思い違い
「捕虜の中に居たのか?」
アルモニアが頷く。
「私が担当した二名が共にグライオ様を裏切った者でした。詳しい状況もまとめてあります」
今はまだ乾燥中のためおいてきておりますが、ともアルモニアは続けた。
木の皮やそこら辺の物に書き記したり覚えたりしたわけでは無いのは、かなり多くの情報を得られたからだろう。
「取り扱いは、如何致しますか?」
「…………捕虜の怪我は?」
「傷一つつけておりません」
「流石だな」
エスピラは小さく微笑んだ。
真っ先に情報を引き出したジャンパオロに任せた捕虜はもう死んでしまっている。エスピラの捕虜も手の皮を一度剥いたため、今は治療中だ。他の者も、多かれ少なかれ捕虜に拷問を加えている。
「二名は解放しよう」
エスピラの言葉に、アルモニアが少し目を大きくした。
「連絡手段は、如何致しますか?」
それから、すぐに内応者に行きついたのかアルモニアが声を小さくして聞いてくる。
「いや、要らないさ。内応者に仕立て上げることもしなくて良い。そのまま、解放しよう」
いや、とエスピラは笑みを悪戯っぽいものに変えた。
「トュレムレの解放者でも名乗って解放してやろうか」
それは揶揄。
マールバラが、アレッシア人以外の半島の民の捕虜を解放するときに良く使う言葉を真似たモノ。半島の諸都市をアレッシアの支配から解放すると言っていることへの揶揄い。
「本当に、名乗りますか?」
「あー。いや、やっぱり良い。普通に解放しよう。捕虜に疑問に思われたらそう言うことにしておいてくれ」
「かしこまりました」
真面目だなあとも思いつつ。
エスピラは頭を下げたアルモニアに向けて再度口を開いた。
「これから手に入れた捕虜はアルモニアに任せ、情報を集めさせ次第短剣一つのみの携行を許可して解放したい。任せても良いか?」
「優先順位は傷をつけないこと。そして、なるべく情報を多く集めることでしょうか?」
エスピラは一度首を横に動かした。
「第一位は合っているが、情報の多さよりも解放の早さを優先してくれ。別に、地元に帰ろうがトュレムレに戻ろうが構わない」
大事なのは、不信感の増大なのだから。
不信感が増大しても、捕虜もハフモニ勢を裏切った訳では無いのだから証拠も出ない。証拠が出なければますます不信感が増大する。軍団内の雰囲気が悪く、信頼感が無いのなら負の循環は続くはずなのだ。
「かしこまりました」
粘土板が乾いたころにもう一度来ますと言って、アルモニアが出て行く。
エスピラはその間に観天師を呼んで、今後五日間の計画を策定した。と言っても、翌日以降の予測制度は落ちる。あくまでも柔軟性を保ったままの予定だ。
雨の日の攻撃を避けつつ、効果的な攻撃を続けるための。意識をこちらに向けるための。
他の場所に行くと見せかけて、やはりこちらからの攻撃を本命と見せるための計画だ。
別の場所に意識を振ってから戻した方が他の場所の警戒が薄れる。その時こそ、補給作戦の発動タイミング。一番の懸念はそれまでにマールバラが戻ってこないかどうか。
ソルプレーサからの報告ではアグリコーラ近郊に作られた防御陣地を破壊しているところであり、もう少し離脱にはかかるとの予測が立っているが、果たして。
(考えたところで、か)
神に幸運を祈り、それからヴィンドを呼ぶ。
話し合ったのは作戦の段階を進めるかどうか。夜間攻撃を行うか。
作戦の骨格を作ったのはヴィンドなのだ。エスピラが是とすることでも、無断では行えない。
結果的に、行うことになったのは誘い出し。
夜間攻撃を行いつつ捕虜を集め、同時に前方の陣地に居る者も下げる。トュレムレ側は解放された捕虜から兵が少なくなったと言う報告を受け、目視でもそう言った印象を受けるのだ。そこで減らして、別箇所からの攻撃と思わせつつ相手方の攻撃も誘う。攻撃してこなくても、相手が薄くなったと思った瞬間に一転攻勢をかける。
どちらでも良い。
どちらでも、目的は達成されるのだから。
そして、トュレムレが選んだのは攻勢作戦だった。
無防備に見せかけ、怠惰に見せかけて置いていった攻城兵器に向けての突撃。破壊目的の攻撃。あくまでも、アレッシアの目的がトュレムレの奪還だと思っているかのような攻撃であった。
日暮れに始まったその作戦は、しかし、アレッシアの大勝で終わる。
アレッシアが回収したトュレムレ兵の死体は八十七。捕虜は二百五十一名。
対してアレッシアの被害は三十二名の怪我人のみ。次の夜には白のオーラで全員が回復し終える程度の怪我だ。
エスピラは捕虜の解放に前後してリャトリーチとウェラテヌスの被庇護者を用いて再度入念にトュレムレの様子をうかがわせた。相手からは見えないように。されど、失敗しないように。
同時に、ヴィンドと補給作戦従事者以外を全て陣に集めた。一転攻勢の構えを見せたのである。敵の警戒を自分達の方にもっと集める作戦を発動したのだ。
その間に、ヴィンドら補給部隊が出立する。
とは言え、その夜はエスピラも一緒に陣を抜け出した。
「ヴィンド」
松明の一つもない月明りの元、エスピラは音も無く近づいて話しかける。
準備を整えていたらしいヴィンドが手を止め、エスピラの方を向いた。
「エスピラ様。何か変更でもございましたか?」
部隊に停止命令を出しながら、ヴィンドが近づいてきた。
エスピラは首をゆっくりと横に動かしてひとまずの返答とする。
「グライオに、くれぐれもよろしく伝えてくれと言いに来ただけだ。助けられなくてすまない。だが、必ず迎えに来る、とね。
それから、残す決断をしたことも許してほしい。グライオ以外に務まる人材が居ないのだ。忍耐力が高く、部隊の指揮も上手で交渉のためのエリポス語にも不自由しない。そして、元老院が焦りもしない。何より、グライオがトュレムレに留められていることこそが元老院にとって私から人質を取っているようなものなのだ、と」
真剣な顔で頷いていたヴィンドだったが、後半部分を聞くにつれ小さく笑った。
月明かりでも見えるぐらいには表情が変わったのである。
「後半は、私にも言いましたか?」
その表情の調子でヴィンドが言う。
「分かるか?」
「ええ。ですが、ご安心ください。私は残るつもりはございません。私にグライオ様の代わりは務まりませんし、グライオ様に私の代わりも務まりません。軍務以外に、私には守るべきものが増えておりますから」
他の者には秘密ですよ、とヴィンドが自身の唇に人差し指を当てた。
他の者、と言うよりも軍団の者には、だろう。守るべきものには、きっと、カリヨとお腹の中の子供も含まれているのだろうから。
「ああ。作戦の成功を祈っている。君達に、運命の女神と太陽の神の加護があらんことを」
「月の女神も見守ってくださっておりますから。必ずや成功させます」
最後に無言でうなずき合って、ヴィンドが離れていった。
装備の最終確認を行って海に潜っていく部隊を見送り、闇に消えるようにエスピラもその場を去る。
予定ではトュレムレに一日いるはずだ。
足りない物の確認と、中に居る者に状況を伝えるために。休ませるために。
そして、一日後はエスピラらの攻撃が支援となり、海の警戒を薄くしてから撤退させる。
そのために夜の間に移動して陣地に戻ったエスピラを出迎えたのは、トュレムレ兵の良く分からない演説であった。
兵のざわつきにつれられて、エスピラも前に出る。見えたのはエリポス人らしき黒髪黒目の顔立ちの者。鎧もややエリポス製らしき光沢と歴戦の傷がついている。横に居るのは裸の男。一瞬だけ警戒したが、アレッシア兵では無かった。この前の捕虜である。
「ああ。アルモニアを罵っているのか」
ようやく言葉を聞き取れて、エスピラはお茶を飲むように溢した。
内応作戦は失敗に終わるだとか、副官が無能だと大変だ、だとか。
「一応攻撃の準備もできておりますが」
ステッラが左横に並ぶ。シニストラは相変わらずエスピラの右斜め後ろに立っていた。
「最も精度の良い一台に、あの男を撃ち抜かせるぐらいで良いよ。あとは、ショーを楽しもうじゃないか」
エスピラは言って、ついでに一人に伝令を任せる。
男の演説は長々と続き、ついに裸の男に手をかけた。
剣で鼻と耳を落とし、それから皮を剥ぐ。
絶叫の苦痛の悲鳴を聞きながら、男は血に体を濡らして裸の男をゆっくりと死に至らしめた。その後で、蹴って壁から突き落とす。
それが、数人。至る所で。数十人。
「分裂は決定的だな」
敵への恐怖より味方への恐怖が上回れば敵軍に攻撃を仕掛ける。
確かにそれはその通りだ。だが、味方にこんな仕打ちをしてしまえば、協力して作戦を行える訳が無い。恨まれない訳が無い。
トュレムレの陥落は、一度どこかが突破されればすぐにでも完了するだろう。
「我らは屈しない! 貴様らの考えなどお見通しだ」
処刑が終わった男が、また叫ぶ。
エスピラはシニストラに投石機発射の指示を出した。
オーラが飛び、遅れて投石機の音がする。壁の上の男が慌てふためき、逃げ出した。別の男が潰れる。
「スムーズに放てるようになったなあ」
と、エスピラは一つ感想を漏らしたのだった。




