その時は公衆便所に変えてやろう
マールバラ再接近の情報が届いたのは、三番目の月の終わりのことであった。
「ギリギリのタイミングだったな」
呟きながら、エスピラは地図を眺める。
未だにルカッチャーノ達と連絡を取ることが出来ていない。何度か試したが、思いのほかマールバラの警戒が高く、アレッシア本国との連絡は取れるがトュレムレ方面はからっきしなのだ。
「そのタイミングは、エリポスからの使節団が帰るのが、ですか?」
言ったのはソルプレーサ。
エスピラは首肯した。
「ロンドヴィーゴ様からあと少しで勝てるので援軍をくれとの要請があったそうですが」
「これ以上私を馬鹿にするなと返したよ。既に負けて千の兵だけを連れて防御陣地に逃げ込んだのだろう? どこが勝てるんだ? 何を以って勝てるんだ? さっぱり分からない」
アレッシア人らしくディファ・マルティーマから出ての攻撃を訴える者もある程度居たのだ。
エスピラは、ディラドグマ以降も共に戦った兵にそのような者が居ないのを確認してからロンドヴィーゴにその者らを連れての出撃を許可した。その数、四千。ルカッチャーノと同じ数。違う点は、そこからさらに二千ほどロンドヴィーゴが招集して追加したことだ。
ついでに、エスピラはロンドヴィーゴにジャンパオロの籠るオルカで戦うことも許可している。
「兵が少ないなどと文句を言いませんかね」
「知らん。やり方は幾らでもある」
「突撃を訴える者にそれを求めるあたり、エスピラ様も中々に性格が悪いですよ」
「これからの作戦を考えれば当然のことだろう?」
性格が悪いのが。
ソルプレーサの口がエスピラの耳元に来た。熱がしっかりと伝わってくる。
「風の噂では、カリヨ様のお腹の中の子はヴィンド様の子だとか。訴追状と合わせ、ジャンパオロやフィエロと同じ扱いになったとティバリウスが騒いでいるそうですよ」
「語弊があるな」
エスピラも小声のまま続ける。
「ジュラメントは彼らと同じ扱いになることは無い。ロンドヴィーゴも同じだ。アレは影響力があるからな。能力の有無にかかわらず、そう簡単に立場を奪えないさ」
「既に立場は同じ、と」
ソルプレーサが笑いながら離れた。
「同じでは無い。ジャンパオロもフィエロも、私の名を出して娼館で豪遊することも無いし、金銀を横領することも無い。そりゃ、それに気が付いたジュラメントの顔色も悪くなるわけだ。なんでも、息子を慰めるためにだとか言われて連れ出された娼館でその事実を知ったらしいぞ」
エスピラがヴィンドがから打ち明けられた後、フォローのためにジュラメントと話した時に溢した話では。そして、裏もとれてしまった話では。
「ロンドヴィーゴ様がマールバラの前にエスピラ様を引きずり出して、殺させようとした、と噂が流れても?」
「致し方ない。ウェラテヌスの名を穢されたのだからな」
例えそれが、カリヨとヴィンドが原因だとしても。
いや、それ以前から兆候はあった。独断が許されるだろうと言う動きは、トュレムレに送るための軍団を勝手に作っているあたりから見えていた。
「すぐにでもティバリウス邸を襲撃できますが、如何致しますか?」
言ったのはずっとエスピラの後ろに控えていたシニストラ。
「そこまではしなくて良いよ。これでも感謝はしているんだ。婚姻関係を結んでくれたことも、円滑にディファ・マルティーマの統治を出来たことも。やっぱり、ロンドヴィーゴ様あってのことだからね。罪には問わないよ」
「流石に、甘すぎるのでは?」
シニストラが珍しくエスピラに硬い声をぶつけて来た。
ゆるい雰囲気で、エスピラは右手をひらひらと振る。
「横領と半ば公的なお金での豪遊に関しては、監査役として本国からやってきた財務官様の領分さ」
「はあ」
シニストラが呆けた声を出す。
「トリンクイタ様のお手並み拝見、と言う事かと」
ソルプレーサが補足する。
この場合のお手並みは実力だけではなく、どう動くか、と言うことも含めてのもの。
エスピラとエスピラの義兄であるトリンクイタの間の話では、トリンクイタの領分は街の娯楽設備。トリンクイタはこの件で動かなくても良いのだから。
「確かに横領は、本国でも裁判の件数が増えているそうですね」
シニストラが頷いた気配がした。
危機的状況にも関わらず、いや、危機的状況だからこそ、そんなことが起こっている記録をエスピラ達は発見している。
「まあ、タヴォラド様が軍団を率いたと言うことは、本国の方では悪質な横領をした者を粗方処罰し終えたんだろうな」
ある程度は致し方ない、と言う風潮がアレッシアにはある。
個人のお金で道路を整備したりもするのだ。国のための船も作るのだ。
巡り巡ってアレッシアのためになるのであれば、目も瞑るのである。
ただし、処罰される賄賂とされない賄賂、見逃される横領と見逃されない横領に明確な線引きは無い。故に、ロンドヴィーゴも全く悪意無く当然のこととしてやっている可能性もある。
「財を没収すれば戦争用の資金ができる、と」
ソルプレーサが冗談交じりに呟き、足音を耳にしてか雰囲気を引き締めた。
遅れてシニストラの雰囲気も引き締まる。
足音と共に現れたのは奴隷。手には手紙を持っている。
「エスピラ様。北方諸部族と名乗る者から手紙が届きました」
差し出されたパピルス紙をエスピラは受け取った。
書いてある文字はエリポス語。内容は一騎討ちの申し込み。
「偽手紙か」
一通り読んでから、エスピラは手紙をぽいと捨てた。
地図の上に乗っかったそれを、ソルプレーサが拾い上げる。
「何か不自然な点でも?」
「一騎討ちの申し込みを、何故北方諸部族がエリポス語で行う?」
君には悪いが、とエスピラは奴隷に対して前置きを入れたうえでソルプレーサへの言葉をつづけた。
「一騎討ちと言う自分たち自身の誇りある文化にエリポスなんぞ入れたくないはずだ。アレッシア語が嫌ならば自分たちの言葉を使えば良い。私がその言葉を話しているのは知っているはずだからな。それで伝えれば良いだけのこと。手紙など必要ない」
「では、断りますか?」
「そうもいかないのが難点だな」
ふう、とエスピラは溜息を吐いた。
「魂胆は丸見えです。エスピラ様をおびき寄せ、一騎討ちに見せかけて殺す。一回撤退したのが騎兵を回収するためなら、数も多いでしょう。こちらが前と同じなら二千四百。それを上回る騎兵で、エスピラ様がディファ・マルティーマに戻る前に殺しきる。そう言う腹積もりが丸見えです。軍団が打って出ても、上回る数で包囲して野戦に変えることも」
シニストラが怒気にまみれた声を出す。
対象はマールバラか。
「丸見えにも関わらず、アレッシア人の戦意を上げかねない暗殺を遂行しようとする。何がらしくて何がらしくないのか良く分からない相手だが、仮にもアレッシア人を調べていた者がすることか?」
エスピラは、たいして困っていないかのように言った。
「オノフリオ様の一件をお忘れなく」
ソルプレーサが一言挟んでくる。
「それを言われると弱いが、もしや開門させる手段が既にあるのではないか、とね。前回の襲撃然り、今回然り」
言いながら、エスピラの右手が中指を机の上につける形で止まった。
眼光は鋭いまま、指先に注がれる。
「ロンドヴィーゴが裏切ったか?」
そして、表情とまったく一致しない冗談めかした声でエスピラは呟いた。
「確かに、エスピラ様亡きあとならば自分の一声で開城させられるなどと思っていても不思議ではありませんね」
ソルプレーサが軽いノリで着いてきた。
抜身の剣の如き殺気を出し始めたシニストラに向けて、エスピラは再びゆるく手を振る。
「証拠は何もないけどね。ただ、私に実権を奪われ、名誉が棄損され、それでも軍団長に居る。多くの者からは旗頭として一目置かれている。
なるほど。建国五門の恥であるフィガロットと同じだなと思っただけさ。サジェッツァ独裁官時代のね」
エスピラは、ウィンクをかましながら「君達も見ただろう?」とソルプレーサとシニストラに言った。
が、冗談めかした声も此処まで。
「リャトリーチとジュラメントにすぐさま伝えてくれ。ロンドヴィーゴが裏切った可能性がある。回収する兵に気を付けつつ、いざと言う時は無理せず離脱してくれ。また、裏切った保証も無い以上はあくまでも慎重に動くように。本当に裏切られては元も子も無い。私たちの間には、未だに信頼関係が構築できていないだけである。故に、私は君達の安全を最優先としたいだけだ。君達を高く評価しているのだ。とね」
かしこまりました、と頭を下げ、ソルプレーサが一時退室して行った。
「本当に裏切っていた場合は如何致しましょう」
シニストラの質問に、エスピラはとん、と強く中指を一回机に叩きつけた。
「その時はティバリウス邸を公衆便所に変えてやろう。ただし、ジュラメントとカリヨの離婚は認めない。ジュラメントだけはこちらに引き留める。あとは知らん。それだけだ」




