そう聞こえるのであれば
「それも醍醐味ですからね。男も女も、出会いを求めてやってきてもいるのさ。同じことに熱狂に、喜びを共有する。話の合った者達は互いにその後を求め、街に消えていくかまたの機会を祈って再び戦車競技場に訪れる。そう言う場所なのです」
設計に最も力を入れていたトリンクイタが笑った。
「それはそれは。聞けば聞くほどエスピラとは縁遠い場所に思えますね」
カクラティスも笑う。
眼球はほとんど動かないが、内側に向いていた左手のひらがほんのわずかに外に開いた。風に揺らされた短髪よりも小さくだけ動いたのである。
「この男はエリポスでも全く女を寄り付けなかった男。貴婦人の嘆きが良く聞こえたものです。愛想は良く、知己に富み、文化に明るい。その上軍団を率いれば統率良く、エリポスで敵う者無し。個人的としても家門としても誼を結びたかった者は数え切れないと言うのに。エスピラはまるで取り合わなかった」
エリポス語であるが、少しだけ速度が遅かった気がした。
「出会いの場など、この男には不要でしょう」
そこまで揃えば、エスピラはカクラティスの意図がメルアにあると確信が持てる。
カクラティスが扱える言語にプラントゥムの言葉が無いのは確かめてあるのだ。ソルプレーサがいる間に書類を調べ、それとなく振り、探りは入れてある。
問題は、メルアがそのことを知っていたのかどうか。
(知っていてもおかしくは無い)
エスピラには制御できないが、エスピラが最も優れた暗殺者だと思っているのはメルアなのだから。
「貯水槽まであるのか」
エスピラがつまらなさそうに目を下げているメルアを見ている間に話が進んでいたらしい。
「いや、併設することは知っていたが、専門の貯水槽ではなくこの大きさとは。エリポスでもこのような大きさのは存在しませんので。少々」
「カクラティス」
「おっと、失礼。気を悪くしてしまったのであれば、世界の中心だと勝手に思い込んでいる愚かな民族が発した馬鹿な言葉だと受け流してくれると嬉しいな」
エスピラの言葉に、カクラティスが明るくトリンクイタに笑みを見せた。
「気にし過ぎでしょう」
トリンクイタもカクラティスよりもやや豪快な笑みを返している。
「殿下はアレッシアの方が優れた治水技術を持っていることを御存知なのだと思っております。そのため、ディファ・マルティーマでエスピラ君が行っている街づくりの仕組みを見に来た。それは、つまりエリポスが絶対の優位であることなどあり得ないと知っている証拠なのではありませんか?」
トリンクイタ様も怒っているじゃないか、とエスピラは思った。
笑顔で、人の好い、開けっ広げな笑みを浮かべてはいるが、言葉選びには少々の悪意がある。
加えて、エリポス人よりも分かりやすく悪口を言ったのだから少しはマシだろう、と言う意図も存在しているのかも知れない。真偽のほどは分からないが、可能性はある。
「父上」
小声で、クイリッタが話しかけてきた。
エスピラは口角が緩まないように気を付ける。心拍数はどうしようもない。
久しぶりなのだ。クイリッタが、自分から話しかけてきてくれるのは。
「どうした?」
「父上がカクラティス様と仲良くなったのは、カクラティス様もまた貪欲に学ばれる方だからですか?」
が、その言葉はどちらかと言うと場を収めるために似た言葉。
九歳でそのようなことが出来るのか、と言う疑問も出てくるが、空気を読めてもおかしくは無い。同時に、どす黒い気持ちと、ディラドグマで突き殺した子供が脳裏に一瞬だけ浮かんだ。
自分は、何故自分の息子を疑っているのか、と。
「それだけじゃないが、カクラティスも優秀な男だ。機会があれば話して見ると良い」
そして、エスピラは穏やかな声でクイリッタに言った。
クイリッタが頷く。フォマルハウトは自身の父が褒められたことが嬉しいのか、顔をほころばせていた。妃の顔も穏やかなモノに戻っている。脚幅も緩く、先よりは広い印象も受けた。話題の中心であるカクラティスは嬉しそうな顔をしている。体の向き、力の抜き方も完璧。あまりにも、完璧。
「先に貯水槽を見に行きますか?」
そのトリンクイタの提案に乗る形で、一行は移動することにした。
カクラティスの妃は日差しを気にしないようだが、メルアは時折太陽の方にも目を向けていたのだ。エスピラとしても、日陰に行くのは望むところである。
アレッシアンコンクリートで出来た硬い階段を下り、一回外へ。裏口に回り、晩夏でありながらも涼しい空間を形成している貯水槽へとさらに下りて行った。途中で奴隷を呼び、明かりを持ってきてもらってから子供たちも呼ぶ。一人抱えたままだったユリアンナは、マシディリ達が来てから下ろす。
駆け出すようなことは無かったが、ユリアンナもクイリッタも口を丸くしてアレッシアンコンクリートで固められた空間を目を大きくして眺めていた。カクラティスの息子であるフォマルハウトも少し親から離れている。
巨大な空間で、声も音も反響するような場所でも誰も離れて行かないのは教育の賜物か暗い空間への恐怖か。
(好奇心は刺激されているみたいだからな)
教育の賜物だと思っておこう、とエスピラは結論付けた。
ユリアンナを下ろした代わりに、「暗いから」と言ってメルアの手を取る。メルアは嫌そうな顔はしたものの、手を振り払うことは無く、むしろメルアから少し距離を詰めてくれた。
「寒くないか?」
「今心配するなら、家を出る前に言えば良かったのに」
メルアが低い声で言った。
不機嫌です、と態度では示しているが、やっぱり離れてはいかない。
「貯水槽だと言い張れば、本国で禁止されている娯楽を充実させても問題ないとはよく考えたな」
カクラティスが壁に触れながら言った。
「貯水槽が必要なのは事実さ。二万人以上がいきなり増えたわけだからね。水道の整備も風呂の建設も大事なこと。貯水槽だけを作るよりは他の利用できる物を作るのはアレッシアでは良くあることだよ」
カクラティスの言った通りの意図があるのも事実だが、多くの人にとっては特段言い訳をしなくて良い話でもあるのも事実である。
「その通りだとしても、誰もそうは思わないだろうな」
カクラティスは相変わらず楽しそうであった。
エスピラはトリンクイタに目を向ける。トリンクイタはカクラティスに同意するように数度頭を上下に動かした。
「ま、仕方無いさ。戦車競技団や劇団を保護しているのは事実だからね。そして、その保護と文化的な価値をエリポスに認めて欲しくてカクラティスを呼んでいる。文化は失われるべきでは無いと言うことを、エリポスにも共有して欲しくてね」
「恐ろしい父上だね」
と、カクラティスがアレッシア語で言った。
恐ろしいとは言っているが、顔は相変わらず楽しそうである。
「誰の手によってエリポスがアレッシアに取り込まれたいかと聞いてきているよ」
「妄想が過ぎるぞ、カクラティス」
エスピラは親しい者へ見せる笑みを作り、カクラティスへと向けた。
狙いとしては言葉の分からないカクラティスの妻子を安心させるためであったが、カクラティスが後から言えば意味が無いなとやってから思い至る。それでも、子供たちにカクラティスの軽口だと思わせられれば良いかとエスピラは表情を維持した。
「アレッシアはアレッシアの。エリポスはエリポスの文化がございます。互いの文化を守り、発展させる。それは父上も私も常々願っている所。もしも本当に侵略の意図に聞こえたのであれば、野蛮なアレッシア人の妄言だと海のように広い心で許していただければ幸いです」
マシディリの言葉の後も、エスピラは表情の維持に努めた。
カクラティスは少し目を大きくした後、爽やかに声をあげて笑い始める。
「これは一本取られたな。身内贔屓が過ぎるだけかと思っていたが、いやはや、実にウェラテヌスとしての覚悟が決まった息子だ。
エスピラ。今年の宗教会議には是非ともマシディリを連れて来ると良い。ついでに、返礼がてらカナロイアの劇団も紹介しよう。無論、先に他の妻子が来ても構わないとも」
その意図はエスピラにさらに擦り寄ると言う意味。
そして、エスピラの後継者をマシディリだとエリポスに知らしめる行動。
王族同様に、血で、繋がっていくと知らしめる動き。
(まあ、そう簡単には諦めないか)
危険な思想だと知りつつも、マシディリの出生についての陰口がウェラテヌスへの最大の攻撃となってしまう以上はエスピラはカクラティスの提案に乗るしか無いのであった。




