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「外で食事でもしないか?」


 一騎討ちの日程が決まった日、エスピラはメルアをそう誘った。


 しかも、食事の日取りは一騎討ちの当日。誘ったタイミングはいつも通り二人きりになれる寝室では無く、他の者もいる夕食の場で。


 夕食に招待していたジュラメントとシニストラの表情は硬く、異様な雰囲気を醸し出していた。ソルプレーサはいつも通りで、カウヴァッロは何も気にすることなく食事を続けている。


「別に。良いけど」


 そんな空気の中でも、メルアの口から出たのは肯定の言葉。


 一番の鬼門を通過したことで胸をなでおろし、エスピラは簡易的な建物の建築を命じる。そして、出来上がった。中身はほとんどない、外見だけの建物。アレッシア軍の優秀な工兵能力を駆使して作り上げられた即興の小屋。


 事前に用意できる飲み物などの類をそこに入れ、エスピラは当日を迎えた。


 カリトン、イフェメラ、カウヴァッロの各々に騎兵二百と軽装歩兵四百を預けて当日の陽が昇る前に外に出す。

 シニストラとヴィンドはそれぞれ八百ずつを率いて、マールバラ軍からは見えないように掘った堀の中に身を潜めた。

 ソルプレーサはディファ・マルティーマの壁上で最新鋭の超長距離射程投石機の使用に当たらせる。


 そうして、エスピラとメルアは約束の時刻の前に壁の外に出たのであった。


 目の前には広い机を置き、白い絹をかける。その上に乗るのはエリポスの特産品やディファ・マルティーマの名産品。白身魚とリンゴ。そして、良く見える位置に肉。


 最後に、エスピラは貴族らしい行動を取ろうとしたのか椅子に座ろうとしたメルアを抱き寄せ、膝の上に乗せようとした。少し逃げられるが、体温は感じられる距離。肌も触れ合っている。


 見るからに一騎討ちに望む態勢では無い。


 むしろ、風呂上りや寝る前に近い状態。違うのはメルアが少し嫌がるようなそぶりを見せていること。


(猫の様だな)

 と思いつつ、エスピラは一人、他の人の雰囲気を無視してメルアで遊び始めた。


 エスピラだけでは無い。メルアもメルアで常通りの雰囲気になっていく。


 当然、やってきた北方諸部族兵の足は止まった。

 本当に一騎討ちだと見せかけるためか、武器では無く鳴り物や打楽器の代用品を持った部隊が止まったのだ。


 が、それは、エスピラとメルアの食事会だけが理由では無いだろう。


 何故か。


 それは、エスピラの食事している場所が林の中だから。

 ただの林では無い。人間の林。二千五百本にも上ろうかと言う串刺しの人間による木々。目を凝らせば多くの者が苦悶と苦痛の表情で固まっており、生きたまま尻から喉まで貫かれたのだと理解できてしまう。


 しかも、一部の者はまだ生きている。


 串刺しでは無いが逆さ吊りにされ、こめかみに穴を開けられて血を容れ物の中に落とし続けているのだ。


 食事の演奏は、その者たちのうめき声。それをバックに、エスピラとメルアはいちゃつきながら食事をとっている。肉を食べている。


「お待たせいたしました」


 そばの小屋から出てきたのは、エリポスから運ばれてきた北方諸部族出身の奴隷。着飾らせた奴隷。手には赤い液体。ドーリスの名産ワイン『英雄の血』。人の血に見える、高級ワイン。それが、エスピラとメルアの手元にあるガラスのコップに注がれる。


「ありがとう。それから、一騎討ちの代表者はまだ到着していないのかと聞いてくれ」


 言って、エスピラは奴隷にリンゴ酒を注いだ。

 奴隷がそれを飲み、頭を下げてから離れる。向かった先は血の入っている容器。それを持って小屋に退き、それからマールバラ軍の方へと歩き出した。


 その様子を見ながら、エスピラは英雄の血を飲む。


 飴と鞭。


 いや、苦痛の末の死か、故郷に居ても味わえないほどの暮らしか。


 武器を手に取り使い潰される中で名誉と復讐心を満たすか。

 戦い続ける苦痛から解放されて、奴隷として好待遇の中暮らすか。


 もちろん、そう簡単な思考ばかりでは無いだろう。


 だが、物事を単純化して伝えればそれが広がるモノである。軍団も、多くは大衆と同じなのだ。大衆より不安の中に居るのだ。


 グエッラの時に平民が行ったように、ロンドヴィーゴが突撃を敢行したように。阿保らしい単純な話だって真実になり得る。ならなくても、そうなることをマールバラらに警戒させられれば、エスピラとしては大成功なのだ。豪華な食事だって、露骨になりすぎないようにディファ・マルティーマの食糧がまだまだあることを伝えるためなのだから。


 視界の先で、奴隷が頭を下げた。

 遅れて、敵軍が割れる。中から出てきたのは上半身裸の馬に乗った横にも大きい大男。


 奴隷の横を過ぎ去り、一目散にエスピラの下へ駆けてくる。槍を振り回してやってくる。


 地鳴りのような足音を聞きながら、エスピラはコップを置いた。メルアの腰に手を回す。やわらかい。ただ、耳は自身を軽く超える超重量の接近を伝えていた。時速にして四十キロにもなる高速の巨体。激突すれば、全身が砕け散るであろう物体。


 影が迫る。剣を抜く。


 エスピラは、メルアを引き寄せて机から立ち上がると同時に馬に向けて剣を投げた。

 馬が暴れ、机を砕き、男が落馬する。


 馬はさらに暴れ続けた後、血を流しながら林の無い方へと駆けて行った。かなりの衝撃で落ちたはずの男が起き上がる。


「愚弄するのはやめてもらおうか!」


 大きな衝撃を受けていたとは思えないほどの大声で吼え、男が槍を持ち突進してきた。


 エスピラはメルアを引き寄せる。メルアの手にはリンゴ酒が握られており、エスピラはそれを受け取って飲んだ。

 迫る槍を、メルアごとかがんでかわす。メルアの左手を掴んだまま、左手で男に触れた。誰からも見えない位置でメルアのオーラが発現する。毒の、紫のオーラ。神をも殺すと言われる、生まれた時に崖から突き落とさなければならないはずのオーラ。


 威勢が良かったはずの男は、すぐに何も言わない骸に変わった。


 十年前にメルアの部屋でよく見た、外傷の一つもない死体。綺麗な、今にも起き上がりそうな死体。


 エスピラはリンゴ酒を口に含み、見せつけるようにメルアに口づけを落とした。リンゴ酒をメルアの口に流し込む。


 ただの挑発と、自己満足である。

 たっぷりと妻とリンゴ酒を味わってから、メルアから離れた。


「食事が散らばった。片付けてくれ」


 言えば、小屋から北方諸部族出身の奴隷とエリポス出身の奴隷が八人出てくる。指揮を執るのは、北方諸部族出身の奴隷。


 テキパキと片付けられていく様子を見守っていれば、間もなく全ての食器と食材が片付いた。


 先より小さくはあるが新たな机が現れ、同じように白い絹が机を覆う。食事も、新たに出て来た。


 悠々と歩いていた、敵軍に伝令として行っていた奴隷が戻ってくる。


「一騎討ちに来るはずだった者は、アレか?」


 エスピラは、少し大きく顔と顎を動かした。


「分かりかねます。返事なく、飛び出してきましたので」


 奴隷が頭を下げたまま言う。


「そうか」


 言って、エスピラは骨付き肉を掴んだ。


「ご苦労」


 奴隷に渡して、下がらせる。


 到底、マールバラに従軍していたら味わえない物だろう。

 だが、アグリコーラに入ったマールバラや、籠っているアレッシア人は食べている可能性がある。北方諸部族が命を懸けている間に、後方に居た者が。北方諸部族のおかげで生きている輩が。そう言う豪華な食事を、待遇を、ディファ・マルティーマの奴隷は受けている。


 名誉名声。


 たしかに、それで人は動くだろう。


 とは言え、長い者ではもう六年だ。六年も戦場で、略奪に頼る生活で、立派な料理人が作ったような料理にはありつけていない。そもそも、料理人自体人生に存在しなかったのに、その存在を知ってしまった。でも届かないものだと思っていた。だが、目の前に、確かに同じ部族の者や近い生まれの者が、それに手をかけている。


 どれだけの者がそれに羨望を抱くかは分からない。

 が、三万人もいれば、確実にほころびは生じる。

 刃向かい続けた残酷な未来も横に広がっていれば、安全な方への思いは加速する。


 異民族を率いる時には恐怖も必要なのだ。


 敵よりも、味方が怖いからこそ戦うと言うこともある。だから残酷な処刑も多い。見せしめも多い。ハフモニだって捕虜の皮を剥いで突き落とすことだってしているし、見てもいるだろう。


 が、今回は数が違う。

 少し前まで一緒に戦っていた仲間。南方に陣取っていた者が、苦痛を浮かべて死んでいる。呻いている。


 その数は、二千を超えて。


 まともに戦えない者も増えただろう。北方諸部族の中に生じただろう。

 しかも、マールバラ軍の前方にそう言う者が陣取っているのである。突撃にせよ、退却にせよ。一度混乱が生じればプラントゥムからの味方の邪魔にしかならないのだ。


 三万五千とは言え、いざ戦いが始まれば。

 異常な飛距離を持つ投石機と、四方から攻められたと言う事実があれば。


 まともに戦える者が一万に届くことなどあり得ない。


 確実に、今、エスピラの手元に居るアレッシア軍団よりも少ない数にしかならないのだ。


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