名門のやり方
魚の方のメインはエスピラの予想通り白身魚だった。ただ、彩りとして魚の上に赤と緑が載せられている程度で皿の見た目は全体的に白かったのである。
もちろん、メルアは声には出さないし笑いもしなかったものの大喜びであった。
次の口直しのグラニテの色を赤くし、容器は緑のガラスで白を排し、肉料理は赤ワインを主体としたソースが皿一面に広がっているものであった。ソースは濃い目で、口直しにやはり野菜が少しある。ただ、ソースの下、赤みの肉の上に白いフォアグラが置いてあったのは予想外であった。
そして、デザート。
白身魚の時を除いてメルアの皿の量は少しずつ周りより少なくなっていったが、デザートだけは他の女性陣同様に多めであった。それをペロリと平らげて。
まだお腹に余裕があるのかなと思わせといての酒宴で、メルアは一杯を飲み切ることなく船を漕ぎ始めたのだった。
「メルア」
「んー……」
小さく呼びかけるも、可愛らしく唸るだけ。
退席するために起こそうと左手で隠すように肩を叩けば、すんすんとメルアの鼻が動き、左手を絡めとられてしまった。
完全に寝ぼけている。
あらあら、と言う貴婦人方の視線と冷やかすようなマルテレスの視線。これだけでは少しばかり居心地が悪かったが、サジェッツァの全く気にしていないような顔と起こすのは忍びないだろうと告げてくる視線でエスピラは退席を諦めた。
代わりに片掛けマントをメルアの上に被せ、寝顔だけは隠しておく。
(満腹になって寝るのは息子と一緒だな)
メルアの場合は、それだけ普段疲れていたのかも知れないが。
「マルテレスが言う通りですね」
メルアの入眠後、一番に口を開いたのはマルテレスの妻、アウローラであった。
「マルテレスの?」
聞き返したのはエスピラだが、アスピデアウス夫妻も夫はそれとなく忍ばせて、妻は爛々と興味深そうに耳を傾けている。
「はい。マルテレスはエスピラ様が愛妻家かは分からないけれど、少なくとも情を持って大事にしているのは事実だと、常々言っておりますから」
居心地が悪そうに口元を波打たせたマルテレスにエスピラは気にしていないと目で伝えた。
同時に、マルテレスの妻を観察する。
大抵の場合、妻は男を呼んでいるのに、だとか、エスピラも愛人を持てば良いのに、だとか言った言葉や感情が付随するからだ。神殿を休んだ日以来、良く目にしてきているのだ。
だが、そういったものがあるとは少なくともエスピラが見る限りでは存在しなかった。
「あー、あー。ほらな。折角の家族間での集まりなのに嫌な思いするのは嫌だろ」
居心地が悪くなったのがエスピラからマルテレスに移ったかのように、マルテレスが大きめの声を上げた。
酒宴で流れ始めている音楽は静かなこともあって、マルテレスの声が過剰に目立ってしまったのは否めないが、マルテレスの目はそこを気に留めた様子は無く高速で泳いでいる。
「そうだ。ずっと聞こうと思ってたんだけど最初に釘刺されちゃって逃してたんだが、ピオリオーネと条約を結んじゃって大丈夫なのか? トランジェロ山脈の西側だろ?」
ん、とメルアが身じろぎしたので、エスピラはマントの上からメルアの頭を軽くなでた。
様子に気が付いたのか、マルテレスが声を落とす。
「ハフモニとの条約ではトランジェロ山脈を越えない限りはプラントゥムでのハフモニの自由を認めてるんだったよな。不味くないのか?」
サジェッツァが酒を置いてゆっくりと口を開いた。
「助けを求めてきたのはピオリオーネだ」
建前上は。
アレッシアから働きかけ、同盟都市に連ねたのが実情である。
執政官が認め、元老院が支持したとは言え、使節長として動いたのはサジェッツァなのだ。マルテレスが白々しく感じていてもおかしくは無い。
「条約違反じゃないのか?」
「違反ではない。アレッシアが新しい友を拒まなければならない訳では無いからな」
ちなみに、条約を結んだ時にプラントゥム攻略戦をしていたハフモニの将軍は今は亡きインクレシベである。
「ピオリオーネはマールバラ・グラムの中ではハフモニの晩餐の一つになってたんじゃないのか?」
マールバラはそのインクレシベの跡を継いだ形になっている、彼の弟だ。インクレシベの妻がマールバラの姉である。
「だろうな」
「ピオリオーネの城壁はそんなに立派なのか?」
「メガロバシラスの攻城兵器があり、メガロバシラスの『大王』達ならば一か月も要らないだろうな」
サジェッツァの言葉は遠くにあるピオリオーネは見捨てる、と言う宣言に他ならない。
ついでに言うなら、マールバラの実力を測ると言う意味もあるのだろう。
「慣れないか、マルテレス」
涼やかにサジェッツァが言うと、マルテレスが眉間に皺を寄せたままエスピラを見てきた。
かと言って、援軍を期待しているわけでもなさそうである。
「マールバラがピオリオーネを攻めればアレッシアは大義名分を得る。だからと何もせずに放っておけば力で支配しているプラントゥム諸都市にハフモニに対する叛意が芽生える可能性が高い。上に立つ者にとって大事なのは自国民の利益だからな。どう転んでもアレッシアの有利に運ぶ妙策だよ」
捨て駒だと言うことは伏せて。
「北方諸部族としっかりと決戦を行えればまた別の手段もあったのだが。功に焦る愚か者の所為で叩く機会を作る時間が必要になってしまったのが痛いな」
愚行を犯したのは平民側の執政官である。
貴族のやり方、と言うよりは平民側の不手際の所為で、平民側が足を引っ張った所為でこうなったとサジェッツァは言わないまでもマルテレスに思い起こさせたのだ。
そして、事実。
アレッシアが大国ハフモニと相対するのに万端の状態だとはまだ言えない。
「武威を見せつける、と言うやつか?」
「そうだ。安易にハフモニと結びつかないようにな。東方はディティキなどの西海岸を手に入れられたとはいえ、メガロバシラスに睨みを効かすには弱すぎる。南方もマフソレイオが協力してくれるだろうと言う程度の認識でしかない。万全と言うにはほど遠い」
「そっちが先じゃないのか?」
「かもな。だが、脅威として一番現実的なのは北方諸部族だ」
サジェッツァの妻、ジネーヴラが鈴を鳴らした。
サジェッツァが僅かに前のめりになっていた背を戻す。マルテレスの眉間の皺も刻まれたままではあるが、緩くはなった。
アスピデアウスの家内奴隷が一口サイズに切ったフルーツの盛り合わせを持ってくる。
議論が白熱しすぎる前に、と言うことだろう。
流れを読んだのか、マルテレスの妻が真っ先に口に含み、「美味しいですね」と言った。サジェッツァの妻も「そうでしょう」と言い、フルーツの名前とどこから取り寄せたのかを語っている。
「マルテレス、護民官選挙に出ないか?」
妻たちの会話が一段落ついたところでサジェッツァが言った。
「え? 俺が?」
マルテレスの目が丸くなる。
財務官になることが貴族の出世の始まりなら、護民官になることが平民や一部の新貴族の出世の条件なのだ。
名目上は平民の代表として身体不可侵の特権と元老院への法の提案の権利を持つ絶大な権力を誇る一年任期の職である。椅子は十席。
「いや、俺、立法とか苦手だし」
「提案しなければいけないわけじゃない。第一、多くの場合は後ろにいる貴族が提出させているからな。マルテレスは、自分が思うままに判断すれば良い」
アレッシアでは選挙に勝つのに必要なのは『人気』『お金』『武功』である。正確には、人気には『お金』と『武功』が結びつくのだ。
当然、お金を貸そうと候補者にはたくさんの人が寄ってくるし、候補者が当選すれば利益の供与を求めてくる。落選すれば借金の取り立てだ。
「戦争は出世のチャンスだ。つまらないところで足を引っ張られるのはアレッシアのためにもならない」
サジェッツァの言葉にエスピラは頷いた。
ディティキの使節団での活躍、北方諸部族との争いでの一騎打ちの数々。
間違いなく、マルテレスは武功を立て続けており、日に日に名声は高まっている。面倒見が良いので平民から人気もある。お金も、オピーマ一門自体お金持ちなのだ。
勝算は十分にあるだろう。
「でも、交易の家だぞ。元老院がなんて言ってくるか」
だが、マルテレスは渋い顔を崩さなかった。




