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既に、もう、一人じゃない

「カリトン様が激怒されたそうです」


 とのソルプレーサの言葉を聞いて、エスピラは愛息の腹に埋めていた顔を上げた。エスピラにふざけて吸われていたアグニッシモはきゃっきゃと笑い続けている。双子の弟であるスペランツァは次は自分とエスピラの服の裾を引っ張っていた。


「何故か聞いても?」


 言いながら、エスピラはアグニッシモを下ろし、スペランツァを抱き上げる。三歳になったばかりの息子アグニッシモは駄々をこねていたが、長女ユリアンナになだめられて文句を小さくしていった。


 代わりに机の上に乗せたスペランツァに、エスピラはふざけて顔を埋める。双子の兄よりは静かに、それでもきゃっきゃとスペランツァも笑い出した。


「元老院がエスピラ様を特別軍団長に任命しようとしたと聞いております。それを受けまして、

『グライオ様が生きていることは報告済みのはず。それを知っていてと言うことは、トュレムレにエスピラ様を入れろと言うこと。本国は援助の一つもせずにエリポスやマフソレイオからの援助を受けているエスピラ様を手放せということ。ディファ・マルティーマを枯らしたい、この戦争に負けたいと言っているようにしか聞こえません』

 と返したそうです」


「ぼふぉふぇ?」


 どこで? とエスピラは息子に顔を埋めたまま言った。

 スペランツァの笑い声が大きくなる。


「元老院で。ついて行ったリャトリーチや他の新たに任官されるために選挙に臨む者達は広場でそのことを広める演説を行ったそうです。ついでに、エスピラ様に頼りきりになってはいけないことも。一人に力が行き過ぎているため、ディファ・マルティーマに居る自分たちがアレッシアの高官に就き、援助を引っ張らないといけない、とも」


 エスピラは少し顔を上げた。


「弁の立つ者達で何より。今回の面子には、是非とも選挙に勝ってほしいからね」


 言い終わると、終わってしまったのかと少し残念そうな顔をしていたスペランツァにエスピラは思いっきり顔を埋めた。うりゃうりゃ、と上機嫌な声まで出して顔を横に細かく動かす。スペランツァが思いっきり笑い始めた。


 ソルプレーサの重い溜息が聞こえてきたが、エスピラは取り合わない。


 もう一度溜息が重ねられる。


「それと、来年の執政官となるマルテレス様ですが、任地はカルド島となるようです」


「は?」

 だが、ソルプレーサのその言葉には顔を上げざるを得なかった。


 代わりにスペランツァのお腹に手を置いて、細かく振動させる。顔はしっかりと真剣なものをソルプレーサに固定して。


「任地はカルド島になるようです」

「聞こえている。が、マールバラはどうする気だ?」

「私に聞かれましても」


 ソルプレーサが淡々と返してきた。


「ですが、本国の知恵者と言う輩は防御陣地の敷設で何とかなると考えだしている可能性もあります」

「流石にそれは愚か過ぎないか?」


 ばーかばーか、とアグニッシモがユリアンナの足に纏わりつきながら言った。そんな言葉を使うんじゃありません、とアグニッシモが注意されている。


「ディラドグマで見つけた地中回廊を作る技術。当代随一の技術者を財に任せて集めて発展を急いだ攻城兵器。アリオバルザネス将軍、ハイダラ将軍の御家族、そしてアレッシアの三か国の戦術と知識を総動員して考え抜かれた配置。高いレベルでエスピラ様の意図を把握できるように訓練した軍団。

 どこの戦場でも掴めた勝利ではなく、四年前から予期していた場所で待ち構えるようにして得た勝利だとどれほどの者が理解しておりましょうか」


「理解させるためにも伝記を書いていたのだがな」


 伝わらなかったのなら、自分の責任か、とエスピラはスペランツァにもう一度顔を埋めた。


 すーはーと呼吸をしてから、顔を上げる。


「カルド島の支配を確実にすればハフモニ本国から半島にいる者達に支援を送ることはほぼ不可能になる。

 第一次ハフモニ戦争でも中継地点としてカルド島、オルニー島が生きていたからこそアレッシアはハフモニの仕掛けてくる海岸線のみを荒らす攻撃に苦労したんだ。中継無しで攻撃するにはリスクが高く、失ったモノを補填するだけの国力が残っているのならプラントゥムにあんなに軍団を送ってはいない」


 ソルプレーサが無言で頷いた。

 エスピラが思考整理のために口に出しているだけだと理解しているのだろう。


「まずはマールバラを孤立させる。マールバラ自体に野戦で勝てなくとも、アグリコーラとディファ・マルティーマを往復させれば時間は稼げる。時間を稼ぎながら、ゆっくりとアグリコーラにおいて敵勢力圏を縮める。有効な対抗策はどちらかを見捨てることだが、マールバラは当初の構想と裏切って自分に味方したアレッシア人。どちらを見捨てるかな」


 裏切ったアレッシア人も当初の構想の一つだとは思っている。だから、どちらも見捨てられないだろうと思いつつ、エスピラはスペランツァを持ち上げた。


 アグリコーラを見捨てれば、今後、裏切ってマールバラを味方する都市は少なくなる。見捨てられるのだから当然だ。

 一方でディファ・マルティーマの攻略を諦めれば長期戦は確実。奪えたとしてもメガロバシラスと再度交渉のし直し。


「ハフモニ国内の物価は、戦争前の低くても二倍以上になっているとの報告には既に目を?」


「ああ。通しているとも。プラントゥムを経由しない経路のほとんどはマフソレイオに遮断されているからね。本国の協力を得るためにもエリポスと交易できる状態にはしたいだろうさ」


「その意味では、トュレムレの海戦で大きな犠牲を払った意味がありましたね」


 守ってもらえるはずが、死ぬことになるのなら。

 誰も、トュレムレからエリポスへは行きたくないだろう。


 マフソレイオとカナロイアの海軍がアレッシアの味方なのもあって、ディファ・マルティーマの艦隊をかわせても危険は続くのだから。


「まあ、一番笑っているのはマフソレイオだろうがね。裏ルートでハフモニに高額で穀物を流しつつ、アレッシアにとっても欠かせない協力者に落ち着いている。元老院が私を嫌うのはそんなマフソレイオの思惑にも気づいている者がいるからじゃないか?」


 笑いながら、「笑えないな」とエスピラは言った。

 スペランツァも下ろし、ユリアンナに任せる。


「やはり、今回のマルテレス様をカルド島に送り込むと言うのは」


「マルテレスならカルド島の拠点を増やせるさ。そこは間違いない。宗教的に重要な土地も多分覚えているだろう。マールバラをどうにか抑え込めるのなら良い策だよ」


 立ち上がり、部屋の外に出る。

 子供たちは部屋に残したまま。ただし、少し離れたところに見える庭先では、マシディリとクイリッタがシニストラとステッラに剣術を習っていた。


 ソルプレーサがエスピラの後ろに到着する。


「この光景は、二十年前にも広がっていたのかな」


 エスピラは目を細めながら呟いた。


「むしろ、二十年前の方が広がっていたのかと」


 ソルプレーサが慇懃に返してくる。


「ただ、丁度二十年前はウェラテヌスがついに二人だけになった時期。名前だけの弱小家門が今や戦時中のアスピデアウスの専横を防ぐ最有力候補になっております。エスピラ様が望む望まざるに関わらず、サジェッツァ様とは道を違えることになるかと」

「ならないさ」


 ソルプレーサの言葉に、エスピラは彼を見ずにすぐに応えた。

 もう一度、ならないさ、とこぼす。


「サジェッツァは私の親友で、同じ建国五門の者だ。共に最優先事項はアレッシアの栄光と繁栄。サジェッツァが他の家門に気を遣わないで済むようにと高官に就けているアスピデアウスの名を穢す者達も、戦後には粛正されるよ」


「その時までに、その者達が権力を固めないと良いですね。あるいは、権力を持ったことによって人が変わらなければ、とも思います。残念ながら、エスピラ様の発言はただの甘さと甘えにしか聞こえません」


 聞きながら、読み違えたか、ともエスピラは思った。


 去年一昨年と世間一般で言う怪死して行った者達。その者達を屠った意図は、今、高官になるべきではないのになりかねない者を始末しておかないと大変なことになる。

 そう、メルアも思ったのではないか、と。


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