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白と黒と、まだら模様

 それから、エスピラは慌てたように笑顔を取り繕う。


「いえ。忘れてください。少し忙しくて弱気になってしまっただけです。思えば当然のこと。どうぞ、私の身の潔白を証明するためにもお好きなだけ投石機でもスコルピオでも情報を持って行ってください。求める限り提供いたします」


「感謝いたします」


 少しだけぎこちなくフィルフィアが礼を言ってきた。

 エスピラは口角を上げたまま目を閉じて、ゆるやかに首を横に振る。


「お礼なんていりませんよ。当然のことをしただけですから」


「流石はウェラテヌスの当主にしてエリポスを抑えた者。私などでは、とうに及ばない存在になってしまったようですね」


「ご冗談を。フィルフィア様は、そんな者の上に立って、育てた全てを活かすために法務官となりディファ・マルティーマに赴任するおつもりなのでしょう?」


 にっこりと、エスピラとフィルフィアは笑い合った。


「大丈夫ですよ。軍団も防御陣地も兵器も。全て開示しておりますから」


 それから、エスピラはゆっくりと言う。

 フィルフィアも「流石ですね」と重ねて来た。


「ただ、一つこれまで以上に上手く行くための助言をさせていただくのであれば、本当に法務官としてこの地に赴任するおつもりでしたら新たに一個軍団を編成した方が良いでしょう。

 ディファ・マルティーマの兵のほとんどは戦い続けております。少しの休息を与えても良いのではないでしょうか。

 何せ、文化的先進圏『だった』エリポスと戦い、その後は怪物マールバラの注意を度々引いているのです。その疲労は、恐らく元老院の方々が考えている以上のモノですよ」


「検討いたします」


 フィルフィアの言葉を聞きながら、エスピラはお茶を飲んだ。

 ほう、と一息つく。雰囲気もさらに緩めた。


「カルド島では快進撃が続いておりますね」

 と、エスピラは切り出す。


 フィルフィアが、エスピラを注視してきた。


「ええ」


 真意を測りかねているような声で返事が来る。


「マルテレスも責任者としてはタイリー様が初めて高く用いたようなもの。タイリー様は、本当にすごい方だったと死後も実感しております」


 フィルフィアの言葉が少し止まった。


 当然と言えば当然だ。

 フィルフィアの母はパーヴィア。タイリーには愛する妻アプロウォーネが居たのに、占いの腕やコネを使ってタイリーの妻になったような元処女神の巫女。その扱いは、アプロウォーネとの間の子供たちより低かった。

 そして、エスピラは実子では無いのにも関わらずタイリーにたくさん可愛がられていた者。


 思うところが無いはずが無い。


「スコルピオの火力。顔を繋いで置けたエリポスの方々。そして他国にも聞こえたタイリー様の名声。まさに、私が事を為せたのはタイリー様のおかげ。そしてセルクラウスのおかげです。

 さかのぼれば蔵が空で放っておけば潰れたかもしれないウェラテヌスを目にかけて頂いておりました。結婚の持参金としてアレッシアにあるウェラテヌス邸を保持し続けていただき、出産祝いなどで私の手に再び戻ってまいりました。

 セルクラウスには本当に感謝しているのです。もちろん、一部の恨みもありますが、感謝の方が圧倒的に多いのです」


「それは、私ではなく兄上にお伝えになっては?」


 フィルフィアが言って、お茶を飲んだ。

 少し長くカップを持っている。


「恥ずかしくて言えませんよ」


 エスピラは少し砕けた笑みを見せた。

 それから、お茶を口にし、フィルフィアと同じタイミングで机の上に戻す。


「それに、言わなくても伝わっていると……いや、言わねば伝わりませんね。この前も、それでクイリッタとの間にひと悶着あったばかりでした」


 フィルフィアが少しだけぎこちなく相槌を打った。


「本当に、メルアが居たからすぐに事は収束できたのですけれども。いやあ、多くの人に迷惑をかけてしまい、本当に貴族としてどうなんだと言ったところでしたね。

 まあ、良かった点としましてはクイリッタもやはり優秀だったと分かったところでしょうか。まだ九歳なのですが、人の懐に入るのも関係性を把握するのも上手でして」

「フィルフィア様。止めないと長くなりますよ」


 エスピラの言葉をソルプレーサがちぎった。


「君が止めてどうする」


 エスピラは、苦笑いを浮かべてソルプレーサに言葉を投げた。


「それが仕事ですので」


 ソルプレーサが慇懃に言う。


「さて。話の続きを」

「いえ。私も、クイリッタ様の優秀さは十分に知っておりますので。そうでなければオプティアの書の管理委員に推薦いたしませんし、目もかけませんよ。兄上が様子を見に行っていたのですから」


「そうですか?」


 残念そうに言って、エスピラは唇を尖らせた。

 少し困ったようなフィルフィアをよそに、エスピラはすぐに顔を輝かせる。


「優秀と言えば、サジェッツァの息子も中々に優秀でして。何よりもすぐに悪い所を反省できるのが素晴らしいと思います。反省し、改善を試みるのです。言うは簡単ですが、中々できないことですからね。しかも父親は今やアレッシアで一番の権力者。ついつい傲慢になってしまいがちなものですが、パラティゾはそんなことが無い。友人も、本当に良い息子に恵まれました」


 そして、またもや表情を曇らせる。


「だからこそ、少し不安なのです。嫌な噂が流れておりまして。いえ。マシディリが払しょくに務め、パラティゾの良い話し相手になってくれているのですが、それでもなのです」


 エスピラは両手でお茶の入ったカップを包んだ。

 右手はぬくもりを感じられるが、革手袋をはめている左手は何も感じられない。


「最近の噂では、フィルフィア様が送られてくるのはパラティゾ様が用済みだからだ、と言うのが最も悪質でしょうか。役立たずのアスピデアウスの後継者に代わって元老院に従順なセルクラウスの四男坊を送り込む。根も葉もない噂ですが、パラティゾは心を痛めているようです」


 マシディリが親身にパラティゾに接しているのは流石に知っているだろう。

 パラティゾも手紙を書いているのだから。少なくとも、サジェッツァは知っているはずである。


「それは、困りましたね」


「ええ。ですから、パラティゾに会ってやってはくれませんか? その不安を取り除けるのは、そのセルクラウスの四男であるフィルフィア様だけなのです。できれば、サジェッツァの様子やサジェッツァからの言葉があれば最も安心するでしょう。

 まあ、私は実の父親から何か言われたような記憶が無いので想像に過ぎないのですがね」


 でも、タイリー様は本当に良き人でした、と付け足すのも忘れずに。


「確かに、その悪質な噂はすぐに払しょくした方がよさそうですね」

 と、フィルフィアが言う。


 ええ、とエスピラは肯定を示して再度頷いた。


「今、会いに行っても?」

「大丈夫だと思いますよ」


 エスピラがそう答えれば、フィルフィアは後ろに立っている二人と打ち合わせを始めた。


 ゆるーりらとエスピラは待ちつつ、お茶を空にする。


「それでは、また。設計図を受け取る時などでもよろしいでしょうか?」


 打ち合わせが終わり、フィルフィアが尋ねて来た。


「構いませんが、それより前に一緒に夕食でもどうですか? 子供たちも伯父に会いたいでしょうし、メルアの顔も見たいでしょう?

 もちろん、フィルフィア様の予定を詳しく詰めてからで構いませんよ」


「ありがとうございます。早速ですが、明日、などは如何でしょうか?」


 確かに今日の今日は両者ともに厳しいだろう。


「ええ。では、その時に今日の続きも話しましょう」


 だから、エスピラは笑顔で明日に乗った。


「はい。それでは」


 フィルフィアもやわらかい表情で返してから退室して行く。

 扉が閉まり、足音が離れていく。奴隷にも下がるように伝え、足音が一時増えた。そして、減る。


 室内にはエスピラとソルプレーサ、シニストラの三人のみ。


 そこで、ようやくエスピラは笑顔を消した。


「灰色だな」

「疑われている、警戒されていると言う意味では真っ黒ですけどね」


 エスピラの言葉に、ソルプレーサが軽く返してきた。


「活躍した者に、不当な仕打ちを与える。そんな国家だと思われたくは無いな」


 エスピラは溜息交じりに吐き出した。


「国家の転覆も、アレッシアの実権を一人で握ることも狙っていないのに、何故エスピラ様だけ警戒されているのでしょうか」


 シニストラが低いながらも戸惑いを感じ取れる声を出した。


「エリポスと深いつながりがあるようにも見えるからな。外国の顔色を窺うような奴を元老院には入れられないだろう。それに、売りつけられたとはいえ少しだけ敵対姿勢を明らかにしてしまっているしね」


「仕掛けてきたのは向こうです」

「私の責任が零になるわけでは無い」


 呟き、深く腰掛ける。


「国家を割りたくないのであれば、エスピラ様が権力を握る以外にあり得ないでしょう。その椅子は、一つで十分かと」


「戯言が過ぎるぞ、ソルプレーサ」

「本当に戯言ですか?」


「……今は、客人が居る。防御陣地の方が知りたいのに、我慢している客人がな」


 なるほど、とソルプレーサが頷いた。


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