲が良かった」
言ってから、タヴォラドが右手のひらを見せて振った。それすらも慌てた様子で取り下げる。動きは早いが、表情はほぼ変えずに、取り下げた。
「メルア・セルクラウス・ウェテリ。予想以上だ。つい、油断したよ」
タヴォラドが、ふう、と息を吐いてからは声が半音低くなっていた。
「あら。今更?」
メルアが飄々と言う。ただし、視線は見下すようなモノ。
「今更だ。認めよう。舐めていた。所詮は姉上クラスか狂人かと思っていたが、正しくタイリー・セルクラウスとアプロウォーネ・アルグレヒト・セルクエリの娘だよ。
エスピラ。フィルフィアの身の安全を約束して欲しい。そうすれば、クエヌレスに対して共同戦線も張ろう。どうだ?」
クエヌレスに対してなど、あまり意味は無い。条件は限られてくる。
だが、フィルフィアの身の安全を求めていることに対する対価は、これでないと駄目だろう。無論、実際にフィルフィアを人質にしようとすればセルクラウスからやってくるのは剣であるはずだ。そもそも、本当に人質として扱えば、アレッシア人らしく無視して剣しか渡してこないはずである。
「私は構いませんが、今はメルアと話をしているのでは?」
条件は受け取りつつもエスピラはメルアに会話を任せる。
「メルア。フィルフィアの身の安全を求めた意味が分かるな」
「いえ。どれが言いたいことなのか、さっぱり。兄上と過ごしたことなどありませんから」
「……密約を文字に残しておこう。処女神の巫女の被害者たちが新たな被害者が出るのを防ぐために働く。その代わり、タヴォラド・セルクラウスがタイリー・セルクラウスの正当な後継者だと認める」
「話が違うのでは? エスピラが認めたのは、セルクラウスを纏める者、のはずだけど」
「失礼。そうだったな」
メルアだから出来た訂正だろう。
少なくとも、セルクラウスに恩義も感じているエスピラはすり替えに気が付きつつも打てる手は後々に「セルクラウスの『家の』後継者だと認めただけだ」と言うぐらいである。
「セルクラウスの家中を纏める者はタヴォラド・セルクラウスだと認める。同じく弟のフィルフィア・セルクラウスがディファ・マルティーマの屋内で死ぬことは無く、対価としてウェラテヌス・セルクラウス両家ににたかるクエヌレスに対しての攻撃はタヴォラド・セルクラウスも協力する。
これで、良いな?」
「構いませんよ。三枚用意しましょうか」
セルクラウスと、ウェラテヌスと、処女神の神殿に保管する用に。
タヴォラドもそれを認め、それから奴隷に準備をさせたのだった。




