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名門のやり方

 アスピデアウス、と言うよりもサジェッツァの邸宅の中庭に案内されれば、木々のせせらぎのような音楽で空間が満ちていた。


 らしいと言うか、らしくないと言うべきか。

 少し迷ったが、エスピラはあえて触れないことにした。


「エスピラ!」


 先についていたマルテレスが大きく手を挙げた。

 横にはマルテレスの妻が座っており、こちらは小さく頭を下げてくる。


「久しぶりだな」


 先に奥方に小さく頭を下げ返してから、エスピラは言った。

 メルアには全く頭を下げた様子も声に反応した様子も無い。玄関まで迎えに来てくれたサジェッツァにはきちんとした挨拶を返したのに、である。


(セルクラウスのプライドか)


 都合の良い所で、とは思うけれども。


「まあな。エスピラは東方、俺は北方に行ってたしな」


 ただ、オピーマ夫妻に気にした様子は一切なかった。

 サジェッツァもやや目を細くしただけで何も言っては来ない。


「北方についてはどの程度知っている?」


 サジェッツァがエスピラに尋ねてくる。

 真意としては、エスピラの情報収集能力を確かめているのだろうとは思いつつも、友人であると言う意識もあってエスピラは隠そうとは考えなかった。


「大規模な戦闘にはならなかったと。北方の諸部族とアレッシアではひとまとめに言うが、別に団結しているわけでは無いしな。比較的豊かな土地の部族がアレッシアに備えて人員を移動させてがら空きになれば山の中に住まざるを得ない部族は狙って動くだろうよ」


 山の中は開墾できる土地も少なく、冬の訪れも早い。

 飢えて死ぬよりは他の部族から奪い取りに行って死ぬ方がマシと言う話でもある。


「そうなんだよ。こっちがいくら陣形を整えて待っても出てこないからさ。陣地を出て整列の練習をして帰るだけみたいになってさ」


 やんなっちゃうよ、とマルテレスが肉を口に放り込みながら言った。


「マルテレスのように一騎打ちができたり、小競り合いができた奴らはまだ良い方だろ?」


 本当に行っただけで、手柄や名声、略奪ができずに時間を浪費しただけの人もいたのだから。


「手引きをしたと思うか?」


 サジェッツァの言いたいことは、北方に当たった執政官が調略を行い敵対部族の背後を攻めさせたか、と言うことだろう。

 そして、恐らくサジェッツァも情報を集めており結論は持っている。


「していないだろうな」


 確証があるのと同時に、行動だけ見ても、手引きをしているのであればもっと強引に攻めても良かったはずだ。呼応するなら分かりやすい方が良く、今後の付き合いを考えるなら戦利品が無い、分け前が無い状態は避けねばならないはずである。


「そもそも、北方へはアレッシアの武威を見せつけるだけで良い。それなら、謀略を嫌うアレッシアがアレッシアの流儀に逆らう必要は無いはずだ。それに、麓の部族を討ち取るのは愚策だろう」


 山中にはもっと好戦的な部族が居るのだから。

 大国と事を構えている時に下手に喧嘩を売られたくはない。そのための緩衝地帯にもなってもらわないと困るのだ。


 まとまられては困ると言うのはあるが、歴史的に見ても諸部族が完全にまとまったことは無く、今も小競り合いが頻発しているのでまとまる可能性は低いだろう。


「じゃあ今回の北方遠征は完全に無駄ってこと?」


 マルテレスに目を向ければ、マルテレスの妻がエスピラの目の前の皿を見ていた。


「完全にでは無いだろうが、効果的だったとは言えないな」


 マルテレスに返しながらエスピラが自身の皿を見れば、メルアの嫌いな野菜が増えていた。代わりに、メルアの皿からは減っている。


「セルクラウスは貴族パトリキの中でも一番の実力ある一門。平民プレブスに天秤を傾けたいと欲すれば今対抗しておきたかっただけだろうな」


 サジェッツァがいい迷惑だ、と締めている間も、メルアがせっせと自身の皿からエスピラの皿に前菜の一部を移動させていた。

 しかも、今度はエスピラが見ているのを承知の上で、である。


「メルア」

「何」


 手は止めず、冷たい声だけやってくる。


「行儀が悪い」

「夫婦は助け合うものでしょう? 妻の出産にも立ち会わず、あまつさえ妻の目の前で妹と酒を飲んだのだからこれくらいはしなさいよ」


 エスピラは眉を下げ、それから友人の妻二人に小さく頭を下げた。


「せっかくの晩餐会だと言うのに、男たちが挨拶もそこそこに戦いの話ばかりされては抗議もしたくなりますものね」


 サジェッツァの妻がころころと笑う。

 貴族らしいおおらかさと、年相応の包容力が垣間見える仕草である。


(嫌いなモノばかり移している、との確証は無いか)


 例え傍から見れば十中八九そうなのだろうなと思われたとしても。


「社交界が初めての妻を放っておいて部族の関係を語るなんて片腹痛いとは思いませんか? マシディリを泣き止ますのに四苦八苦している男が国家を考えるなんて、ねえ」


 笑顔は一切なく、それでもメルアはどうやら話に乗ったらしい。

『赤子を』ではなく『マシディリを』としたあたり、ちゃんと気を遣ってはいるのだろう。


「泣き止ませているだけ良い方ですよ。マルテレスは酷くさせる一方で」


 くすくすとマルテレスの妻が笑い出した。

 マルテレスが居心地が悪そうに顔を背け、「仕方ないだろ」と呟いている。


(難しいよな)


 と、エスピラは同情を籠めた視線をマルテレスと合わせて頷いた。

 友よ、とでも言ってそうな表情でマルテレスが二度頷いてくる。


「夫もそうでしたが、やはり慣れですよ。場数を踏めばうまくなります。それに、マルテレス様は剛の者。エスピラ様は異国に通じる者。二人とも、得難き人材ですよ」

「ねえ。異国は楽しい? エスピラ」

「メルアが居ればもっと楽しいだろうさ」


 言って、エスピラはメルアが置いてきた野菜のごく一部をフォークに刺し、メルアの口元に差し出した。


 メルアが渋い顔をしつつも小さく口を開ける。エスピラはそこにフォークを入れた。

 ゆっくり引き抜けばメルアの口内に野菜が残り、端正な顔をややゆがめて咀嚼していっている。


 次が怖いので、エスピラは自身の皿の上にある小さな魚の白身をメルアの前に出した。

 すぐさまメルアの口の中に消えていく。好物だから仕方が無い。


「いつも?」と音を出さずに口だけでマルテレスが聞いてきたので、エスピラは「たまたまだ」と返しておいた。


「メルア様は魚がお好きなのですか?」

「はい」


 こくり、とメルアが頷く。


「特に、白い魚は大好きです」


 一応、サジェッツァの妻との会話を終わらせる気は無かったらしいと思い、エスピラは密かに安堵した。


「実はまだ少しあるのですが、よろしければいかがでしょうか」

「ご提案、感謝いたします。ですが、まだ前菜ですので」


 綺麗なお辞儀と共に、やわらかめの声音でメルアがサジェッツァの妻の申し出を断った。

 多少の増減を用意しているのは、恐らくどれくらい食べるか分からないからだろう。


 出した物を残すのは参加者としては頂けないが、少なすぎると不満も出るもの。故に、直接会場で様子を見ながら指示を出す。そう言う手順かも知れないなとエスピラは検討をつけた。


 エスピラがメルアの食べる量について聞かれずに言うのも礼儀としてはよろしくないし、かと言ってサジェッツァから聞くわけにもいかないし、メルアも晩餐会には一回も出ていないから仕方が無いことなのだろう。


 黒いあれこれについては、考えたくは無いのでエスピラは思考を止めた。

 少なからず距離感や立ち位置を図っているようだが、どちらかと言うとメルアは我関せずの一面が強そうである。


 下に入れるつもりは無いが、下に入るつもりも無い、と言ったところか。


 夫同士が仲良いから妻同士も仲良くなれとはエスピラは思わないし、是が非でも家族ぐるみでとも思わないが、喧嘩は売らないでくれとだけは思っている。


(そこは心配いらないな)


 取り分けたエスピラの白身魚に注がれるメルアの視線を無視して、エスピラは魚を口に入れた。


 流石アスピデアウスと言うべきか。

 タイリーからのもてなしもある程度経験しているエスピラでさえも驚嘆するほどの味である。


「魅せ方が上手いな」


 エスピラが褒めると、サジェッツァの能面に近い表情に喜色が滲んだ。


「友との晩餐会でも料理の手は抜かないのが一流の仕事人だからな」


 前菜に白身魚を入れつつ、赤や緑などの彩りも加える。


 白はサジェッツァのオーラで、野菜に使われている赤と緑はマルテレスとエスピラのオーラの色。それを、非常に上手くマッチングさせている。余計な色は薄めてくすませて。


 きっと、メインディッシュにも白身魚があるのだろう。あるいは赤のソースとか。味を濃くして付け合わせで口を整えるようにしているのかもしれない。


(これが名門のもてなし方か)


 財を使って贅を尽くすセルクラウスのやり方ではなく、建国五門としての誇りを持ったやり方。

 ウェラテヌスのもてなしをほとんど知らないエスピラと平民故に貴族の晩餐会のやり方を知らないマルテレスに教えるためにもこぢんまりとした晩餐会を開いたのだろう。


 エスピラがサジェッツァに感謝の意を示せば、マルテレスも何かに気が付いたのか。

 瞳の色を変えて、じっくりと晩餐会を観察し始めたのだった。


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