対怪物用捕獲網
マールバラの軍勢が二万ではなく一万八千だと訂正されたのは撤退開始から二日目のこと。内訳はプラントゥム勢八千と北方諸部族一万。
最早どちらの軍団か分からない軍勢はそのまま南下を続けてきた。
ソルプレーサも見失わないように人をやりながらも撤退を続ける。
エスピラが敵の進軍速度からアクィラ、コルヴォ、アッキピテルと名付けた三つの巨大な防御陣地を中心に立て籠ることを決めたのはほどなくして。
この三つはアレッシアやアグリコーラにも繋がる大きな道を二本とも睨む場所に築かれているのだ。ディファ・マルティーマの北西部に位置する砦なのだ。
マールバラが此処に籠るアレッシア軍主力を無視すれば、たちまち物資が枯れることになる。
トュレムレ近郊の協力者は既に回収済み。非協力者は麦を狩り、畑を荒らしてあるのだ。
進軍速度を上げて荷物を減らしたマールバラにこの防御陣地群を避ける選択肢は無い。
「さて」
呟きながら、久しぶりに集合した高官の顔をエスピラは見渡す。
南方の防御陣地に派遣しているロンドヴィーゴ、ファリチェ、フィルムは居ないが、それ以外の軍団長補佐以上は全員そろっている。
「こちらは、あまり皆の好きでは無い政略的な勝利でも重ねようか」
イフェメラが露骨に嫌な顔をした。
シニストラに睨まれ、イフェメラが表情を取り繕っている。
「そんな顔をしないでくれ。こちらの士気を保つのにはそれなりに役立つが、向こうの士気は落ちないだけだよ」
エスピラは苦笑いを浮かべつつ、木の板に書いてあるだけの地図に剣先で触れた。
「グエッラ様が存命中の、六年前の戦いに従軍した者なら良く覚えているだろうが、マールバラは地形を良く調べる。木々の無い所に兵を伏せ、草の無い所から強襲してくるくらいにはな。そして、先のディファ・マルティーマへの襲撃でマールバラは野戦に適した地形にも目星をつけている。最終確認のために兵も出すだろう。
そこを、上回る兵で叩く。
叩いて、逃げる。敵の方が多ければ戦わない。それを徹底する。
確かに、アレッシア軍相手にこれを行えば暗殺になってしまうだろう。アレッシアは高官が自ら偵察するからな。
だが、ハフモニは違う。兵を放って確認する。自身は動かない。サジェッツァが独裁官だったころの戦いで、一度しか敵高官を討てなかったのが何よりの証左だ。以後の戦いでもマルテレス以外はマールバラの近くにいる高官を殺せてはいない。死んだ高官は全て、離れた軍団だ。
故に、敵偵察部隊のみを叩く。徹底的に叩き続ける。
以上だ」
言い終わると、エスピラは剣先を地図から離した。
「内訳は?」
「小隊五つで一組だ。基本はその状態で散らばってもらうつもりでいるが、今後のマールバラ軍の動き次第で厚みを変える。それに、百人隊長及び副隊長に数的劣勢だと判断した場合の即時撤退命令を下す権利も与える。決して数的劣勢にはなるな。数で必ず勝て」
普通のアレッシア軍なら異論が出ただろう。
だが、此処に居るのはエリポスで戦い続けたアレッシア軍。護民官にもなったことが無い平民に一部とはいえ指揮権を与えることに抵抗は無い。
エリポスから帰って来てほぼ一年。大きな被害の出た戦いはロンドヴィーゴが率いていた部隊のみ。その部隊は今の軍団には関係なく、ルカッチャーノが率いていた軍団は、大きな損害は無いのだ。
襲撃部隊を分けることに問題は一切無く、一組当たりの人数に大きな差も無い。
マールバラの来襲前に素早く迎撃準備を整えたアレッシア軍はその目論見通りにマールバラの偵察兵を一気に襲い始めた。地形の把握をさせず、少数部隊を数倍の兵で攻撃したのである。
もちろん、敵の中には変装している者たちもいた。
そう言った集団は、連行するか、その過程で抵抗されれば攻撃を加える。非情な措置にも見えるが、良くある話だ。言葉が通じない以上は部族諸共捕虜を取らず殺すことだって珍しくは無い。その中で捕虜にするのであれば、まだ良い方なのである。
が、マールバラも自分がどう思われているのかはきちんと分かっているのであろう。
偵察部隊を襲いだして数日で、偵察とは思えないほどの数で動き出したのだ。一部隊四百から五百。アレッシアの一個大隊を上回る数。同時に、上回ろうとエスピラが軍を動かせば、防御陣地を離れ野戦に引きずり出される数でもある。
(どうしようもないな)
その報告を受けると、エスピラはあっさりと敵偵察部隊の襲撃作戦を取りやめた。
その上で、自身は防御陣地アクィラに籠る。
三つの大型陣地の内、中央にある陣地であり、両翼はやや前に突き出す形になっている陣地だ。弱点となる端にはそれぞれ小さな防御陣地が付随しており、襲い掛かってくれば側面を突けるようになっている。小型の防御陣地を襲えば、アクィラはもちろん、残り二つの大型陣地、コルヴォとアッキピテルからの攻撃にさらされる。
しかも、マールバラは恐らくアレッシア対策で準備していたであろう攻城兵器を最初の時点で、開戦初期に失っているのだ。
それまでの根城であったプラントゥムへの道は、陸地はペッレグリーノが封鎖している。海もオルニー島がアレッシアのモノになった以上半島に大規模な輸送をすることは不可能。
そうなると、攻城兵器はどうしても半島の物にならざるを得ないのである。
そして、半島の攻城兵器は遅れている。オーラ使いが他の地域より多い以上、破壊に物資を使うことは後回しになっていたのだ。
対して、エスピラの軍団にある攻城兵器は発展の進んでいるエリポス製。技術者を集めてさらにそれらの開発を進めたモノ。
マールバラは確かめるかのように数度攻めて来たが、アレッシア軍はその全てを寄せ付けなかった。以降、マールバラからの攻撃はぴたりと止まる。代わりに、少し規律の緩く見える、誘うような陣形へと変化した。夜の松明も外から確認できる見張りも多くは無い。
挑発だ。
単純で、それでも有効な。
エスピラと共に居る軍団はエリポスでの罵倒や自然と見下す視線を経験しているとはいえ、エスピラの胸には不安も残る。
「決して、挑発にはのるな」
だからこそ、エスピラは一つ一つの砦で演説を行うことを応手とする。
「確かに、今のマールバラは最初期のマールバラとは違う。
マールバラを最強たらしめていたのは彼自身の能力もそうだが、軍団の特性も大きな影響を持っていた。
投石兵の攻撃は二百メートルを超え、投げ槍部隊よりも遠くから素早く攻撃を加えてきていた。二種の騎兵はアレッシアの騎兵より素早く動き、こちらの騎兵を砕いて行った。砕いてしまえば歩兵の後ろに回ることが出来た。優秀な配下はマールバラの命令の真意を汲み取り、軍団に落とし込んでいた。
だが、これらはもういない。
投石兵は補給が利かず、数を減らす一方。騎兵は肝心の馬に駿馬の割合が下がり、調教も足りないまま動かし続けてしまっている。優秀な配下も死ぬ者や分けざるを得ない者、マールバラを離れた者がいる。
なるほど。確かに、今のマールバラは最初期のマールバラよりも弱くなっているだろう。
だが、この戦場に於いて最も警戒しなくてはならないのは何だ?
投石兵は防御陣地に対して効果は無い。騎兵もその利点を存分に発揮できない。優秀な配下はマールバラが軍団を広域に配置した時に大きな影響は出るだろうが、固まっている以上は影響は小さい。
そうだ。そうなのだ。最も警戒しなくてはならないのは歩兵の力強さなのだ。
では、マールバラの歩兵は?
それは、北方諸部族である。
アレッシア人よりも体格に勝り、マールバラの下で作戦的な行動も展開してきた者たちだ。この者達は補充も効く。最初期のマールバラと同じ力があると言えるだろう。
だからこそ、マールバラはそこにこちらを当てたいのだ。それほどこちらをかっているのだ。
最初期の、最強のマールバラでないと我らには勝てない。
だから挑発を行っている。こちらの攻撃を誘っている。
胸を張れ。あの挑発は、蔑みでは無い。賞賛の言葉だ。その言葉が苛烈さを増せば増すほど、こちらの力を認めて縮こまっているのだ。
ならば悠然と笑ってやろうではないか。見下してやろうではないか。
私は、皆ならばそれが出来ると信じている。
共に、長い間戦ってきた仲間だからな。苦しい時を耐え、いわれなき風評を受け止め、そして強い結束で繋がった軍団と信じているからだ。
だから、決して挑発に乗ってはいけない。頼んだぞ?」
最後は同じ目線で、締める。
同時に、兵には一つの認識があるだろう。その前、エスピラの意に反して攻撃を仕掛けたロンドヴィーゴを始めとする者に対し、エスピラは一切救援する気配を見せなかったことを。
無視をすれば、切り捨てることを。
飴と鞭。
兵への賞賛の言葉と、無慈悲なまでの切り捨て。
臨時給金や風評被害から守ったり、出世させたりするが同時に降格も遠慮なく行う。
その上、家族に対してや部下に対して愛情を見せ、奴隷の扱いが良いのにも関わらず、敵にはディラドグマや串刺しに代表されるように血も涙もない扱いを見せる。
それは、幸か不幸か集団としての兵の思考能力を奪うことにもなっていたのであった。




