哀れな小鳥
「しかし、メルア様に手を出そうとした者は死にましたので」
「それで?」
パラティゾの言葉を、エスピラはこれまでで一番の冷たさで斬って捨てた。
パラティゾの背筋も伸びている。目はエスピラの方へ。完全に固まっている。
「アスピデアウスが殺したのか?」
パラティゾがぎこちなく首を横に振った。
「アスピデアウスは見逃そうとしていたんだよな? 友人としてサジェッツァを責める気は無い。が、ウェラテヌスの当主としてはアスピデアウスを許した覚えは無い。理解しているか? パラティゾ。露骨な身内びいきに対して、他の建国五門は不信感を持っていると言ったんだ。他の建国五門も丸ごとエリポスに送ったのも、裏があってのことじゃないかってね」
もちろん、そんな話など出てきていない。
アスピデアウスに対して不信感を持っているのはヴィンドやルカッチャーノなど一部だけだ。全員では無い。
「パラティゾ。違えるなよ。今、アスピデアウスは確かにアレッシアで最も権力を握っている家門になった。が、同時に嫌われている家門にもなった。ナレティクスの次にな。いや、ナレティクスが裏切ったからこそか。アスピデアウスへの責任論も、出かねないぞ?」
エスピラは、虐殺者でもあるのだ。
ディラドグマで木の棒でも小枝でも何でも抵抗したと言う理由だけで市民を殺戮している。捕虜を生きたまま串刺しにもしている。拷問だって何度も行っているのだ。
兵に厳しく成れない、戦場経験の浅いパラティゾを威嚇だけで呑み込むことなど容易いのである。
「パラティゾ。ニベヌレスを思い浮かべろ。メントレー様が生きている間何と言われていた? ヴィンドが活躍するまでどう思われていた? このままでは、アスピデアウスはもっと酷いことになるぞ。
恨まれてはいるが、公然と批判はできない。サジェッツァが優秀で、潔白で、アレッシアを引っ張るに値する人物だからだ。
では、残りの人は?
パラティゾ。幾ら君の人格が優れていても、厳しいのだよ。他のアスピデアウスが足を引っ張れば、次期当主である君が責任を取らされる。なんで君が取らされる? パラティゾは悪くないのに? だが、想像できないことでは無いだろう? 変な言いがかりで軍団から引き離された独裁官を見ているからな」
サジェッツァを。自身の、父親を。
「パラティゾ。真実と、伝え方が大事なんだ。
真実だけでは人は動かない。感情の方が人は動く。
なるほど。既に死んだ以上はメルアをどうこうしようとしていたアスピデアウスの者を罰することはできない。それは事実だ。致し方の無いことだ。
で? それをそのまま伝えてどうする? 全員とは言わないが人の感情を逆なですると分かり切っている言葉を使ってどうする? 何を訴えたいんだ? 何が目的なんだ?
パラティゾ。その言葉は、敵対関係を深めることしかできないぞ?
態度を見せてくれれば良かったんだよ、パラティゾ。実際に罰するかどうかじゃない。非を認め、二度と行わせないと。引き締めるような動きをすれば良かったんだ。それだけで変わったんだ。それなのに、しなかった。死人は裁けないと、事実だけで全員が納得すると愚かな考えを披露してしまった。
なあ、パラティゾ。どう思う?」
威圧からやさしさに言葉の途中で変えながら、エスピラは少し身を乗り出した。
パラティゾは退かない。止まっている。エスピラとパラティゾの距離は近づくだけ。
「事実で人は動かないことを、アスピデアウスは痛感したはずだ。それなのにまた事実だけで人を動かそうとした。私には伝わるから良いとした。
残念だよ。少々、私を軽く見ていることにね。それは下に見ていると言うのだ。
最早ウェラテヌスは蔵の無い傾いた家門じゃない。その後ろに、周りに人が居る。その者も納得させなければならなかったのに、しなかった。
少し能ある者からすれば、アスピデアウスは反省を活かせない、歴史を活かせない者に見えかねないんだよ。情勢的に心が不安定になっている者には、単純な構造に飛びついてしまう者には身内だから処分しなかったと言う意見に流されてしまうんだよ。
パラティゾ。これは悪手だ。良くない。アスピデアウスのためにならない。
そうは思わないか? アスピデアウスがウェラテヌスをアレッシア本国から南部に追いやることが出来た弱小家門だと思っているようには見えないか? 思い通りになるから動かそうとしているようには見えないか?」
風当たりの強さをパラティゾは十分に実感しているだろう。
ディファ・マルティーマは最早ウェラテヌスの基盤なのだ。アスピデアウス、もとい支援をしない元老院に対して懐疑的な者も多いのである。
その中で、元老院の実質的なトップと言っても良い人物の息子が送られてくる。その意味を邪推しない方が難しいと言うものだ。
「パラティゾ。君と言う才能がこんなところで潰れるのは惜しい。それはアレッシアの損失だ。だから、何か困ったことがあればいつでも来ると良い。とは言え、微妙な時期だ。アスピデアウスの当主の息子に、ウェラテヌスの当主が一々応じるわけにもいくまい」
やさしく言いながら、エスピラは自然とパラティゾの横に座った。
パラティゾは、やはり離れて行かない。完全にエスピラを受けて入れているかのようにしっかりとソファに腰を埋めている。
「だから、マシディリに会うことになるのかな。まあ、安心してくれ。親の贔屓目無しにしてもマシディリは優秀だ。メガロバシラスの将軍だったアリオバルザネス様も今は亡きマルハイマナの将軍であるハイダラ将軍の御家族も、その優秀さは認めているよ。
何かあれば、しっかりと相談してくれ。
何。君は今二十二歳。ヴィンドが軍団長補佐になった年齢と同じで、私が推薦したヴィエレと同い年だ。これからの人物だよ」
それから、頭を撫でる。
まるで親が息子に接するかのように、鷹揚に、優しく。
「期待しているよ」
そして、エスピラはソファを立った。
何か美味しいモノを用意してやってくれ、と奴隷に言って来客用の応接間を後にする。シニストラもすぐについてきた。
「ヴィンド様を引き合いに出されるほどに期待しているとは思いませんでした」
「未知数だからね。私からしてみても、パラティゾの実力は見てみたい気もしているだけだよ」
ヴィンドほどの才は無いとエスピラは半ば確信しているが、そんなことは言わない。
が、一応言っておくべきだろうと思い、エスピラは続ける。
「ただ、仮にマシディリとパラティゾが敵対した場合、獣の皮を着ることになるのはパラティゾだろうな」
「それを聞いて安心しました」
シニストラが静かに溢す。
エスピラは眼球をシニストラの方に向けたが、当然のことながら右斜め後ろにいるシニストラは見えない。
「安心したか?」
「はい。正直、建国五門の血を引く方々は才気に溢れた超人ばかりかと最近は思ってしまっておりましたので」
くすり、とエスピラは思わず笑いがこぼれてしまった。
「何だそれは」
「ヴィンド様にルカッチャーノ様はもちろんですが、結局スーペル様も左遷のような扱いから復活しております。エスピラ様やマシディリ様を始めとするエスピラ様の御子息は言わずもがな。サジェッツァ様の子も同じようであれば、成人するまでの差でややウェラテヌスが不利かと思いましたので」
「私はアレッシアを割る気は無いぞ?」
少しだけ楽しそうにエスピラが言う。
「存じております」
シニストラは静かにそう返してきた。
その後は一度会話が途切れ、子供たちのどこが優秀に見えたかと言う話をエスピラは振った。シニストラはそれに応えていく。クイリッタは愛嬌や詩作の才があり、リングアは剣や体術の素質がある。マシディリは言わずもがな、褒めるところが多すぎる、と。
その返事にエスピラはにこやかになりながら、ヴィンドの居る隠れ執務室に戻って行ったのだった。




