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”はじめまして”

 ソルプレーサが戻ってくる。伴っているのは二メートルはあろうかと言う大男。体躯は丸太のように太いわけでは無いが、しっかりと筋肉がついており、勇士に見える。反面、密かにディファ・マルティーマに来るには適していないようにも思えた。


(足音は静かだったな)


 体格による評価を止め、エスピラは晩餐会用の笑顔のまま口を開いた。


「案内した先が書斎ですまないね。だが、アレッシアは基本的に書斎で客人を出迎えるんだ。自身の被庇護者であれ、目上の元老院議員であれね。決して悪しき意図では無いと覚えておいてくれると嬉しいな」


 そして、エスピラは流暢なエリポス語で言った。


「お気遣いありがとうございます。されど、アレッシアの文化についてはある程度頭に入れているつもりですので、今回が如何に平等に扱ってくださっている結果なのかは理解しております」


 やや感情の感じられない淡白なエリポス語で返事がやってくる。


(そして、アレッシア語ができないとは言っていない)

 と思いつつも、エスピラも今確かめようとは思わない。確認が取れるに越したことは無いが、下手に探りを入れて気分を害される方が困るのだ。


「それは心強い。スクリッロ将軍は、良き人を見繕ってくれた」


 感謝を、と呟いてエスピラは左手中指に革手袋の上から口づけを落とした。

 それから鈴を鳴らし、奴隷を呼ぶ。


「スクリッロ様はエスピラ様を間近で見ておりますし、エリポスでのご活躍も耳にしております。それから、エクラートン内部に居るハフモニ勢はマールバラをも防いだディファ・マルティーマの防衛設備に興味津々の様子でした。どのような情報でも貪欲に食べているようなモノです。神の御導きによって北方諸部族が死んだ、との話も聞いております」


 一騎討ちの時の話だろう。

 正確な情報が伝わりにくい中で長距離を長い時間かけて伝わるのだから、どう変質していてもおかしくは無い。


「過剰な期待は少し怖いモノがありますがね」


 エスピラは苦笑いをしつつ、耳で近づいてくる足音を捉えた。


 やってきたのは呼んでいた奴隷。チーズのはちみつ和えを大男の目の前に置いてくれる。

 それから、エスピラ、シニストラ、ソルプレーサ、ルカッチャーノと順番に置いてくれた。


「どうぞ。と、そう言えば自己紹介が遅れておりましたね。御推察の通り、私がエスピラ・ウェラテヌスです。左手の革手袋、体を隠すようなペリースなどは他のアレッシア人はすることが無いでしょうから、顔では無くそちらで覚えて頂いても結構です。

 そして、私と共に居るのが手前からシニストラ・アルグレヒト。ソルプレーサ・ラビヌリ。ルカッチャーノ・タルキウス。

 シニストラは私の傍におりますので会う時は良く一緒になるでしょう。ソルプレーサはカルド島での情報網の構築に当たっているので、紹介は不要でしたかね。ルカッチャーノはカルド島に居るアレッシアの将軍スーペル様の御子息。これは本国には秘密なのですが、折を見てカルド島に行く予定です」


 マルテレスの侵攻が予想以上に早く、エスピラがディファ・マルティーマに居てはサポートができないからこその措置でもある。

 不要ならばそれに越したことは無いが、ルカッチャーノとしても父であるスーペルの力になりたいらしいので留めておくよりは、と言う意図もあってのことだ。


「スクリッロ将軍旗下、ボレアス・ネスリトスと申します。以後、よろしくお願いいたします」


 大男、ボレアスが丁寧に頭を下げた。

 エスピラは人当たりの良い笑みを浮かべて「よろしく」と返す。


「さて。早速だが、君がどこまで情報を持っているのかを知りたいな。マルテレスがスカウリーアとパンテレーアを攻略したことは既に耳に入っていると思っても良いかい?」

「風の噂にはなりますが、エクラートンを出てすぐに耳に致しました」


 うん、とエスピラは頷いた。


 スカウリーアとパンテレーアはカルド島西端とも言うべき場所にある港町。対してエクラートンは東側にある良港を持った巨大都市。そこで情報を既に手に入れていると言うことは、ある程度情報網の構築にも成功していると言う話である。


「十分だ。素早い対応に感謝するよ」

「いえ。全てはエスピラ様の徳の賜物。七年前に傭兵としてエスピラ様に雇われた者たちが良く協力してくれているとスクリッロ様は申しております」


 なるほど。金払いは良かったからな、とエスピラは思った。

 もちろん、その時は今がこうなっているなど想像していなかったが、役に立つのなら利用するまで。


「それはありがたいですね」


「ですが、同時にアレッシアに対しては少しの不信感もあります。何故、エスピラ様が来ないのかと。

 ティミド様は器に非ず。スーペル様は血筋も力もありますが兵が足りず。マルテレス様は確かにカルド島に来た者ではありますが、軍団は全くの別物。将としてカルド島を席巻するだけの力はありますし、向かうところ敵なしではございますが統治能力に欠け、無駄に損得を度外視することがあります。悪戯にエクラートン攻略を先延ばしにしているようにしか思えません」


 怒っている様子は無く、事実を紡ぐだけであるかのようにボレアスが言った。


「エクラートンの王族は既に絶えてしまったのでしょう? その状態で、長く結束が保てるとは思えないのですが」


 エスピラは眉間に軽く皺を寄せて疑問を口にした。

 ボレアスが顎を引いて頷く。


「王族に関しましてはスクリッロ様がまだ探されております。

 結束については、ただ一つ。エクラートンが誇る天才の発明した武器があればアレッシアを寄せ付けない。その実績が出来てしまいましたから。

 マルテレス様は今のアレッシアで最強の将軍でしょう。だからこそ、そのマルテレス様が海からの力攻めに失敗し、壁の破壊にも失敗した以上は、ハフモニ方のエクラートン勢は己が街を守り切れる自信を深めたのです。


 前王が言った通り、アレッシアに支援をし続けることに不満を覚えている者もおりましたから。その者たちを中心に、エクラートンはひとまずの結束を見せております。


 最悪なことにマルテレス様が内応させようとした時もマルテレス様がある男の参加を断った所為で計画が露見いたしました。参加できなかった腹いせに密告するような者を見抜いていたと言えば将器がございますが、結果から見れば悪手。


 それもあって、マルテレス様は他の場所での勝利を重ねているのでしょう」


「内応を試みた時、スクリッロ将軍は何を?」

「機は今では無い。そう申されておりました」


「何が望みだ?」

「答える必要は無いかと愚考致します」


 エスピラは、笑みを不敵なモノに変えて、とん、と一度机を右手人差し指で叩いた。


「その技術者とやらを、アレッシアに引き込めるのか?」

「ハフモニの者達も本国に掛け合っているそうです。何せ、アレッシアの包囲は包囲に非ず。食糧の運び込みもできてしまうほどに不完全な包囲ですので」


「だから君も簡単に此処に来れた、とは言うまいな?」


「私は私の力に自惚れるつもりはございません。警戒網の薄さは確実にあるでしょう。アクィラと呼ばれている防御陣地で捕まりはしましたが、他の地ではこの大きな体躯でも問題ございませんでしたから」


 真顔で言い続けるボレアスに、エスピラは大きな笑いを返した。


「元はエリポスに居る私の元にマールバラの接近を素早く伝えるために。次にマールバラの軍団を散らばらせ、連絡を遮断するために長い年月をかけて洗練されて行った警戒網だ。数か月で作られたモノとは訳が違う」


「自分の力に自惚れるつもりが無い、と言うことですよね。私と同じではありませんか?」


 ボレアスが表情を変えずに顔を横に倒した。

 少し現実離れしており、フクロウやそう言う類の生き物にも見える。


「アレッシアの力だ、ボレアス。勘違いしてはいけない」


 ほら、とボレアスのガラス玉のような瞳が言ったような気がした。


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