セルクラウスの父娘
タイリーがメルアのお披露目に用意した会場は、これがアレッシア随一の名門、セルクラウスの晩餐会だと言わんばかりの豪勢な出来であった。
中庭を囲むのは天井の高い三階建ての廊下。ここにこれでもかと火を灯し、上から煌煌と会場を照らしているのだ。入り口や周りにも炎があり、演奏家の舞台や料理人の居る場所にも炎が焚かれている。程よく会場内にも松明が置かれて、人間の目には昼間とそん色ないほどに明るくなっているのだ。
出迎えてくれたタイリーの話によれば、フォルマッジョを始めとするタイリーお抱えの料理人の他にも晩餐会を開くときに良く呼ばれるアレッシアの人気料理チームを呼んだらしい。踊り子も処女神の神殿から呼んでいる。椅子に掛けられているのは猛獣や珍獣の毛皮だ。
権勢を見せつけるのと同時に、建国五門の面々の自尊心を満たすものなのだろう。
「君はこう言うモノはあまり好きでは無いだろうがね」
酒宴の前にお酒は控えるためか、タイリーがリンゴ果汁で口を濡らしながら言った。
「必要となれば飾りますよ。ウェラテヌスの家風には合わないだけですから」
ウェラテヌスはアレッシアのために家門を傾けた家である。
余計な見栄に使うお金があるのなら貯めて国家のために使うべし、と言われたことはエスピラも良く覚えている。
「メルアは?」
豪勢な物が好きかどうか、だろう。
「どうでしょうか。自分が気に入れば好きでしょうが、気に入らなければ値打に関係なく投げ捨てると思います」
タイリーの顔が渋いモノに変わった。
「今回は君に選んでもらったが、誕生祝いはそうもいかないからな」
「マシディリが喜ぶものであれば大丈夫かと」
タイリーの目が細く鋭いものへと変化する。
「マシディリか。あれは、本当に」
「私の息子です」
エスピラはタイリーの言葉を途中で切り捨てた。
有無を言わさないつもりの声音だったが、タイリーは気にした様子も無い。
「計算は合っている。君が唯一神官の職務を放棄した日にできていれば生まれた日も納得だが、僅か一日だ。ベロルスはタヴォラドが過剰に叩いた一門。そうでなくともハフモニ側の人間の血でも流れていれば危ういぞ」
「私の妻に不貞はございません」
「信じるのは勝手だが、後継者には気を付けた方が良い」
「そのお言葉、そっくりお返しいたします」
エスピラは瞼を閉じて硬質に言い切った。
ふふ、と零れた笑いを聞いてエスピラは目を開ける。視界では、タイリーが自嘲気味に笑っていた。
「手厳しいな」
「セルクラウスを思えばこそ、です」
本当は抑えきれなかった怒りも入ってはいたが、わざわざ言う必要もないし気づかないタイリーでもないだろう。
「私はただのけん制になれば良いだけでベロルス一門のことを告発しました。トリアンフ様との繋がりも深く、証拠も十分とは言えないためタイリー様が程よい所で止めると思えばこそです。ですが、現実はタヴォラド様が割って入り、裁判に勝ちました」
タイリーが手を挙げて大きく振った。
言うなと行動で示されて、エスピラも言葉を止める。
「言いたいことは分かる。私とてパーヴィアとの子供たちを後継者にするつもりは無い。いや、タヴォラドを主軸にして君に一部を渡すのが一番良いと言うのも分かっているとも」
むしろ、もうそれしかないだろう。
(トリアンフ様とコルドーニ様を合わせた結果タヴォラド様を越えてはならないのは、誰にでも分かることだ)
継ぐのが次男なら。
元処女神の巫女との子を後継者にせずに今は亡きアプロウォーネ・アルグレヒト・セルクエリとの子を後継者にするのならば。
誰の目から見てもタヴォラドが後継者で、身内の争いを起こさせないほどの分け方にするべきなのだ。
「君には、闘技場関連をそのまま渡すつもりだ」
「……良いのですか?」
「むしろ君にしか渡せないだろう」
闘技場は神への感謝を捧げる場であり、葬儀の折には必ずと言って良いほど使われ、民の娯楽の一つである。収入源としては非常に大きい場所なのだ。
エスピラとしては願ったりかなったりではある。
「まあ、まだしばらくは現役でいるつもりだがね。凱旋将軍になったとはいえ、ルキウスはやはり執政官は一回しか務められない男だったよ。よりにもよって君を軍団長補佐に入れないとはね」
エスピラは、タイリーを見ないまま口を開いた。
「私は神官の職務を一度放棄しております。判断としては間違っていないかと」
「それで大物を取り逃がしていてはな。凱旋式に王を生きたまま連れ回せなかったのも失態だ。尤も、敵国の名誉を慮った誰かが居たらしいがね」
タイリーも手でコップの中のジュースを遊ばせながら返してくる。
「それはそれは。その者には、エリポス全域をアレッシアの支配下にする野心でもあるのでしょうか」
「それは面白いな。東方の脅威を取り除き、南方から穀物の援助を受け取れればハフモニなんぞには負けないだろうとも」
「そうなるとやはり、ルキウス様の失態は戦争時の人選では無く同僚執政官の暴走を止められなかったことになるのではないでしょうか」
良く分かっているじゃないか、と言わんばかりにタイリーがコップをエスピラの方へと上げた。
エスピラは一度見るだけですぐに目を離す。
「おかげで予定が変わったよ。北方を挑発し、引きずり出さねばならない。君に騎兵隊を率いらせる経験を積ませられると思えば良いが、マフソレイオをどうするべきか。向こうの状況を安定させなばならないとなるとマルハイマナの動向も気になってくるところだ」
なるほど、とエスピラは合点がいった。
タイリーは開戦時の執政官を受け入れる気になったらしい、と。おそらく、開戦時に執政官となり、次の年も前執政官として軍事命令権を保持したままタイリーがハフモニに対して決着をつけるのを条件に建国五門の誰かを北方諸部族討伐の執政官にするのだろう、と。
ハフモニとの開戦が早まれば、その執政官はすぐに軍事命令権をタイリーに譲るのだろうと。
となれば、ニベヌレス一門の誰か、ほぼ間違いなくメントレー・ニベヌレスが再来年の執政官選挙に出るとの予想もつく。
「本気で私を開戦時の副官にするつもりですか?」
「本気だとも。何。君が何かを背負う必要は無い。セルクラウスが名門を利用しているだけだと言う批判をかわすため、と言う意図もあると思ってもらえればそれで良い」
「タイリー様の大事な愛妻の忘れ形見を頂いたのです。そのようなことを言う輩が多いとは思えません」
「メルアか。我が娘ながら」
足音が聞こえ、タイリーがリンゴジュースで言葉を呑み込んだ。
ノックの音が完遂されないうちに扉が開く。
現れたのはメルア。
白い絹が基調ではあるが左半分は赤紫。腰に巻いた帯と足元の一部の装飾品に金をあしらった正装を着ている。全て、一級品の素材だ。
「これで良いですか? お父様」
無機質に高圧的に。
メルアが見下ろすようにタイリーに言った。
「ああ。とても良く似合っている」
「あらどうも。でも、どうせならもう十着くらい欲しいのだけど。久しぶりにあった娘の体の大きさが分かるなら簡単でしょう?」
「メルア」
エスピラの低い声を、タイリーが制してきた。
「幾らでも用意しよう」
「そう。楽しみにしてる。できるものなら、ね」
冷たい会話だけをして、メルアがエスピラに顔を向けた。
愛おしい妻の酷く罵倒するような冷たい瞳である。
「あら。着飾った妻は玄関の絨毯と同じなのかしら」
「似合っているよ、メルア」
エスピラは直す必要が無い髪飾りに手を触れ、整えるフリをした。
「美の女神も、素足で逃げ出すだろうさ」
「気持ち悪い」
取り付く島もない声音であり、さらに瞳の温度は下がるがエスピラに触られるがままになっている。
「今日はマントをつけないのかしら?」
冷たい声のまま、メルアの目がエスピラの左側に行った。
エスピラとしては妹の婚約話もしていくつもりだったため、ペリースは外す予定だった。左手の手袋は信仰上の理由もあり、処女神の神殿で神官をやっていた時でも外していなかったためそのままで良いと判断したのである。
「後で羽織るよ」
だが、その意思をエスピラはひっくり返した。
「別に、どっちでも良いんだけど」
目を右下に逃がしてメルアが吐き捨てるように言った。
ほんの少しだけ体温が上がったように感じるのは、都合の良い勘違いだろうか。
そんなことを思いながら、エスピラはメルアの腰に手を回してメルアを反転させた。
行き先は出口。途中でマントを回収して、中庭に出るつもりである。
「君が神官の職務を投げ出したのはセルクラウス一門を率いる者としては大きなマイナスだが、一人の父親としては非常に嬉しかったよ」
背に投げかけられた優しい声に、エスピラは目を閉じて軽く頭を下げて返した。




