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次代の

「それが、新たなアスピデアウスの悪評にならないことを願っているよ」


 エスピラは、別室でやると良い、としてヴィンドの動きを止める。

 石は、奴隷に運ばせるのだ。そのための家内奴隷なのだから。


「パラティゾ様は誠実な方です。そのような噂は防ぎたいですね」


 マシディリが言った。

 エスピラに言われた通り、パラティゾはエスピラに意見がある時はマシディリにまず話を通しているのである。扱いも、子供に対するソレではなく、対等な関係として接してくれているらしい。


「やってみるか、マシディリ。コントロールするのは難しいが、民の意見がこちらの意見と相違ない方が良いとは、良く知っているよな?」

「父上が苦労されていた姿は、良く覚えております」


 六年前。タイリーの死後の話である。


「経験してみると良い。おおよそウェラテヌスの当主としてマシディリが引き継ぐことになるものは何でも使って良いぞ。責任が生じたら私が面倒を見よう」

「そのようなことは」

「可愛い息子のためだ。私は何だってするとも。もちろん、後継者教育の側面もあるがね」


 悪戯っぽく、エスピラはマシディリに微笑んだ。


「エスピラ様も義父タイリー様に付き従い、外国を飛び回って経験を積みました。ならばエスピラ様の後継者候補であるマシディリ様も、幼き日のエスピラ様のように父の基盤で経験を積むのは非常に良いことかと思います」


 ソルプレーサが慇懃に述べる。

 血のつながりの無いタイリーを出したのはあえてか、それともエスピラが出るから出しただけか。


 少なくとも、まだマシディリの出生に対する噂が完全には消えていないことを知ってだろうと、エスピラは結論付けた。


「では、挑戦してみます。パラティゾ様を始めとする、アスピデアウスの皆さまとの関係のためにも」


 サジェッツァでは無いのは次代のウェラテヌスとアスピデアウスを見据えてだろう。

 エスピラは緩んだ口角のまま、数度頷いた。


「参考になる事例がアレッシア語で書かれていることは少ないだろうが、大丈夫だと思っても良いかい?」


 エスピラの言葉に、マシディリが頷いた。


「エリポス語だけではなく、マフソレイオやマルハイマナの言葉で書かれた書物も一人で読めると思います。その、まだプラントゥムや北方諸部族、ハフモニの言葉は不慣れですが……」

「十分だよ、マシディリ」


 手が届くところに居たら頭を撫でたのに、と思いつつもエスピラ心から出たやさしい笑みを愛息に向ける。


「それだけの言語を扱える者はそうそういない。今必要とされているハフモニ語ではなく、将来必要になるマルハイマナの言葉やずっと必要になるマフソレイオの言葉から習得しているのも素晴らしいよ。やはりマシディリは天才だ」


「父上」

 マシディリが耳を真っ赤にし、早口で言った。


「まさに建国五門の神髄。二十年前どころか十年前ですらウェラテヌスの蔵が空だったとは誰も思えないでしょう。エスピラ様と、それからマシディリ様。必ずやウェラテヌスを沈まぬ太陽に変えるお二人だと思っております」


 そんなマシディリとは正反対に、落ち着いた、至極真っ当なことを言っているんだと言うような声でシニストラが言う。

 ヴィンドも肯定しつつもちらりとマシディリを見た。


「エスピラ様。先に、マシディリ様を書斎に案内してもよろしいでしょうか? 一応、私も参考にさせてもらった書類もございますのでマシディリ様の一助にはなるかと」

 ソルプレーサがマシディリからエスピラに視線を変えて言う。


「父上。私からもお願いいたします」


 マシディリがすぐにソルプレーサに乗った。

 エスピラは、少しだけ唇を尖らせる。


「それではどちらが子供か分かりませんよ」


 やはりと言うべきか、ソルプレーサにすぐに窘められてしまった。

 渋々ながら、エスピラも表情を整える。


「分かった。先に行っててくれ」

「はい」


「それから」

 と声を掛ければ、立ち上がったばかりのマシディリが足を止めた。体もエスピラに向く。表情は引き締まっており、幼さと言うよりは立派な少年に見える。


「今日のおやつは何が良い?」


 しかし、エスピラの言葉でマシディリの引き締まっていた表情が少しだけ崩れた。


「それは、弟たちに聞いてください。父上が参加されるとなれば、皆喜びますから」

「そうか」


 ぺこり、と丁寧に頭を下げて、マシディリが退室した。

 ソルプレーサも素早くきっちり腰を曲げ、マシディリに続く。


「羨ましいですね」


 ヴィンドが言うのは、マシディリの優秀さが、だろう。


「だろ?」


 だから、エスピラは思いっきり自慢した。

 ヴィンドが二度頷く。


「ただ、アスピデアウスに関する噂を任せたのは失敗した時のことも考えて、ですか?」

「マシディリが誠意を籠めて対応をする。それだけで私は十分な成果を得られているだけさ。失敗しても良いとは思っていないよ。初めから完全に上手く行くとも思っていないけどね」


 最後の一文は、ヴィンドをしっかりと目で捉えて、小さく低い声で言った。

 言い終わった後に作る笑みも緩むモノではなく口角だけを上げるようなモノ。他はほとんど変えない。


「完全に噂話をコントロールできるなら、私がその方法を知りたいさ」


 ヴィンドから目を外すと同時に、エスピラは表情を普通のモノに戻した。


「もちろん、マシディリを応援しているのは事実だし、目的の達成のために力を貸すのも本当だ。経験させたいと言う意図もある。ウェラテヌスの当主になる前から必要になってくるだろうしね」


 エスピラは石を眺め、時系列順に適当に並べだした。

 シニストラは室内の軽い片づけを開始している。ヴィンドも椅子などを綺麗に整えだした。


「リングア様も剣の筋が良いと聞きます。既にエリポス語以外にもマフソレイオの言葉、プラントゥムの言葉まで習得されているとか。

 マシディリ様が第一候補であるのでしょうが、リングア様も後継者の有力候補と見てもよろしいのでしょうか」


 ヴィンドが扉の方を見てからそう言った。


「そう言われてしまえば、全員が有力候補だよ。ただ、マシディリを越えるのは厳しいだろうな。マシディリは、上手な息抜きの方法さえ見つけてしまえば問題はないからね。勤勉で、継続力があり、特段苦手な物がない。

 唯一の心配は、私もメルアも体格が立派な方では無いことかな。そのせいで体の成長に劣り、剣術や体術で不利になるようなことがあっては申し訳がたたない」


 若き日のエスピラは、それこそ暗殺に役立つ戦い方を身に着けつつもどこかで力押しで勝つことにも憧れてはいたのだ。

 今はすっかり諦めて正面から組み合わないようにしているが、やはり難しい。アレッシア人に好まれる戦いかたでも無い。


 そうなった時に、マシディリにも同じことを強いてしまうのは正直辛いのだ。


「それに、クイリッタも一応後継者候補だよ。教育から逃げることが多いのが難点だけどね。それだけ逃げておきながら能力は高い方だと思っているとも。逃げているからこそ、身につくモノだってあるしね。逃げようと思って逃げられるのも、自分の嫌なことから逃げられるのも立派な才能さ。

 まあ、当主として見た場合それでは駄目なんだけどな」


 溜息を吐きつつ、エスピラは手を止めた。


 言葉の選び方や頭の回転、カクラティスの時に見せたような人に取り入る技術は素晴らしいものがあるとエスピラは思っている。特に後者はマシディリは愚直に自分を出すようなタイプなのに対し、クイリッタは相手によって変えられるのだ。

 何とかして、この違いの部分を伸ばしてやりたいとは思っている。が、やはりそうなると当主としてはやや厳しい。


「ウェラテヌスが名門でなければクイリッタも十分に後継者候補だったんだけどなあ」


 それは幸なのか不幸なのか。

 結論は出なかったが、エスピラは嘆きつつも石を廊下に出し、奴隷によって運ばせたのだった。


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