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加減の分からぬ甘さ

「軍団の訓練について?」


 確かに基本はエスピラが四年間施してきたモノであるが、今は軍事命令権保有者であるカリトンや副官であるヴィンドの方が関わっている。


「はい。戦闘訓練に於いて、従軍経験者が新兵をしごくのを止めていただきたいのです」


 言っているのは、殺人技術を身に着ける際に丸太や人形もどきから対人訓練に移った時の話だろう。新兵や若い兵の相手を従軍に馴れた者が行い、何度も打ち負かすことはある種アレッシアの伝統なのだ。あまりにもひどい場合は裁判に発展するが、身に着けなければ死ぬことでもある。今回も、軽い打撲のような怪我は報告にあったが、数日にわたって腫れあがるようなものは聞いていないのだ。むしろ善良的な範囲だとも言えよう。


(とは言え、新兵からすれば良い思いはしないが)


 ふむ、とエスピラはゆっくりとお茶を机に下ろした。


「酷い怪我はカリトン様かヴィンドに報告すべきだと思うのだが、伝えてあるかい?」

「いえ」


 堂々とパラティゾが言う。


「隠すほどの大怪我を負った者がいるのか?」


 エスピラは、声音を少し深刻なモノに変えた。

 パラティゾが首を横に振る。


「兵が文句を溢しているのです。弱い者をいじめて楽しいのか、と」

「弱者をいたぶるのは良くないな」

「でしたら」


 身を乗り出しかけたパラティゾを、エスピラは右手のひらを見せて止めた。


 ゆっくりと手を閉じながら横に動かす。


「経験を積んだ兵の技術を目にし、盗むのは訓練では良くあることだ。実際の空気が悪く、見下しているような、軍団に亀裂を生むようなモノならば対処しなければならないだろう。

 だが、一方でジャンパオロが監督することになった部隊からはそのような苦情は届いていない。むしろ、エリポスに従軍していた兵に頼むこともあるそうだ。カリトン様にももう少し経験を積んだ兵との戦闘訓練を積みたいと言う申し出もある。

 さて、パラティゾ。この両隊の差は何だ?」


 パラティゾの両手が強く握られる。


「エスピラ様は、私の力量不足が招いたとおっしゃりたいのですか?」


 エスピラは大きな溜息を吐いた。


「何故そうなる。確かに監督している軍団長補佐は違うが、違いはそれだけなのか? 言ってしまえば、人も違えば百人隊長も異なる。第一、力量不足で言えば私がジャンパオロ・ナレティクスを信用していないのは良く分かるだろう? 


 パラティゾ。もっと堂々とするんだ。


 私に頼るのも、筋が違う。私は君の直接の上官じゃない。君の直接の上官はカリトン様だ。カリトン様に会えないのなら、ヴィンドを頼るべきだ。ヴィンドも建国五門。私と違いは無い。それなのにいきなり私に訴えて事態を変えようとするのは逆に不和・不信を生みかねないぞ?


 訓練ならば順序を追って、きっちりと申し立てるんだ。特に今はウェラテヌスとアスピデアウスは難しい時期。アスピデアウスの思い通りにウェラテヌスを動かせるんだと思わせるために訴えたと邪推されることも十分に考えられる」


 悪いモノでは無いのだけどな、と思いつつ。

 父であるサジェッツァが優秀であり今やアレッシアで一番力を持っている人物だからなのか、焦りと劣等感が悪化したのだろうとエスピラはあたりを付けた。


「アスピデアウスが良く思われていないのなら、やはり私が原因では無いですか!」


「パラティゾ。一緒に訓練した者が死んで喜ぶ者はいない。だが、真面目に訓練をしなかった者が居たせいで味方が死ねば、その者を恨む者はいる。兵に対する甘さは味方の死を招くことを忘れないでくれ。思いやりを持ち、長生きしてほしいと思えば私の対応の全てに理解が行くはずだ」


 実際のところ、報告以外にも色々軍団の訓練や噂話にエスピラは耳を傾けているのだ。


 それによると、パラティゾの隊は特別厳しいどころか緩い部類。軍団を壊滅させるために送り込まれたなどと言う陰口すらある部隊。これらの陰口がパラティゾの訴えに直結している可能性はあるが、エスピラが動くべきでは無い。エスピラの課している訓練を考えれば、パラティゾの擁護は出来ないのだ。


 きちんとカリトンが動き、訓練を変え、あるいは部隊と監督役を入れ替えて訓練を行う。そうして訓練の真剣さを高め、それでも悪質なしごきがあるのならしごきを行った者を罰する。


 それが組織としての動きだ。


「それとも、私に訴えないといけない何かがあるのか?」


 それでもしばらく黙ったままのパラティゾに、エスピラはそう聞いた。



「君は親友の息子で、兵となることはできない年齢であったが一緒に戦った仲だ。できる限り協力はしたいと思っている。だが、個人的なモノとして他者が見てくれないことは多々あるのだ。


 アスピデアウスが特別視されているのは周知の事実だろう? あまりこういうことを言いたくないが、アスピデアウスは私を年単位でアレッシアから追い出した後、私の妻に無断で言い寄った。もちろん、サジェッツァの意思では無いことは知っている。だが、言い寄ったのは事実だ。


 で? その結果は? お咎めは?


 当然無しだ。


 ベロルスは追放されたのにな。確かにサジェッツァを今排除することはできないだろう。私だって止める。が、アスピデアウスの者が簡単に高官になれる現状はどうも納得できない。

 私はそれがサジェッツァの行動を円滑に進め、無駄な横やりを入れられないためだとは理解しているとも。だが、簡単に騒いだ民衆がそれを信じるか? 理解できるか?


 そう言うことだ。

 少なくとも、戦争が終わってアスピデアウスがある程度裁かれない限り、元の関係には戻れないよ」



 パラティゾの目が大きくなった。やや力むように開かれている。


「それは……!」

「これをアスピデアウスである君に言う時点で私が君を信用していることは理解してほしいな、パラティゾ」


 穏やかにやさしく、染み入る声をイメージしてエスピラは言った。


「そしてもう一つ。まるで私がベロルスを追放したように言われているが、追放まで持っていったのはタヴォラド様だ。当時トリアンフ様と縁が深かったベロルスを追放して、力を奪うためにね。

 その結果、長男ながらタイリー様に後継者に指名されなかったトリアンフ様をタヴォラド様は直接争うことなく退けることに成功した。味方だと思われていたコルドーニ様も半ば裏切っていたようなものだしね。いやはや、怖い兄弟だよ。次男も三男も、長男を見捨てていたのだから。恐ろしいモノだ。クイリッタやリングアにはそうならないでほしいよ」


 まあ、トリアンフ様とマシディリを同列に扱うことなど不敬極まりない話だがね、とエスピラは締めた。

 シニストラが「全くです」と同意する。


「父上も、兄弟関係は問題ないかと思います」


 パラティゾが少しかすれた声で言った。


「サジェッツァなら返り討ちにできるさ」


 信頼を含めた言葉であるが故に軽く言う。


「君達にとって幸か不幸か、あの時よりもウェラテヌスは力を持ってしまった。凱旋式の打診が無いことに文句を言ったり、カルド島に派遣されなかったことに文句を言ったりする層が民の中に一定割合居るくらいにね。


 パラティゾ。甘さは味方では無い。君を滅ぼす敵だ。

 私が言えたことでは無いが、甘さは捨てた方が良い。甘さによって味方になったように見える者は、結局は土壇場で裏切る。


 パラティゾ。パラティゾ。


 私は、君を親友の息子としてだけではなく個人としても認めているから言っているんだ。切り捨てるのは慎重にならないといけないが、甘さを見せないとついてこない者を守る必要は無い。


 まあ、私が言ってもあまり説得力は無いか」



 ロンドヴィーゴに対して恩義がと思い甘さを見せた結末が軍団を危険に晒したことにもなったのだから。


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