休暇、だったよね?
エスピラは、カルド島に居るマルテレスからの手紙と被庇護者を使って手に入れた戦況を記した石を見比べ、両者を横に投げ捨てた。
目の前に鎮座するのはカルド島の立体地図。戦況は最新のものを示しているはずだが、エスピラには昔の情報にしか思えなかった。
「父上?」
マシディリが首を傾げる。
最近のマシディリはカクラティスの言葉の所為かやってくるエリポス人と会話する機会が飛躍的に増えているのだ。そのため、エスピラはマシディリが忙しくなることを承知で現状を共に把握させようと一緒にいる機会を増やしている。
「マルテレスの侵攻速度が速すぎてね。むしろ討論の議題に下ろそうかと思っただけだよ」
笑って、エスピラはマシディリの頭を撫でた。
マルテレスがエクラートン攻囲戦を開始したのは八番目の月の初め。
エスピラがエクラートン攻囲戦に向けての他国からの支援と称してマルテレスにエリポスからの資源を持っていく予定だったのは八番目の月の中頃だ。
本来ならば攻囲戦開始と共に相手の士気を挫くためにもと思っていたのだが、マルテレスの侵攻速度が速くて失敗したのである。
そして、今。
マルテレスに資材と技術者の技量、兵の工兵としての技量を尋ねた後に新型の投石機の作り方を伝える手紙を送ったのだったが、マルテレスからの返事の前に被庇護者からの報告が来た。
曰く、マールバラ・グラムの異母弟アイネイエウスと会戦し、これに勝利したと。
場所はエクラートンから海岸沿いに下り、やや西方に行った場所。腰を据えるかと思えばである。ただ、エクラートン自体は落ちていないらしい。
「どうやら、元老院もマルテレス様の正確な戦果を把握しきれていないみたいです。未だにエクラートンに取り掛かっていないと言う噂もありますし、この戦勝報告が上がればエクラートンが落ちたと言う誤報も流れかねないかと」
ソルプレーサが淡々と言った。
「マルテレス様はどうするおつもりでしょうか」
シニストラが呟く。
エスピラは、鞘に入ったままの剣を掴むと軽く地図をなぞり、動かした。
「海のある街を落とし、西端のスカウリーアとパンテレーアも落とす。そうして島の外郭を支配する気かもな。直近かつ対ハフモニの島を占領する戦いと言えば、メントレー様のオルニー島占領戦が挙げられる。去年一年間でこれを調べ、参考にしていてもおかしくは無いからな」
オルニー島は第一次ハフモニ戦争時にはハフモニの占領下にあり、その後にアレッシアが強引に奪った島である。
当初、ハフモニが占領していると雖も支配地域は海岸線に限られていた。そこで、ハフモニの敗北に合わせて島の内部が反乱を起こしたのだ。アレッシアはそれに乗じて海岸線を奪ったのである。それとは違うが、その後も再びやってきたハフモニをメントレーは撃破した。この戦いは、敵主力を文字通り全滅させている。その上で、まずは港を押させていた。
この点も、マルテレスからすれば一致したのかもしれない。カルド島も一度はエスピラが支配を確立させた島として。
「海岸線を制圧し、物資の補給を絶ちつつハフモニ本国にはアレッシアが支配したと見せるためですか?」
珍しくシニストラが質問を続けた。
ヴィンドが口を開く。
「オルニー島の内部は壁の無い堀と柵だけの部族でした。加えて、ハフモニに守られていた認識はあまり無いでしょう。
ですが、カルド島は異なります。エリポス諸都市の植民都市から発展した街が内部にもあり、ハフモニと関係の深い都市だってあります。オルニー島のように、港を抑えられたからと言って抵抗を止めることは無いでしょう」
なるほど、と納得したようにシニストラが頷いた。
「それに、海岸線を抑えられて喜ぶのはハフモニの将軍かも知れません。本国に帰れない、本国からの伝令が届かないのであれば、負けたところで処刑されませんから」
ヴィンドがシニストラに軽く一礼をした後、そう続けて言葉を締めた。
「負けて喜ぶのですか?」
マシディリがヴィンドに顔を向ける。
「指揮系統を一本化できるのです。マルテレス様はアレッシア史きっての猛将。一度破れれば、各将軍単体では再度立ち向かうのは厳しいでしょう。ですが、敗戦した将軍の軍団を集めれば数は揃います。ハフモニは簡単に敗将を処刑する国家ですが、免れる者だっております。
この事実を使い、島内の味方に喧伝する。
どうせ処刑されるのなら海岸線を封鎖されたまま戦いを挑み、勝つ。勝つことで処刑を撤回させる。普通にやっても処刑されるだけなら大胆な策だって取れます。
自分に自信がありつつも家族の足を引っ張りたくなくて手堅い策しか採ってこなかった者が大化けする可能性も非常に高いかと思ったのです」
「アレッシアとは違う国だからな」
と、エスピラはヴィンドの後を継いだ。
「全軍団が戦い、下手に敗戦を続けたうえで海岸線を封鎖されたのなら、文字通り死ぬ気で戦ってくる可能性もある。マールバラが分かりにくい組織を作ったのも、責任の所在をあいまいにすることで本国からの干渉を防ぐ目的もあるのかもな。
自分が全ての責任を負うから、その代わりに自分の言うことを聞いて全力で戦え。
そうして、此処まで軍団をまとめ上げて来た。
まあ、想像に過ぎないけどね」
言い終わったエスピラに、ソルプレーサが粘土板を差し出してきた。書かれているのはマルテレスの軍団の組織図。誰が居るのかを記した物。
エスピラは感謝を籠めつつも首を横に振った。
「マルテレスの軍団も高官が若いのは知っている。その代わり百人隊長や十人隊長は歴戦の猛者も居るけどね。でも、皆が懸念する通りハフモニの組織作りに詳しい者がいるかと聞かれれば言葉に困るよ」
「マルテレス様はそのことを考慮されていないと?」
シニストラの質問に、エスピラはまたもや首を横に振った。
「しているはずだよ。したうえで、海岸線を封鎖しそうだと思っただけさ。敵の補給を絶つのは良い手だからね。しかもエクラートン以外の港町を落とせれば相手が補給のためにエクラートンにやってくるかもしれない。
そうなればマルテレスなら勝算が高いのさ。
そのままエクラートンに入れて、上手く封鎖できれば食糧がすぐに尽きる。エクラートンの守兵の目の前で打ち破れば相手の士気を大きく下げられる。
そっちを取りそうだなと、マルテレスの性格とこれまでの軍団の動きから推測しただけだよ」
カルド島とディファ・マルティーマはただでさえ距離があるのだ。その上、マルテレスは強すぎる。しかも強いだけではなく速いのだ。
マルテレスが、エスピラが半島に居るなら、と手紙を良くくれるが、正直遠すぎてどうしようもない。
「過去の話から動きを考えるのではなく、現在の話で十分に話し合った直後に実際に取った行動とその結果が分かるのであれば、エスピラ様の考え通り良い教材にはなるかと」
これ以上掘り下げても実のある話にはならないと判断したのか、ソルプレーサが話題を締めた。
エスピラも頷き、石と書類を纏める。
「先日、エスピラ様がたまたま不在の時にカリヨ様と一緒にお伺いした時のことなのですが」
ヴィンドが、神妙な顔でそう切り出してきた。
エスピラはヴィンドに顔を向ける。視界の端ではマシディリも顔を向けていた。表情から見るに、マシディリも会ってはいないらしい。
「初めてメルア様に一瞥されただけで奥に引きこもられてしまいました。建国五門だからか無下な対応をされることはこれまでは無かったのですが、その時は本当に冷徹そのもので」
ヴィンドに怒っている様子はなく、声音も穏やかである。
マシディリも、少しだけ不思議そうな顔をしていた。
「カリヨ様が言うには最近またエスピラ様の仕事量が増えたので機嫌が悪いそうです。そう言えば、つい一月ほど前ならばエスピラ様がメルア様を連れてどこに出かけていたのか三歩も歩かぬうちに聞こえていたのですが、最近はいくら歩いても聞くことはありません」
「三歩は言い過ぎだろ」
そう言うことか、と分かったエスピラは笑いながらヴィンドに返した。
纏めた書類はヴィンドの方に差し出す。ヴィンドも小さく頭を下げて受け取った。
「好奇の対象でしたから。夫の不在を良いことに好色に耽る妻、と言うものを見たいと。最初は違っても装っているだけだと認めたくない者もおりました。
今は、むしろ何故そのような噂が立ってしまったのかと言う話が多くなっております。メルア様がエスピラ様以外の男を近づける姿など想像できませんから」
そちらは私が自分で纏めます、とヴィンドがエスピラの机に置いてある石に手を伸ばした。




