弱った獲物の下に短剣を隠しているのは
「エスピラ様から誤解を解くことはできませんか?」
フィルフィアがエスピラの動きを演技だと見抜けたかは分からない。だが、フィルフィアも深刻そうにそう聞いてきた。
「難しいでしょうね。何せ、知りたいと言う名目で近づいた、あるいはそれが真意だと主張されても後出しならば誰も信じないでしょう。
此処にいる軍団のことを、防御設備のことを、仕組みのことを。全てを一番よく知っているのは私なのですから。その私に打診せず、私が選んだ者にも打診しない。
残念ですが、大衆は信じてくれませんよ。流されやすい方に、信じたい方に動くのですから。此処は、タヴォラド様の苦肉の策から逃れて来た者もおりますし」
アレッシアでの公演や開催を禁じられている劇団や戦車競技団の者達のことである。
ついでに、販売を制限されている酒関係の者も集まりつつあるのだ。
エリポスの技術者を厚遇で迎えているのもあって、道楽で研究を進めていた者たちが資料を保管したり、研究を進めたい解放奴隷が来たりもしている。
「しかし」
分かっています、とエスピラは両手のひらを下に向け、数度動かした。
フィルフィアが言葉を閉じてから、口を開く。
「私を軍団に入れては意味が無いから、ですよね。四年間も軍事命令権保有者で、今も軍団長。流石に切り離さないといけない。分かっておりますとも。その苦悩も。タヴォラド様の政策が間違っていないことも。私はむしろタヴォラド様が居なければアレッシアは無かったと思っている側の人間ですから」
フィルフィアが力強い眼光で頷いた。
眉に力が入っているのか、いつもより彫が深く見える。
「一人一人は優秀でも、集団になれば大分愚かになってしまうモノです。それを痛感しているからこそ、副官を断っている、と言うのもあるかも知れませんね。好き好んで敵を作りたくはありませんから」
「同じアレッシアでしょう?」
「ええ。私たちもアレッシアのために命を懸けて戦っております。命を懸けて、マールバラから時間を稼いでおります。そのことはフィルフィア様ならば良く分かってくださいますよね」
フィルフィアが頷いた。
「だからこそ、私がアグリコーラ攻略からこちらに回されることになったのだ」
「ええ。ですが、問題はそこなのです。元老院はこれまで最初の支援だけで、マールバラに対抗するための援軍も断り、あまつさえ私を排除しようとすらとられかねない人事を敢行しようとしておりました。ディファ・マルティーマを中心とする半島南部では、アレッシア元老院に対する不信感が渦巻いているのです。
アスピデアウスもセルクラウスも、結局は政争がしたいだけ。自分が実権を握りたいだけ。権力に溺れ始めている。
そんな風に思う者が出てきていて、抑えるので私も手一杯なのです。だから私も軍団から身を引いて街の整備に取り掛かっていたのです。
フィルフィア様。申し訳ありませんが、その上誤解を解くことまで私が行うのは、正直厳しいかと思います」
力不足で申し訳ない。
本当は協力したいのにすまない。
もう少し、ウェラテヌスに力があれば。
そんな悔恨を滲ませた表情を作り、エスピラは拳を硬くした。
フィルフィアからは少し戸惑ったような雰囲気が漂ってくる。
「フィルフィア様の場合はタヴォラド様に従うことを表明こそしておりましたが、その時はエスピラ様とタヴォラド様の仲がよろしくなかった時期。それを思えば、エスピラ様の味方では無いと思われても仕方が無いかと」
「ソルプレーサ」
「申し訳ございません。しかし、エスピラ様。目的とやっていることが噛み合わないのです。噛み合うとすれば、それは邪推によって。ディファ・マルティーマの権限をエスピラ様から奪おうとしていると言う誰もが行きつく単純で愚かな考えになってしまうのです」
「ディファ・マルティーマについて知りたいのであれば、ロンドヴィーゴ様を副官にするだけで良いのでは? どうせ軍団を使うのなら、軍団長補佐や百人隊長に聞くだけで防御陣地は分かりますし。フィルフィア様に他意は無くとも邪推は起きて当然だと思います」
エスピラが入った時からずっと黙っていたシニストラもソルプレーサに同調した。
「ロンドヴィーゴ様では、逆効果ではありませんか? それに、副官として魅力的かと言えば足を引っ張られる未来しか想像できません」
フィルフィアが左目を細めて嫌悪感を露わにした。
「フィルフィア様。彼は一応、ウェラテヌスと婚姻関係にある一門の長です」
「ロンドヴィーゴ様が訴えられた時にエスピラ様は守るのですか?」
「ジュラメントの擁護はしますよ。もちろん、全力で。受け継いだ私財を渡すかの様な勢いでジュラメントに火の粉が降りかからないようにはさせていただきます」
フィルフィアは、タイリーの後継者争いの時にタイリーから受け継いだ物の一部を差し出している。そして、兄であり裁判と直接の関係の無い兄タヴォラドに従う姿勢を示していたのだ。
「そう言えば、欠員が出たオプティアの書の管理委員にクイリッタを強く推薦していただいたお礼を言うのが遅れてしまいました。聞くところによると、クイリッタを良く世話してくれていたそうで。タヴォラド様はマシディリも同じくらい良く様子を見に来てくれていたらしいのですが、フィルフィア様はクイリッタを特に心配してくれていたようですね」
「お礼でしたら手紙でいただいておりますので、大丈夫ですよ。私にとっても可愛い甥っ子ですから」
フィルフィアも穏やかに言った。
「本来ならば此処で「その時の恩を」などと行きたかったのですが、一つ、気になる話がありまして」
エスピラは、右手で口元を隠した。目は深刻そのもの。フィルフィアを見はしない。悩む人、と言う彫刻になれそうな姿だ。
「気になる話?」
「ええ。私の可愛いマシディリが私の子では無いと私の愛しいクイリッタに吹き込む愚か者が居たそうなのです。フィルフィア様。どなたか御存知では無いですか? その者を処罰しないと気が済まないのです。それを以って、やっと特大の恩返しができるのです」
そこから、エスピラは腰を上げた。
ソルプレーサとシニストラには留まるように目で言って、フィルフィアに近づく。
フィルフィアは最初こそ少し身を引いたが、やがて耳をエスピラの方に寄せて来た。
「今のディファ・マルティーマを御存知でしょう? アレッシアを割りかねない不本意な派閥を御存知でしょう?
その中でフィルフィア様に協力することは、乾いた木に火をくべる結果になりかねないのです」
そして、エスピラはそうフィルフィアの耳元でささやいた。口元は手で隠して、フィルフィア以外に伝わらないようにして。
言い終わると、困ったものだと何度も頷いてからエスピラは席に戻った。
「言いたいことはご尤もだと思います。下手をすればウェラテヌスの存亡にかかわる話ですから。ですが、こちらもただで帰るわけには行かないのです。わざわざ遠く、ディファ・マルティーマまで来ているのですから」
エスピラがお茶を飲んだのを見て、フィルフィアが言った。
「そうでしょうね」
エスピラは、同意を示した。
「新型投石機と新型スコルピオの情報を提供していただいてもよろしいですか?」
語尾は「ですか」だが、「ですね」に近い言い方であった。
エスピラは表情一つ変えず、当然の如く頷いた。
「もちろんです。全てはアレッシアのために。そのために技術開発を行っているのですから。提供するのは当然のこと。例え技術者に対してアレッシアが何もしていなくとも、私はアレッシア人。それも建国五門の一つウェラテヌスの者ですから。交換条件などにせずともよろしかったのですよ」
フィルフィアの後ろの者が少しだけ拍子抜けのような表情を浮かべた。
フィルフィア自身は返答が遅れているものの、顔は変わらない。
「ただ」
と、エスピラはフィルフィアが作ってしまったその間に言葉をねじ込む。
「スコルピオはタイリー様が開発されていた物。私はその設計図を見せて頂いていたに過ぎません。できれば、セルクラウスで正当に発展したスコルピオも知りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「それは兄上に聞かないと、何とも言えません」
後ろに居るシニストラの雰囲気が鋭くなった。
だが、目の前にいる者達には脅しは効かない。
「そうですか。やはり、私は信用されていないようだ。こちらに兵器の秘密を求めてきている以上、アレッシアの戦力の底上げを頼んでいる以上はセルクラウスも研究していないはずが無いのですが……。当然のこととはいえ、少し苦しいですね」
はは、とエスピラは力無い疲れた笑いを発した。




