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夫婦(めおと)

「待たせてすまない、カクラティス」


 エスピラは義兄であるトリンクイタに案内を任せてしまっていた友人にそう挨拶すると、次に馬車に乗っているメルアに手を伸ばした。エスピラの右手を取り、優雅にメルアが降りてくる。別の馬車に乗っていた子供たちも奴隷によって随時降りて来た。


「気にしないでくれ、エスピラ。軍事行動をしている以上は仕方が無いことだろう?」


 そう言って、カクラティスが笑う。

 エスピラはその隣にいる妃にも軽く会釈した。妃も上品な笑みと名乗りを返してくれる。代わりにと言うべきか、メルアに捕まれている腕が強く痛みだしてしまった。


「軍事命令権保有者では無いのだけどね」


 とは言え、今回は遅れたくて遅れたのではない。マシディリだけでも先に行かせようかと悩むほどに遅れるつもりも意図も全くなかったのである。


「似たようなものだろう? 少なくとも、エリポスでは誰もがそう認識しているよ」


 カクラティスの爽やかな笑みに、エスピラも無言でにこやかに返した。

 それから、メルアの腰に左手を回しながら前に出す。


「本当はカクラティスに会わせるのも惜しいが、こちらが私の妻だ」


「初めまして。メルア・セルクラウス・ウェテリにございます」

 メルアが綺麗な声で綺麗に両目をつむった。


「噂はかねがね」

 とまで言って、カクラティスが伸ばした右手をすぐにしまう。


「賢い選択だ、カクラティス。例えカナロイアの王族と雖も、メルアに不用意に近づくなよ?」


 冗談っぽくエスピラはアレッシア語で言い、右手でメルアの顔を隠すようにした。


「女好きの英雄は数多いるが、エスピラはそう言った要素が全て自分の妻に向いている男なんだ。病的なまでにね。こうしてエリポスの者に会わせるのも初めてなのさ」


 カクラティスがエリポス語で自分の家族にそう言った。困ったものだ、と全ての言葉に付随しているようである。


「私自身、今年義妹に会えるのは初めてかも知れません」


 トリンクイタがカクラティスの妻子に笑いかける。


 エスピラがこの男の能力はやはり高かったと思ったのはこの気遣いや娯楽関係の手腕だけでは無い。メルアに近づかないのだ。最大限近づいても、十歩は離れている。マシディリにもユリアンナにもそのような制限なく近づくし、クイリッタに関しては未だに幼子のように持ち上げようとしたりもするのに、メルアには近づかないのである。


「カクラティス。代わりに私の子供たちとなら幾らでも握手して良いぞ」


 冗談めいたエスピラの言葉に合わせて、マシディリが前に出た。


「お久しぶりです。ウェラテヌスが抱えている借金の件では、本当にお世話になりました。今も殿下の国と自分の意見を異としながらも的確に両の利益を高めていく手腕、王の器とはこういうものかと興味深く学ばせていただいております」


「三年ぶり、かな。エスピラは優秀な息子だと良く君の話をするからね。どうしても一方的に詳しくなってしまってかなわないよ」


 砕けた笑みを浮かべつつ、カクラティスが自身の息子の背を押した。今年九歳になるはずの黒髪黒目の少年、フォマルハウトが先に一礼する。


「お久しぶりです、エスピラ様。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」


 旅費はそちら持ちだけどな、と思いつつも、エスピラは笑顔でフォマルハウトに返答した。

 戦車競技場や出来たばかりの劇場のこけら落とし公演、水道の仕組みなどは確かにエスピラがカクラティス達に紹介する形なのだ。招待と言っても間違ってはいない。


 フォマルハウトが下がった後に自分の番だと前に出て来たのはクイリッタ。ただ、エスピラが見たことの無い笑みを浮かべている。久しく見ていない無邪気な笑みにも見えるが、幼いころのそれとはまた違う笑み。九歳と言う年齢を考えれば可愛がられることが分かる笑みである。


「お久しぶりです。クイリッタ・ウェラテヌスにございます。出会ってから今まで父上のお力になってくださり、深く感謝しております。フォマルハウト様と兄上の代になっても、その後も、カナロイアとアレッシアが深く結ばれることを祈っております。本日がその一助になるのであれば、これ以上幸いなことはありません」


 腰は低く、わざとか本当か少しだけ詰まるように。それでいて、アレッシアのモノを先に出さずに必ずカナロイアを先に来るようにして。

 詰まった部分も、良く考えれば文章の始まりなどではなくエリポス語で詰まったと思えるような位置を選んでいたのかと思ってしまうような挨拶をクイリッタがした。


「いやよ」

 とメルアがプラントゥムの言葉で小さく呟いた。

 ユリアンナの視線がエスピラ、もといエスピラの耳元に頭をやっていたメルアに来る。


「あの男と仲良くだなんて冗談じゃない」


 メルアが小声で続けた。

 カクラティスに可愛がられた後で戻ってくるクイリッタの目が一瞬だけメルアに行ったが、何も分からないかのようにマシディリの横へと戻っていく。


「ごめんね、ユリアンナ。メルアは早く座りたいらしいから手短にお願いしても良いかな?」


 エスピラは少し困ったような笑みを貼り付けて、ゆっくりとしたエリポス語で言った。学びたての子に伝えるためのような、ゆっくりはっきりとした発音である。


 ユリアンナの顔がそう言うことをされなくても分かるもん! と言うかのような不満げなモノに変わった。本来の目的はカクラティス一家に聞かせるためのものなのだが、そこまではすぐには思い至らなかったらしい。

 しかし、ユリアンナは八歳。思い至る方が恐ろしいものである。


「ユリアンナ・ウェラテヌスです。よろしくお願いいたします」

 と、エスピラに怒るかのように流暢なエリポス語でユリアンナが挨拶をした。


 エスピラの目につくところでトリンクイタが楽しそうに笑っている。


「父が悪かった。機嫌を直してくれ」


 苦笑しながら、エスピラはユリアンナに近づいた。腰をかがめて膝を曲げる。手はユリアンナを持ち上げるように。

 抵抗なく、すんなりと抱きかかえることが出来た。


「私だってエリポス語をきちんと話せます」

「そうだな」

「私だって父上と母上の子供なのですよ」

「当然じゃないか」


 アレッシア語で拗ねる愛娘を、エスピラはあやすように揺らしながらぽんぽんと背中も叩いた。


「私も兄上みたいにかわいがってください」

「十分に可愛がっていると思っていたんだけどなあ」

「指輪をもらっていません」

「ああ。分かった。今度作りに行こうな」


 ぶぬう、と頬を膨らませた愛娘をしっかりとあやしつつ、エスピラはカクラティスに目配せをして足を進める。


(普段はお姉さんをやってくれているからなあ)


 末っ子になれるこの時くらい、甘やかしても良いかも知れないなと。エスピラは思って。


「劇場はどうだった?」


 ユリアンナを揺らしながら、エスピラはカクラティスに問いかけた。


「エリポスでも類の見ない立派な劇場だったよ。劇団が練習をすると言うことで長く客席にはいられなかったけど、声の反響にも気を遣っているようだしね。それに、戦車競技場や闘技場と異なり小さなひじ掛けがあるのも良い。公演中は劇に注目するべきだ。私や妻は経験したことは無いが、劇の最中を出会いの場にするのは良くないからね」


「そうだな」

 とエスピラは笑った。


 子供たちの前であまりしたくはないが、アレッシアの書物にはデート指南の話もある。

 曰く、闘技場や戦車競技場で出会いを作れ、と言うのもあるのだ。盛り上がりに任せて一緒に喜んだり、喜びに任せて肩を抱いたり。あるいは応援しているチームを知り、嘘でも同じチームを応援しているフリをする。

 劇場でも公演前に柱で逢瀬をすれだとか、隠れて手を繋げだとか。


 大真面目に、そう言ったことが書かれてあるし、行われてもいるのだ。

 だからこそエスピラは基本的にはタイリーが用意していたタイリーのための部屋に一緒したり、受け継いでからは同じ部屋を利用したりしていたのである。


「ただ、戦車競技場はそう言ったモノを残さざるを得なかったけどね」

 と、エスピラはユリアンナの耳を塞げてはいないが塞ぐようにして言ったのだった。


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