疑惑の勝利
エスピラが向かった先はもちろんハフモニの占拠しているアキダエ。
ペリースも革手袋も外し、代わりに両手に鉄の籠手と死体から作ったカツラを被る。上半身もほぼ裸にして、体を汚し、ハフモニに壊された地下回廊の生き残りを使って静かに陣内へ。
音を消し、気配を消し、人に紛れてゆっくりと進む。
事前情報通り、グラウの軍団は雑多な軍団なのだ。
長い間の戦利品によって、装備からどこの者か分かると言うことも無く。それでいて戦利品で纏まっているわけでも無い。どんな格好の者もいる、雑多な軍団。言葉も訛りもあってまちまち。
だからこそ、エスピラも完全に紛れ込むことが出来た。
紛れ込んで、静かに目的の場所に近づく。時間的に良しと判断したのか、騒ぎが発生した。耳を欹てれば、馬が逃げたとのこと。一緒に潜入した被庇護者が上手くやったらしい。
その機に、エスピラは人の出払ったグラウの天幕に一気に近づいた。
横にはハフモニの高官らしき者が二人。剣の装飾が立派で、鎧も傷ついているが剛健とした良い造りだ。ただし、エスピラが顔から完全に判断できるのはグラウ一人。
「どうした」
グラウが言う。
「誰も、私を怪しく思いませんでした」
エスピラはやや声を変えて、たどたどしいエリポス語で言った。声もぼそり、と。もごもごと。引き寄せるために、重要そうなことも口走りつつ。
少しだけ手が濡れる。心拍数が増える。それでも、瞬きも表情も変えない。顔はやや下を向いたまま。頭を垂れるように。長い剣を横に捨てて。
「だからどうした?」
グラウが近づいてくる。
足音が、一歩、また一歩と。グラウが高官とは離れるが、そこまで大きくは離れないだろう。
「もしもお命じ下さるなら、エスピラ・ウェラテヌスを討ち取ることが出来ると思います。その後に出陣されれば、暗殺では無く敗死したことになり、問題は起こらないかと。
我らの間ではマールバラ様の手腕に疑問を持つ者も出てきております。この隙に、グラウ様がエスピラを討ち取りディファ・マルティーマへの道を開通させれば、マールバラ様も往時の勢いを取り戻せるかと、愚考致しました」
忠誠心からか、グラウの動きが止まった。
瞬間、思考するかのように顎が少し浮く。視線が切れた。首筋がエスピラに晒された。
エスピラは、左手の掌底で一気にグラウの顎を撃ち抜いた。右手で腰元に隠していた短剣を空気に晒す。一撃。頸動脈を掻っ切り、股間に膝を埋めて喉に短剣を埋めた。
「貴様!」
死体を左に投げ捨て、低く転がる。転がりながら剣を回収した。高官の一人の後ろへ。もう一人は死体を受け止めている。
「だっ」
男が叫ぶ前に喉を正面から突き刺し、男の体を踏み台に飛び跳ねた。頭上を越え、グラウの死体を丁寧に横たえている男の頭を掴む。そのまま地面に落下。
衝撃に呻く男の顎を掴んで、首を捻った。
蹴とばし、剣を奪う。各々の剣で各々の腹部を地面に繋ぎ止めた。念のためグラウ以外の者の頸動脈も斬り、グラウは心臓部分を剣で突き刺す。
最後に、かがり火を蹴とばして天幕に火を着けた。自分の左腕も斬りつける。
「大変だ! グラウ様が! このままでは死体が!」
そして、北方諸部族で最もよく使われている言語で流暢に叫ぶと、エスピラはグラウの死体を引きずって外に出た。
少し訛った話し方で騒ぎ、声も高くし、歩き方や動作もいつもよりもバタバタとしたものに偽装する。近くに居た者に積極的に話しかけ、下手人の特徴をしっちゃかめっちゃかに言いつつも少しだけ共通点を残して気が動転している風を装う。
そうして騒ぎを大きくしながら、徐々にエスピラは陣から離れた。
十分に離れたところで、カツラを外す。
「お疲れ様です」
ソルプレーサが闇からぬっとあらわれ、瓶に入った水を差しだしてきた。
受け取り、頭から被る。乱雑に頭を搔くように水を切ってから、エスピラはさらに差し出されたペリースを羽織った。籠手の鎧も立派なモノに変える。
「グラウと、ついでに上顎騎兵隊長経験者と思われるアマムも討ち取れたよ。高官だと思ったもう一人の顔は知らなかったけどね」
「流石はエスピラ様」
ソルプレーサのあまり感情の籠っていない賞賛の言葉に、エスピラは片側の口角しか上げない笑いで返した。
「混乱が収束する前に仕掛けたいのだが」
「少々お待ちを」
とソルプレーサが言うが、すぐにエスピラの信任厚い被庇護者の一人が「皆、帰ってまいりました」と報告してきた。
エスピラが頷く。攻撃開始を告げる赤いオーラが夜空に放たれた。エスピラ達が素早く陣地に戻る間に、重い地鳴りがアキダエの方から響いてくる。
超長距離からの投石。遅れて、逆方向から動き出す数多の松明。
これがアレッシア軍ならば、陣内の兵も次の指揮官がすぐに分かっただろう。だが、グラウが率いていた軍団は多部族の集合体。しかも、マールバラは自身が頂点となるようにだけ決め、指揮官はその都度変えていたようなもの。一個一個の作戦の成功率を上げ、捕虜としての価値を下げることには役立ったが、指揮官が死んだ場合は誰が指揮を執るのかが明確ではなくなるのだ。
混乱の中、敵軍が部族ごとに動き出す。
ある者はスコルピオ部隊の前に躍り出て、串刺しに。ある者は闇に紛れてバラバラに。ある者はアレッシアの陣地に突撃してしまい、反撃にあって死亡する。
一万六千の軍団では無く、最大数百人単位がたまたま一万六千分集まったような状態。敵からすればそんな状態で、暗闇からどんどん攻撃が飛んでくるのだ。自分の手には剣や槍、盾など敵に攻撃が届かない物ばかり。
混乱がとけて松明の集団が馬だと知れば追いかける者も出て来た。
先に陣地から馬が逃げている以上、その馬を捕まえて逃げようと思う者が雪崩を打って、前の者を踏みつぶして駆け出しもしたのだ。
エスピラら最精鋭の二千四百は、その様子を堂々と見守る。
かがり火をたくさん焚き、威風堂々と並んで見守る。
混乱の最中にある中でも、一部のまとめられた兵はエスピラ達に攻撃を仕掛けようと纏まりだしたようだ。とは言え、投石機の攻撃にあい、満足にはいかない。味方がどこを走っているか分からないから下手な攻撃もできない。
そうして、注意だけはエスピラ達に向いているが効果的な攻撃を繰り出せないことを確認すると、エスピラは次の指示を出させた。
超長距離投石の停止と、ロンドヴィーゴに従ってアキダエを放棄した一千百への突撃指示。背面からの攻撃。
夜なので数は分からないのだ。
ただでさえ混乱し、指揮が乱れ、あらゆる者があらゆるところで何かを叫ぶような事態。
こうなると数はただの邪魔でしかなく、最後まで粘っていたハフモニ勢もついに敗走を始めた。そこを逃がさないようにエスピラは集団で潰していく。逃げる兵を、やっと追い始める。
最早、ただの狩り。
戦いにならない。
夜が明ける前にエスピラは追撃を中止し、部隊を纏めてアキダエに入場した。
この戦いに於けるアレッシアの被害は突撃部隊が三十八人の死人を出し、スコルピオ部隊にも三人の死者が出た。怪我人も百名を超える。
だが、ハフモニはマールバラの弟グラムを始めアレッシアで言う騎兵隊長以上の経験者が三名死亡。さらにはヴィンドが移動経路を読みフラシ騎兵を率いていた皇太子を討ち取ることにも成功したのだ。
これだけでも大きな被害である中、アレッシアが回収した死体も三百二十六を数える。捕虜、降伏、寝返りは合計すれば千五百は越え、最新式の投石機も三台ともアレッシアが回収できた。
ソルプレーサらの情報収集によれば、その後にマールバラの軍団にすぐに合流で来た者は三千名足らず。後は散り散り。
さらに追い打ちをかけるように敗残兵回収部隊をイフェメラやジュラメント、カウヴァッロらマールバラとのにらみ合いを続けていた者達が襲い始めた。
暗殺を用いて手に入れたこの勝利は、報告の到達と共にアレッシアを湧かせることになる。
「アレッシアは剣でお返しする」。エスピラのその言葉に、熱狂が起こったのだ。古の言葉が、今、新たな命を得たのである。
しかし、サジェッツァからは「疑惑の勝利」との言葉を頂いてしまったのであった。




