花と飾り
今回の晩餐会の注目はやはりメルアである。
しゃべらなければ間違いなくアレッシア一の美女の名を冠せるとはエスピラだけの考えだが、あながち間違いではないのではないかと言うほどにメルアが視線を独り占めしていた。
そこまではウェラテヌスとしても良かったのだが
「エスピラ様の御祖母様はタルキウス一門の者。エスピラ様の子の代か孫の代にまた婚姻関係を結べればと思っております」
などと、エスピラの本懐は遂げられていない。
(そもそも御祖母様はタルキウスの本流。貴方の父君とは従姉だから婚姻に支障は無いはずですが?)
幾度目かの明確な拒絶を示してきた夫妻の背中を眺めながらエスピラは心の中で毒づいた。
一門の本流からは少し外れた者ですらこれなのである。
タルキウスはウェラテヌスと繋がる気が皆無なのであろう。
そもそも、本流がエスピラの風下に立つ可能性は低いため、妹の要望に応えるためにも狙ってはいないのだが。
(かと言って)
エスピラはタイリーと話している男に目をやった。
男の名はメントレー・ニベヌレス。白髪交じりの永世元老院議員だが未だに筋骨隆々で精力的な男である。
ニベヌレスのほぼ全てを担っているような男であり、メントレーの息子は三人中二人が財務官どまり。二人の甥も官位を歴任はしているが前法務官以上の地位に就いたことは無い。エスピラの前後十年に収まる三人の孫たちは財務官になっていない者も居る。高齢のこの男が死んだ後のニベヌレスがどうなるかは謎なのだ。
沈みかけた船に手を差し伸べるには共倒れするほど今のウェラテヌスは弱く、一代の傑物であるならばメントレーもウェラテヌスに魅力を感じてはいないだろう。
(先行きが分からないからこそ風下におけるとも言えるが)
主賓であるメルアに積極的に声をかけている、欲望を目に宿した男共が義弟になる?
そんなの、ごめんである。
流し目で男共の劣情を煽っているメルアもメルアだ。
自分の魅力を十分に分かっていると言えば聞こえは良いが、目の前でやられてエスピラも黙り続けることなどできるわけが無い。
「メルア」
少々いかつい声で呼びかけると、メルアがエスピラの方を向いた。口角は上がっている。
話しかけてきた男共は動こうとはしていない。
エスピラがすぐに離れるとでも思っているのだろうか。
あるいは、狭量だとあざ笑う気なのだろうか。
「あら。お話はもうよろしいのですか? 良いのですよ。今日は。私に気にせず。私も私で楽しみますから」
少しだけメルアの後ろの男共がわいたように見えた。
この瞬間に、エスピラの中で婚約者候補からニベヌレスが削除される。同時にマルテレスの護民官選挙についてもメントレーさえ敵にならなければ良いと判断した。
散々失礼で意味の無い断り方をしてきたタルキウスには、一応、失礼の無い態度を取り続けたのだ。多少ならば、舐められない意味もあって良いかも知れない。
「私は、いつも妻を自由に楽しませておけるほど懐の大きい夫では無いのでね」
エスピラはわざと赤紫のマントを捲るように揺らして、革手袋をはめている左手でメルアの目を隠すようにして抱き寄せた。
マントがめくれたことによって、メルアにちょっかいをかけていた男共には丁度エスピラの所持している短剣が見えたことだろう。いや、見せたのだ。
(一連の動きの意味を二つ以上理解できないのならば、ニベヌレスに用はない)
セルクラウスの中のタイリーとタヴォラド、ルキウス。アスピデアウス一門が抑えてあれば十分。タルキウスとは敵対しなければ良い。
メントレーだけならば最悪消すか、とまでエスピラは発想が飛躍した。
「こちらも配慮が足りずに申し訳ありません」
から始まる適当なおべっかに、少なくとも一つ以上は理解したのだろうとエスピラは判断した。
聞き流し、いつもの良い男を装っている内に憤りの大部分も霧散していく。
別にいいやと。怒る必要は無いと。
エスピラが望んだ結末では無いが、妻に手を出したから訴えたと言う噂もあるベロルス一門の凋落を考えれば男たちも下手なことはしたくないのだろう。
そのベロルス一門を叩き潰した男は異母弟であるティミドと共にサジェッツァと歓談していてこちらを見てはいない様子ではあるが。
官位のはく奪と三年間の選挙活動の禁止。名誉回復のために臨んだ北方諸部族との戦いでは一切の功績が無く。
まあ、これは目立った戦い自体が無かったこともあるが、騎馬にこだわり一騎打ちをしなかったのが悪いとも言えるだろうか。
兎にも角にも、ベロルス一門は未だにハフモニに魂を売った可能性が高く、またアレッシアの腐敗を試みた一門と見られている。そうでは無いとしても、ハフモニの汚い手を見抜けずに先兵にされた能無し、と。
被庇護者が大きく減ったわけでもないし、三年辛抱すれば何事もなく公職に就けるのだが愛人は大きく減っただろう。能無しの血は残してはいけないのがアレッシアの不文律なのだから。
(確実にトリアンフ様の代わりに攻撃されただけだけどな)
エスピラの中にベロルス一門に対する同情の考えは浮かんだが、同情の気持ちは出てこなかった。
「仲良きことは美しきことかな」
弦が緩んだような声が聞こえ、エスピラは振り向いた。
声の主はフィガロット・ナレティクス。アレッシア人らしくなく脂肪で少しばかり膨らんだ腹部を持つ男。丸顔は元からか、あるいはサジェッツァ曰く『酒池肉林の日々』の所為か。プラチナブロンドの髪は薄く、目はくぼんではいるが若い時は美形だったのだなとそれでも分かる顔つきである。
「そう評していただけるとはありがたい限りです。タイリー様がわざわざこのような場を設けてまで紹介した自慢の娘を妻にできたのですから」
エスピラはメルアから手を放し、受けの良い笑みを浮かべた。
満足そうにうなずいたフィガロットの目がメルアの方を向き、上から下まで動く。さらに下から上へ。
「時にフィガロット様はアグリコーラで大規模な農地を作り出したとか」
嫌な視線をメルアから外すためにエスピラは完全に調べがついている話題を口にした。
「正確にはアグリコーラの近くで、だがね。我がナレティクス一門には財が腐るほどありましてねえ」
「それは使い道を知らないからだ」
との言葉は、しっかりと呑み込んで。
セルクラウスには及びませんよ、ともエスピラは言わなかった。
「セルクラウス一門には及びませんが、それこそ嫁入りのための持参金を受け取る必要が無いほどにあるのですよ」
フィガロットが片側の口元を上げた。
分かっている笑みである。少なくとも、エスピラはそう思った。
「アグリコーラの周りは平地が広がっておりましてねえ。港も大きくは無いのですが十分にあるのです。移り住むには良い土地。人も多く、まさに半島第二の都市。一門を二つに分けるならアレッシアとアグリコーラに置くのが良いでしょうな。いやはや、これはエスピラ様に言うまでも無かったですな」
妹を寄こしたうえでナレティクスの風下に立て、と暗に言っているのだろう。
もちろん、完全に言い逃れできる言葉選びで。
「と言うことは、フィガロット様は第一線を引く気なのですか? 後継者は……ご子息は二人とも財務官を三回は経験しておりましたね」
もう一人は既に亡くなっているが。
「そのようなつもりはありませんよ。名門ウェラテヌスの期待の当主を間近でみたいですからな」
「ではアグリコーラにはご子息が? それとも、お孫さんが嫁を娶って行かれるのですか?」
「一門として良い付き合いができる嫁が居れば、ですがね」
フィガロットの目がメルアの胸部と腹部に行ったのをエスピラは見逃さなかった。
(無しだな)
要約すると結婚してやっても良いが妹はアグリコーラに行って、メルアと肉体関係を結ばせろと言うことだろう。
「気持ち悪い。ハゲ男。馬にも乗れない貴方は酒樽に乗っかるのがお似合いではないですか? いえ、酒樽にも乗れませんね。中に入って、ぐるぐると回って。行きつく先は猛獣の前。その方が『アレッシア』のためになるのではなくて?」
エスピラがメルアを抱き寄せようと力を入れた瞬間に、メルアがマルハイマナの言葉で真正面からフィガロットを罵倒した。良い笑顔と共に、である。
当のフィガロットは言葉の意味が分からないのかてらてらとした笑みを浮かべたまま。
メルアの言っていることが、『アレッシアの義務も放棄したクズ男』『最下級の奴隷としても要らない』『ウェラテヌスやセルクラウスの益には微塵もならない』『ベロルス一門のようにしてあげようか』、と言う意味だと知ったらこの笑顔は無くなるだろう。
「猛獣だってお腹は壊すからな」
エスピラは心から笑って、同じくマルハイマナの言葉でメルアに返した。
「何と?」
良い会話だと思ったのか、やや浮ついた声でフィガロットが聞いてきた。
「夫婦の秘密の会話を聞こうとするなんて、無粋ですよ」
アレッシア語で返すと、エスピラはマントに隠すようにしてメルアを抱き寄せ、フィガロットの前を去り、酒宴に戻っていったのだった。




