目星
「そう」
と、メルアが興味なさげに返してきた。
興味なさげに返してきてはいるが、その前にやや慌てた様子で何かを隠したのをエスピラは見ている。その何かが羊皮紙だと言うのも、見えた。文字までは読めなかったが、それらを乱雑にかけた布の下に入れているのも、それらがたくさんあったのも見えている。お腹を温めるために用意していた布を使ってまで隠す姿を目撃したのだ。
ハーブティーも冷やさないように常に温かい物を用意させるほどに今日は体に気を遣っているのに、である。
「メルア」
「何? 上の者に報告せずに貸し出せる馬なんでしょう?」
「クイリッタの話だ」
「あら。自分が外にいる間に妻がどこに行こうと連れ戻そうともしなかった貴方が? まだ陽があると言うのに帰ってこない息子を心配するの?」
「メルア」
低い声で名前を呼ぶも、メルアにはふいと顔を逸らされてしまった。
「良いんじゃない? 探せば。血を分けた子供だものね。例え他の家の者の部屋に入り浸っていたとしても、関係無いのでしょう?」
「メルアが腹を痛めて産んだ子供でもあるだろ」
「別に。貴方のために産んだわけじゃないし」
この場合はむしろ貴方のために産んだ子なのにとでも言うべきでは無いのだろうか、とエスピラは思った。
「メルア。私は、自分の子供だからと言うのもあるが、何よりもメルアとの子供だから愛おしく思っているんだ。クイリッタも、マシディリも、他の子も」
「まるで奴隷の夫婦のような言葉ね」
そうは言いつつもエスピラを決して見ようとしないメルアの雰囲気は少しやわらかかった。耳は正常で肌の色も普通だが、どこか温かみがある。
「私の子なら心配いらないんじゃない? 私のことは、不本意だけどエスピラが一番良く知っているでしょう? もちろん、貴方のことは私が一番よく知っているのだけど」
「そうだな」
穏やかな溜息交じりに言って、エスピラはうつ伏せになっているメルアに近づいた。
髪を一房手に取り、口づけを落とす。
ついでに確認した布の下の羊皮紙の文字は、最も見慣れた形。エスピラ自身の描く文字のように見えた。
「探してくるよ」
「そう。探さなくても同じだと思うけど」
「メルアも無理はしなくて良いからな」
「あら。私が無理をするとでも思っているのかしら」
エスピラは後ろのベッドから布を一枚とると、メルアの肩にかけた。
それから、部屋を出る。他の子供たちに時間が来たらおやつを食べるように、メルアは来ないようであれば無理をさせてはいけないと言いつけて、来客用の部屋へ。
その部屋でメルアの飲みさしの、すっかり冷えたハーブティーを一杯飲みほした。
結構高価なものだが、さほど美味しくない。積極的に飲みたい味では無い。
「探さなくても同じか」
声にして、整理する。
メルアは恐らく目星がついている。クイリッタがどこに居るか、なんでこんなことをしたのか。
確かに一緒に居ない時間も長かったが、エスピラはメルアとは五歳の時から一緒なのだ。記憶がある時からと考えれば、この半生ほぼずっと一緒に居たと言っても過言では無い。
「エスピラ様」
ソルプレーサが静かに部屋に入って来た。
エスピラは別の飲みさしに手をかけ、口に含む。
「各街門に人を遣り、クイリッタ様が出て行っていないかを確認させております。ですが、それなりに時間はかかるでしょう。百名ほどはすぐに集められそうですが、外にも派遣しますか?」
エスピラはさして美味しくもないハーブティーを机の上に置いた。
「そこまでの規模をすぐに動かさなくても良い」
ソルプレーサが小さく顔を倒した。怪訝そうな表情である。
「それよりも、馬の頭数を確認してくれ。記録はこちらにもあるはずだ。上の人に話せないなら、こちらで探して調べるしかない」
「……馬は、返って来ていると?」
「そもそも借りていない可能性もある」
エスピラは、もう一度ハーブティーを持ち、唇を濡らした。
「戦車競技団が自身の商売道具をウェラテヌスとは言え年端も行かない子供に貸すか? それも、上の者にも伝えず、その子の親にも伝えない。何かある可能性が高いのに、だ。自分だけで責任を取り切れるモノでも無いだろう?」
ソルプレーサが眉を寄せたまま、エスピラの額に触れて来た。
エスピラも眉間と額に皺を寄せる。
「何だ」
「いえ。クイリッタ様のことだと言うのに冷静に分析しておりましたので、本物かと疑ってしまいました」
「本物だ」
エスピラは右手でソルプレーサの手を払った。
ソルプレーサが二歩三歩と下がり、適切な距離に戻る。
「仮に馬を借りていたとしても貸し出せる程度の馬だ。だが、クイリッタも過不足なく乗馬できるとは言え、リングアよりも不得手だと聞いている。そんなクイリッタがわざわざ馬で遠くに出かけるか?」
「自分もできるんだと示したいのであれば出かけるでしょう」
「……そうだな」
その通りだ、とエスピラは腰を落ち着けてしまった。
とは言え、メルアの見立てならばすぐに戻って来れる場所にもいる。あるいは、夜までは居続けることのできない場所か。
「とりあえず、人を出しましょう」
「そうだな。頼む。だが、まだ外には出さなくて良い。馬を休められる場所の捜索を中心に、戦車競技団の厩舎の確認と軍団の厩舎の確認が最優先だ。そっちに最も人を割いてくれ」
「かしこまりました」
ソルプレーサが頭を下げ、部屋を辞去する。
「何がしたい、クイリッタ」
呟き髪を掴むも、何も分からない。
行きそうな場所は? 好きな場所は? どこに良く行っていた?
それすらも分からない。
ヒントがあるとすれば、それはメルアの言葉。メルアの言葉だけだが、全てがヒントでは無いだろう。
「『外に居る間に連れ戻そうともしなかったのに。まだ陽が続くのに』と言うことは、外には居ないと見て良いんだよな。外に居れば流石に探さないのと同じにはならない……はずだよな」
ハーブティーに口をつけるが、何かがひらめくわけでは無い。
「『私の子なら心配いらない』。身の安全は保障されているのなら、ディファ・マルティーマから出てはいないな。いや、家の中か?」
呟き、ハーブティーを置いて外に出る。
使われていない部屋やクイリッタの部屋にも行った。アリオバルザネスやタイミング的に厳しいだろうがディミテラにも尋ねた。唯一黙って匿うことがありそうなマシディリにも聞いてみた。
が、家には居ない。見つからない。
手伝いを申し出たアリオバルザネスには大丈夫だと言い、ディミテラには帰ってきた時に頼むと言う。マシディリには他の弟妹を任せた。
再度メルアの元に行こうかとも思うが、今日はタイミングが悪い。
「『上の者に報告せずに貸し出せる馬何でしょう?』
『自分が外にいる間に妻がどこに行こうと連れ戻そうともしなかった貴方が? まだ陽があると言うのに帰ってこない息子を心配するの?』
『良いんじゃない? 探せば。血を分けた子供だものね。例え他の家の者の部屋に入り浸っていたとしても、関係無いのでしょう?』
『私の子なら心配いらないんじゃない? 私のことは、不本意だけどエスピラが一番良く知っているでしょう? もちろん、貴方のことは私が一番よく知っているのだけど』
『そう。探さなくても同じだと思うけど』
か。それだけだよな」
メルアが言った、クイリッタに関係がありそうな言葉は。
(他の家の者の部屋に入り浸る、はディミテラのことでもアリオバルザネス将軍のことでも無かったか。他だとすると、対象が多すぎるが……)
カリヨ。ヴィンド。シニストラ。ルカッチャーノ。カリトン。アルモニア。
いや、この中で可能性があるのはカリヨだけかともエスピラは思った。
他の者ではエスピラに話が来る可能性が高すぎるのだ。此処までの大ごとにするのであれば、わざわざすぐに露見する場所に行くことは無いだろう。
カリヨのところも、カリヨならば確かにすぐに戻ってくるがウェラテヌスを考えればカリヨが大ごとにするのを認めるとは思えない。ジュラメントもエスピラを敵に回しかねないことをしたくは無いだろう。ロンドヴィーゴならば追放するまで。
(追放の話じゃない)
勝手に怒りをぶつけ、心の中だけで軽く謝罪した。
(大ごとにして得する者が居るか? 下手をすれば、追放どころかディファ・マルティーマを敵に回しかねないぞ)
となると、仮にクイリッタが誰かの家に隠れているとして、大ごとにしないで済む者しか居ない。それの筆頭はウェラテヌスだが、エスピラとカリヨ以外には居ないのだ。
「そっちで考えると、どうなる?」
まずはウェラテヌスを敵に回さないで済むと信じられるだけの信頼関係がエスピラとの間にある。あるいは、手を取り続けることでそれだけの利点があること。または、エスピラの子供が居ても不思議では無い家門である必要がある。
次に戦車競技団との間で大ごとにせずに済むだけの交渉能力かあるいは事前交渉ができる者であることか。はたまた、上の者には実は知らせてある、あるいは筒抜けにできる者。
多分、クイリッタは実際には借りていない。狂言だろう。
頭の中だけで条件を書き出し、ハーブティーを一口飲む。
少しだけ冷静になったエスピラの思考の中で、一人だけ像が結ばれたのだった。




