表にならない裏の裏はどこに
挑発に乗ってこないと判断したマールバラの次の手は戦場を広げること。
当然、それはエスピラの望むところではあるため、応じた。ただ、各所で起こる戦闘は死者の出ないことも珍しくない小規模なモノ。こちらの兵力を探っているかのような動き。
とは言え、だ。
全力での防衛とはいかずともアレッシア側も攻撃の手は緩められない。こちらからの情報は徹底して封鎖し、相手の情報も集めてはいるがどこにぬけがあるかは分からないのだ。
「夜襲を仕掛けるか」
だからこそ、エスピラはアクィラに多くの高官を集めてそう言った。
「成功する可能性は低いと思います」
真っ先に言ったのはイフェメラだ。
ルカッチャーノも頷いている。
「だろうな」
「狙いはマールバラでは無く北方諸部族の感情、と言うことですか?」
とエスピラの目的を見抜いたのはネーレ。主に軽装歩兵の指揮を担当してきたエスピラの信任も厚い軍団長補佐である。
「その通りだ。全く出てこない、では無く反撃も有り得る、と認識させたいだけの攻撃だ。だから、こちらの被害を出さないことを優先する普通とは違う夜襲にはなる」
「見抜かれませんか?」
イフェメラの言葉を受け止めてから、エスピラはソルプレーサに目を向けた。
ソルプレーサが頷いてから地図に近づいた。
「マールバラらしき人が居るのはこの地点の内のどれか」
三か所に石が置かれる。
此処、つまりアクィラの前の陣地。ディファ・マルティーマに最も近づいた戦線の東端。最後にトュレムレに最も近い戦線の南端。
「グラウやフラシの皇太子が居る軍団はまだトュレムレにも到着しておりませんので、最大級の警戒をすべき者がいる可能性は低いかと」
投げ槍騎兵であるフラシ騎兵はフラシ王国の傭兵だ。
そして、フラシ騎兵を従えている皇太子が能力的には優秀であり、次期国王だと言われている。が、しかし。この皇太子が死ねば国が二分される可能性のある国でもある。それなのに、皇太子は戦場に出たがるのだ。
上手く討ち取れれば、とエスピラはマルテレスに書き送りはしたものの、ドーリスと同じく傭兵であるため意味が無い可能性もあるとは思っている。
「また、陣地を狙うならこの五つ。補給物資を狙うならば道中を移動している隊が二つございますので、そちらを狙うのがよろしいかと」
ソルプレーサが続けた。
「撤退優先の夜襲、と言うことは警戒が厳しいと思えば馬の嘶きを聞かせるだけで撤退してもよろしいのでしょうか?」
聞いてきたのはカリトンである。
「もちろんだ」
エスピラはすぐに肯定した。
「夜襲を防いだとマールバラに喧伝されませんか?」
「問題ない。どうせ、負けも撒き餌だとマールバラは言って纏めているだろうしな。実績がある以上、それで通用しているはずだ」
ルカッチャーノにもエスピラは返す。
「野戦では無く夜襲。引っ張り出すことには成功しているが、相手は撒き餌に食いつかない、あるいはマールバラの目的を外す者であると認識させることが目的でしょうか?」
今度はヴィンドが言った。
「そこまで上手く行けば嬉しいが、と言ったところかな」
エスピラは少し口角を緩めて返した。
「是非とも私に行かせてください」
強く言ったのはジュラメントだ。拳は硬く握られており、目力も強い。
(一種の焦りか)
少し危うさも感じるが、否定する材料がそれだけならば断り辛い。
「失礼ですが、襲う場所が七か所なればイフェメラ様、ヴィンド様、カリトン様、カウヴァッロ様、ルカッチャーノ様、ネーレ様、ソルプレーサ様がそれぞれ指揮された方が確実なのではありませんか?」
同じくジュラメントに危機感を抱いたのか、ジュラメントに目をやっていたピエトロがそう言った。
エスピラの最初の人選と同じ面子である。
ジュラメントは、何も言わない。言葉では強く押し過ぎず、されどエスピラをじっと見てくる。
(力量に劣る、ではいけないか)
「補給隊の襲撃は場所を常に把握しているソルプレーサと撤退の上手いカウヴァッロの騎兵隊で行う。
陣地に関してはイフェメラ、カリトン、ルカッチャーノ、ネーレ。そして、ジュラメント。頼んだぞ」
ピエトロの眉が少し寄った。
カリトンの表情は不動。ルカッチャーノはちらりとジュラメントを見ただけ。
イフェメラは喜び、ジュラメントはゆっくり深く息を吐きだしながら頷いた。
その後はソルプレーサの話を聞きながら細かな策を幾つか立てる。最終目標も確認を行い、敵に大きな被害を与えるよりも味方の被害を減らすことを優先するようにと説いて。
実行予定日をシジェロのカレンダーとも照らし合わせ、観天師の話も聞いてから決定した。後はそこに向けて、解散。
「すまないなヴィンド」
その日の夜、エスピラはヴィンドを自身の天幕に呼ぶなりそう切り出した。
ヴィンドが小さく首を横に振る。
「そうせざるを得ないでしょう。トュレムレ補給戦の疲れを考慮して、など私ならば幾らでも言い訳が立ちますから」
「本当の理由は誰でも行きつくさ」
「いえ。エスピラ様。そんなもの、隠してしまうことだってできると思います」
静かに言って、ヴィンドが周囲を窺うようにしてから近づいてきた。
「ジュラメント様が成功したのであれば、次にロンドヴィーゴ様を軍団長から罷免してしまえば噂は掻き消えます。失態続きのロンドヴィーゴ様を外すためにジュラメント様に箔を着けたかったのだと。
婚姻関係にある以上、ウェラテヌスがティバリウスを無下にできないのは誰もが知っているでしょう。だからこそ、不名誉を被ってまでもジュラメント様に功を立てさせた、と。ティバリウスの代替わりをアピールさせたのだと。
エスピラ様。大丈夫です。ウェラテヌスは建国五門。その最年少当主であり最年少法務官でもあるエスピラ様が神に愛されていない訳がございません。万事、上手く行きます」
エスピラは、唇を右手で隠した。
「不義理じゃないか?」
ロンドヴィーゴをエスピラが罷免するのは。ディファ・マルティーマに残すとは言え。出世のための場である軍団に以降関わらせないのは。
「エスピラ様。我らの父祖が目指したアレッシアは能力のある者が引き立てられる社会。それに従うのであれば、ロンドヴィーゴ様が今の地位にいることはよろしくありません。その椅子を空けてもらうべきです。同時に、これは元老院へのアピールになります。
監視で誰かを派遣しても、その者の能力次第では容赦なく切り捨てる、と。
能力のある者が来ればエスピラ様が使えば良い。能力の無い者が来れば飼殺せば良い。
大丈夫です。エスピラ様は、ピエトロ様も魅了されたのですから。必ず、次に来る監視者もエスピラ様の力に、理想に惹かれ、エスピラ様に尽くすようになりますよ」
カリヨに少し似て来たな、と言う言葉をエスピラは噛み殺した。
同時に、カリヨがジュラメントとあまり対話や会話を行ってこなかったのだなと言う思考も封印した。
それから五日後に夜襲作戦が決行される。
結果は、アレッシア側の被害は馬四頭と怪我人が十二人。マールバラの軍団も陣を払うことも引くことも無く。予想通り、夜襲を防いだと喧伝された。
喧伝されたが、しばらくは動かずにエスピラは様子を見る。マールバラも先の夜襲は、夜襲もしてくることを認識させるのが目的だと見抜いているのか、警戒は特別強くなってはいない。
それに対して、エスピラは次なる手として敵陣から離れている防御陣地から投石機を出し、夜間にだいたいの位置を狙って攻撃させた。もちろん、効果は薄い。与える被害の割に石の消費や投石機の故障のリスクは高いとすらいえよう。むしろ相手に石を与えたとも言える。
だが、マールバラ側に悠長な喧伝をさせないことには成功したのである。
結果、次の夜襲を防ぐためかマールバラは言葉に反して軍を集めて陣地を後退させてきた。
喧伝の放棄と無用な憶測。それらを受けてでもマールバラは各個撃破の危険を下げたのだ。
とは言え、これらはマールバラにエスピラからの有効な攻撃策が無いことを知らせるのにも十分である。
防御陣地は攻め込まれなければ効果を発揮しないのだ。エスピラから攻め込めば作ったモノの意味は無くなるのだ。
互いに決定打を見いだせないまま続くにらみ合いは、マールバラに援軍が届いてからも続いた。敵軍の数が三万になっても少しの間は睨み合っていた。
が、ついにマールバラ側が動く。
敵軍の数が減り、それがグラウらが率いる一万六千が消えたのだとソルプレーサから報告があった。途中まではトュレムレに戻るように動きつつ、す、と消息が途絶える。
エスピラは、ヴィンドと彼の監督する部隊千二百をもう一つの攻め口である南方に送る決断を下した。トュレムレからディファ・マルティーマへの直線距離は山が近くにあり、道も全部が整備されているわけでは無い。故に、不適なのだが通れないわけでは無いのだ。
しかしながら、数日後にはそれでも後手だったことが判明する。
グラウ率いるハフモニ軍一万六千。それが現れ、南方の大きな防御陣地の一つ、アキダエを襲ったと報告が入ったのだ。同じ伝令が、アキダエが落ちたこともそこを守っていたロンドヴィーゴが南方最大の防御陣地バーラエナに退いたことも同時に。
バーラエナが落ちれば、アキダエと協力して防御態勢を作るはずだったオルカとトードーも落ち、ファリチェとフィルムが危機にさらされる。
「このままでは敗戦か」
互いにもう攻めず、雪が降ってマールバラ軍が退いたところで。
確かに負けても良いだろう。目的はディファ・マルティーマの防衛なのだから。
だが、今、消極的な戦法を打ちつつ負ければ春先に北方諸部族に対して行った戦果の数々も捨てることになるのだ。
エスピラは、右手人差し指を強くかむと、翌日にはピエトロと数名を素早くバーラエナに派遣することを決定した。遅れて、彼の監督する部隊が立ち、エスピラもソルプレーサやシニストラと一緒に歩兵第三列二千四百を率いて南方へと下って行くことにしたのだった。




