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目には目を、歯には歯を。君の手には、君の手を。

「さて。松明の効果的な使い方を教えてもらったお礼をしなくてはならないな」


 ディファ・マルティーマ西北にある防御陣地アクィラに戻ったエスピラは、楽しそうに笑いながらそう言った。

 目の前のカウヴァッロは何も反応せずにただただ牛肉を頬張っている。


「お礼、ですか?」


 イフェメラが聞いてくる。。

 ヴィンドを南方の防御陣地群に置いていく代わりに連れて来たファリチェも興味津々と言った様子でエスピラを見てきていた。


「そうだ。偽手紙を頂いていたからね。効果的な使い方を教えて差し上げようと思って」

「効きますか? マールバラは、小さな防御陣地を立て続けに落として勢いに乗っていますよ」


 懐疑的に呟いたのはジュラメント。

 最近、顔色が戻りつつある。



「落とした防御陣地に居たのはいつも解放していた同盟諸都市の兵のみ。

 何故か。

 それは、北方諸部族にアレッシアと内通している者が居たから。だからあらかじめ攻める場所を知っていた。内通者もマールバラが居る前で裏切ることは厳しいからそうやって協力することでアレッシアの怒りを回避しようとしている。


 そう思わせれば良い。

 別に、こちらからは約束しない。本当のことは何も言わない。

 ただ、無い約束が書かれた手紙を持つ北方諸部族の者が居る。別の部族の者はその条件を羨み、ある者は仲間を裏切って逃げた者が厚遇を受けることに怒りを覚える。特にマールバラは弟を殺され仲間を殺され、その遠因が北方諸部族にあると知ったらどうなるか。


 まあ、そう言う話さ」



 言いながら、エスピラは北方諸部族の共通言語や文字の無い部族用にエリポス語で書いた手紙を広げた。


 イフェメラやジュラメント、ファリチェにルカッチャーノが手紙に目を落とす。


「これらを内心は戻りたがっていそうな捕虜に持たせる。あるいは、アレッシアのことが嫌いな奴にね。もちろん、本当に渡っても良い。向こうがアレッシアと交渉の余地があると思えばそれもそれでありなのさ」


「これだけ見ると、完全にエスピラ様がマールバラを手玉に取っているように見えますが」

 と、ジュラメントが呟いた。

 イフェメラもやや興奮気味に頷いている。


「手玉に取れるのならここまで時間も手間も労力も財もかけていないさ。防御陣地を建設する時間、使用した資材、今回消耗した物品。確かに兵の命の多くは守れた。だが、それ以外で言えば明らかにこちらの方が失っているよ」


 だいたい、手玉にとれているのなら「名誉を回復させる機会を与える」とか言って南方から引き抜いた者たちを落とされやすい端の防御陣地に入れることもしていない。


 エスピラはエリポスで戦い抜いた者たちの温存を選ばざるを得なかったのだ。


 解放される保証も無い、いざとなれば処刑もやむなしの状況で誰を切り捨てるのか。その判断を優先している。


 グラウが死に、フラシの皇太子も死に。

 此処だけ見ればアレッシアが優勢であるが、じりじりと押されている自覚はあるのだ。

 偽手紙が上手く行ったとしてもいかなかったとしても、雪の量やマールバラが退くか否かに左右される部分も大きい。アグリコーラの戦況に影響される部分だって大きいのだ。


「ですが、軍団の中にはマールバラに対しても勝てると言う話が流れているのも事実です」


 ソルプレーサが静かに言った。イフェメラやジュラメントも同調している。


(皆を窘め、気を引き締めろ、ね)


 ソルプレーサの意図は、恐らく。


「マールバラの居るところに勝ったことは無いけどな。そして、そう言うところで勝ちを拾わせ、自身に有利な戦場に持ち込んで勝つのもマールバラの得意技だ。既に二万以上までに回復したマールバラの軍団相手に防御陣地を捨てて勝てるとは思えないよ。

 そもそも、防御陣地に攻め寄せてきてくれている時点で向こうから与えられている勝利とも言えるしね」


 そろそろ良いかい? とエスピラは手紙を返してもらえるように手のひらを向けた。

 意図をきちんと理解してくれたらしく、三人とも手紙を纏めてエスピラの机の上に置いてくれる。エスピラの手には誰も載せない。


(載せてくれても良いのに)


 リングアやチアーラならば何も考えずに手を置いて笑うのにな、とも思いながら、幼子と一緒にするのは違うなとエスピラは苦笑した。


「さて。上手く引っかかってくれれば良いのだが。本国を掌握できず、ピオリオーネの件を簡単に戦争まで運んでしまった拙さを思えば戦場で相まみえるよりは勝率は高そうだけどね」


 そして、苦笑のまま手紙を纏めた。


 向かう先は捕虜のいる場所。いつもよりも少し豪華な食事と乾燥した果物を持って、エスピラ自ら近づいた。かけた言葉で共通しているのは「私と君だけの秘密にしてほしいのだが」。絶対かけなかったのは謝罪の言葉。


 そこはかとなく上から目線で。それでも頼んでいるのはエスピラの方だと分かるように。決して頭を下げずにエスピラは伝えきった。


 相手の反応によって僅かに態度を変えつつ、徹底して味方ではあるが少し傲慢な、北方諸部族から見たアレッシアらしい態度を演じきったのである。



 そして、解放する。


 と言っても、土地勘などあまり無いだろう。マールバラについて動き回っていたとはいえ、どこをどう行けば帰れるかなど正確に分かる者は少ないはずだ。


 だから、その道中で捕まったり、あるいはエスピラの見せた傲慢さによってマールバラの下に自ら行ったり。


 効果は分からないが、ひと先ずは偽手紙はマールバラの下に届いたようだと、ソルプレーサを始めとする監視部隊から報告が入った。


 ただし、その後もしばらくは防衛戦が続く。

 端の、最も連携が難しい防御陣地ばかりをマールバラが選定して襲ってくる所為で、ルカッチャーノをよりディファ・マルティーマに近い防御陣地レオーネまで下げざるを得なかったりもした。


 しかし、半島北方では雪のちらついているであろう時季、十番目の月の中頃にはマールバラが退き始めた。


 最後まで北方諸部族とプラントゥム勢でくっきりと分かれた様子無く引き始めたのだ。


 偽手紙が成功したのか失敗したのか。

 少なくともこの場では下手に処断することは不利益と悟ったのか、逆に利用されたのか。

 エスピラは重装歩兵に半島の民以外の者を入れるつもりは無いが、自身ならば手紙を読み上げたうえで破り捨てるなどのパフォーマンスをするだろうか、とも思い、思考を止める。


 考えても仕方が無いのだ。


 起きたことのみが事実。マールバラは、ディファ・マルティーマの攻略を取りやめた。例えトュレムレの救援が主目的だったとしても、少なくない犠牲を払った攻撃を諦めたのだ。


「ひとまずは勝利か」


 呟いて、選挙のためにアレッシアに入れる人物を考える。

 カリトンだけならば元老院も納得するため送らなくても良いだろう。だが、それ以外にももっとと考えると送らざるを得ないのである。


 同時に、防御陣地からより防寒対策が取られているディファ・マルティーマへの将兵の撤退も進める。少しずつ、少しずつ。マールバラが取って返してもそのまま戦える軍勢を残しながら。


 そして、雪がディファ・マルティーマのある半島南部にも降り始めた時、マールバラが急遽とって返してきたと言う連絡が入る。狙いはトュレムレ。


 攻略か、越冬か。

 そこは分からないが、挑発は目的の一つだっただろう。



 敵のいるところに陸で行っても勝てない。ならば、被害は承知で。


 そう考えたエスピラはオルカで編成した超長距離投石部隊を船に乗せ、多量の石で以って遠くからトュレムレに停泊している艦隊を攻撃することに決めた。船が沈没すれば投石機は失う。そうでなくとも大量の石が消費される。だからこそやらなかった攻撃を、しかし即断で決行したのだ。もちろん、他の船にはエリポスに行かなかった兵を乗せ、失ってもまだ替えがきくと言う残酷な決断も下している。


 そうして出航した艦隊が敵艦隊を砕き、敵がグライオの籠る港だけは通さないように退いてからは船上から市街に向けて無造作に石を放つ。高高度で壁の上を越えて適当に打つ。


 ついでに、グライオのいる港にも接近して食糧を夜間に小舟を流して運び込んだ。敵にも奪われはしたが、それでも味方に補給が行ったことの方が大きい。


 戦闘が終わったのはマールバラの手に落ちた南方の同盟諸都市から船団が送られてきてからのこと。

 三十艘を越える船団に対し、ディファ・マルティーマの船団は相まみえることなく入り江から出て行く。


 沈んだ、あるいは航行不能になった船は互いに十艘を越えた。エスピラらは投石機も失った。物的損害で言えばアレッシアの損が大きくなった海戦であった。


 だが、マールバラには支援が無い。


 南方諸都市の造船能力はエリポスを味方につけているディファ・マルティーマに及ばないのである。


 三度目の戦いは挑発に乗った形になったエスピラの敗北に近い結果で幕を閉じたが、エスピラやエスピラの話を聞いていた者達には失態を犯したのはマールバラだと言う認識で決着がついたのだった。


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