神子と雄牛の一騎討ち
「君たちがまだ自分の民族と父祖に誇りを持つのなら、この申し込みを断るまい!」
轟、とエスピラが吼える。
歯肉を剥き出しにして、さらに続けた。
「我が名はエスピラ・ウェラテヌス! アレッシア建国五門の一つだ! 君たちがアレッシアに勝てない、服従すると言うのなら逃げることも許そう。自力では勝てないから他の者の足を舐め、垢の一欠けまで飲み干してアレッシアに刃向かう気なら集団で私を狙うことも許そう。
だが、己の民族がアレッシアと対等であるなら一騎討ちに応えろ! その昔、我が父祖コウルス・ウェラテヌスが北方諸部族と決着をつけるために君たちの英雄と一騎討ちを行ったようにな」
要するに、今、エスピラの要望に応じた北方諸部族の者は『英雄』として歴史に刻まれる。
その言は、マールバラの下で己を封殺し集団の一部にされていた者を刺激せざるを得ないだろう。
例え、戦場で一騎当千の活躍をしていればマールバラに認められたのだとしても。その機会すら与えられないのだと言い訳をしている者を。
一人の男が前に出かけ、されど肩をむんずと掴まれて後ろに投げ捨てられた。
出てきたのは半裸の大男。二メートル近い体躯と、エスピラの胴体ほどもありそうな太ももを兼ね備えた。筋肉の塊。手には二メートルを超える斧。
「名乗りには応えてやろう、アレッシアの小男。人々は敬意を籠めて俺をオクスンと呼ぶ。暴れる雄牛を、素手で絞殺せるからな」
オクスンと名乗った男が斧を頭上で振り回す。
轟轟と風が唸りを上げ、耳を引き裂かんばかりに鳴いた。
斧の周りには赤いオーラが纏わりつき、横にして後ろにやればその勢いで人々が吹き飛ぶかのようである。
(雄牛のような漢、か)
されど、エスピラは男の膝が伸びっぱなしであることに目を付けた。
「いざ!」
覇気のある声が上からかかってくる。
「父祖と、神々の名に懸けて」
対照的に静かに冷たくエスピラは言って右手の甲に口づけを落とした。
北方諸部族は盛りあがり、武器を手放して拳で空を殴っている。
一方のアレッシア軍は静か。何も言わず、盾と剣を手に不動の体勢。
エスピラは、一歩、二歩、と前進した。オクスンと呼ばれている男はエスピラを待つように仁王立ちで構えた後、同じくゆったりと足を動かし始める。そして、駆けた。
オーラが斧にまとわりつく。赤の、破壊の一撃。大きく後ろに腕を引いて、力任せの、ある意味避けやすい攻撃にエスピラは盾を当てた。盾が砕け散る。斧のオーラも消し飛んだ。
木っ端の中をエスピラは前へ進む。オクスンは動けない。ペリースの下でさらにオーラを発生させたエスピラは、誰からも見えないようにオーラを纏ったままの左手でオクスンの腹を殴った。
「避けねえどころか拳か!」
楽しそうに言ったオクスンから離れないように、ペリースで左腕を隠しつつ押し付けた。
オクスンが大股で退こうが、エスピラもついていく。斧の距離では無い。むしろ長くて邪魔。
オクスンが斧を手放した。
出来た影にエスピラが入る。オクスンのその太い腕から繰り出された攻撃を、エスピラは風に吹かれた木の葉の如くかわした。オーラは止めている。ペリースから鉄に覆われた左腕が出た。
「それが秘密兵器ってかっ!」
オクスンが素早く斧を掴む。巨体からは想像もつかないほど軽やかに跳ねた。すぐにエスピラの目の前に。斧に纏わりついているのは赤のオーラ。
エスピラはその下をくぐるように膝を折る。オクスンの腕が頭上を通った。体は横。地響きと共に。しかし、すぐに止まる。低い軌道での薙ぎ払い。
エスピラは、自身の太ももを凌駕するオクスンの腕に両手を着いた。そのまま地面を蹴る。エスピラの体はオクスンの頭を越え、反対側に。口が大きく開いたオクスンの鳩尾に、再びペリースで隠した拳を埋めた。
少しかがんだすきに頬を殴りつけて離脱する。
もちろん、接触時に接触面がペリースで隠れていれば常にオーラを流した。
「生まれは軽業師か何かか?」
切れた唇を拭いながらオクスンが言った。
「アレッシアの名門貴族だ。その言い方は、些か不快、いや、神の怒りを買うぞ?」
エスピラは剣の切っ先を向け、そう返す。
微塵もひるまないオクスンは、大口を開けた。心なしか大きい歯も良く見える。
「罵倒如きで神々の怒りとやらが下るなら、マールバラの大将にはとっくに下ってるんじゃねえのか?」
笑いながら言った大声に、後ろの北方諸部族も同意するように笑い声をあげた。
オクスンはエスピラから距離を取りながら悠々と後ろを向き、観衆を煽る。ただ、油断しているわけでは無い。意識は常にエスピラに向けられている。少なくとも、エスピラからはそう感じ取れた。
「試してみるか?」
静かに言って、エスピラは剣を揺らした。
オクスンが斧を大きく振り回し、叩きつけた。土埃が舞う。
「やって」
オクスンの言葉の途中に、エスピラは赤のオーラで覆われていた斧に足を着けた。足裏からのオーラでオーラが消える。ただし、土埃も相まって他の人からは見えない。
斧が持ち上げられた。エスピラも合わせて跳ねる。宙で頭上を取り、腕が戻るよりも早くオクスンの顔を掴む。剣は刺さるより早くオクスンの太い左手に阻まれた。
オクスンの手が動き、エスピラの両手を掴む。
エスピラは腹から。オクスンは背から。
共に、地面に叩きつけられた。
だが、オクスンは手を放さない。しかも、掴んでいるのはオクスンの側。エスピラから手を放してもどうにもならないのだ。
エスピラの方を向いたオクスンが、にやりと笑った。
「俺の勝ちだ」
「神の怒りを買っていなければな」
オクスンが鼻で笑う。北方諸部族も笑う。
が、異変は間もなく起きた。
オクスンの目が見開き、口が歪な形で固定されたのだ。
その隙に、エスピラは素早く手を抜く。逃がさないように動いたオクスンの手は何も掴めず、その太い足で立ち上がってもすぐに丸まってしまった。
呻き、かきむしる。
体を、喉を、胸を。かきむしり、爪が赤い跡を引いて裸体から血が零れ落ちる。
騒いでいた北方諸部族も、その質をざわめきに変えていた。
アレッシア軍団は沈黙を保ったまま。
「さて。私の身分は何だ、オクスン」
エスピラは、苦しむオクスンに悠然と近づいた。
オクスンの手が斧に伸びるも、最早握ることすら敵わずに震える指から斧が落ちていく。
「ウェラテヌスの当主だ。罪の許し、我が父祖に許しを請いに行け」
エスピラは無防備とすら取れる仁王立ちでオクスンの横に立つと、剣でオクスンの首を斬り裂いた。あえて自分から遠い方の首を斬り裂いた。
血が一気に噴き出し、オクスンの横一面を赤く染める。
「と、話が変わってしまったな。すまない。次の挑戦者は誰だ?」
エスピラは、オクスンの首を斬り落としてそう投げかけた。
笑顔を向けるが、人はざわめき列が乱れる。その中を、一人の男が出て来た。
オクスンほどでは無いが体格は良い。手に持っているのは剣で、オクスンよりも最適距離は近くにあるのだろう。
「私だ!」
北方諸部族の言葉で叫ぶと、男が一気に駆け出してきた。
振り回される剣をかわし、かわし、時折受け流し。
エスピラは先ほどと違って最小限の動きでいなしつづけた。男は過剰に力が入っているようであり、肩が少し上がっている。一撃一撃も重いが、かわせないほどでは無い。それがさらなる力みを産んでいるのか、どんどん動きが単調になっていく。
(オクスンの友か?)
そうあたりを付けたが、冷静さを失った者を殺すのはエスピラには容易いこと。
今度は、奇策を用いずに正面から頸動脈を斬り裂いた。
エスピラからの攻撃はその一度。でも、それで十分。
暗殺とは、そういうものである。
一瞬の隙で、片を付けねばならないのだ。
そしてアレッシア人は暗殺を嫌う民族性がある。目の前の北方諸部族はそのアレッシア人と戦ったことの無いわけでは無い。
だから、その意味でも予想外の一撃となり得たのである。
「次はどうする?」
崩れ落ちた男の胸部をしっかりと刺して、エスピラは北方諸部族に問いかけた。




