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変わるモノ、変わらぬモノ

「カウヴァッロに、兵を預けるか」


 ただ、兵を割けば割くだけ避難が遅れるというジレンマもある。


 それに、カウヴァッロは発言力が弱かったとは言えアリオバルザネスの引き留めに失敗した面子の一人でもあるのだ。状況は全然違うが、仮にこれで失敗しては今後に響く。例え相手が天才だとしても。


「師匠」

「私に任せては頂けないでしょうか」


 イフェメラの言葉を遮って、ルカッチャーノがエスピラを強く見据えた。

 そこから、ゆっくりと視線を誘導するように地図を見る。


 イフェメラは頬を膨らませていたが、とりあえずは黙って聞くようだ。


「今四番の見張り台から確認できたと言うことは、マールバラがこちらに来るにはこの川を渡る必要があります」


「迂回路もありますけど?」


 イフェメラがぶーたれた声を出す。


「そこを通るなら時間を稼げる」


 ルカッチャーノは変わらぬ声と鋭い眼光でイフェメラに返した。

 眼力はすぐに通常のモノに戻り、視線も地図に戻ってくる。


「川の渡河ポイントは全て把握しております。訓練中の投石部隊を連れていくことにはなりますが、マールバラが最速で動いても今からならば間に合います。未だにマールバラが損害を嫌うならば十分に時間を稼げるでしょう」


「でもどうせ少数なら私が行った方が良くないですかあ?」


 イフェメラがなおも拗ねた声を出した。


 エスピラが居なかったら「建国五門の名声はマールバラに通じませんよ」とも言っていたのだろうなと、エスピラは心の中で苦笑する。エスピラの前では他の人にもそう言うことを言わなくなったが、気を許せるのかルカッチャーノやヴィンドには言うらしい。そう、被庇護者から報告が入っている。


「マールバラがディファ・マルティーマに到達したときに、お前が居た方が良い」


 ルカッチャーノの言葉にイフェメラが止まった。


「この軍団でエスピラ様が一番戦術家として信用している者はお前だ。次はカリトン様かヴィンド。撤退戦やごく少数部隊での活動ならばカウヴァッロが一番になると思うが、最初に言った三人は此処にいた方が良い。門は三つ。エスピラ様の体は一つ。マールバラに相対するにあたって、必ず守らなければならないのはディファ・マルティーマとそこを守る戦力だ。民はおまけに過ぎない。守れれば良いが、食糧を圧迫するだけ。


 もちろん、私だって見捨てたいわけでは無い。優先順位が下になるだけで、私も民を守りたい気持ちがあることは誤解しないでほしい。ただ、アレッシアを守ることに於いて、ディファ・マルティーマとエスピラ様が必要なのだ」


 最後の部分は、恐らくまだ部屋に居るユリアンナなどのエスピラの子供たちに向けて、だろう。


「気持ちはありがたいが、私は君に死なれるのも困る」

「死ぬ気で戦うつもりですが、死ぬ気はありません。父上がカルド島で待っておりますから」


 エスピラを連れて来るのを、だろうか、ともエスピラは思った。


「分かった。なら、ルカッチャーノを筆頭にファリチェとネーレと騎兵四百を含めた四千で行ってくれ。ファリチェはこの辺りに地理に詳しい。先手もとりやすくなるはずだ。ネーレは休ませる目的で軍団長補佐から外しているが、相談役として仲良くしてくれ。もしもを考えた時に焦るよりは一度人に話した方が良い」


「かしこまりました」

「無論、君の成功のみを私は望んでいるよ」


 ルカッチャーノが腰から小さく頭を下げた。


「師匠の軍団は多少の増援があって一万九千にギリギリ届かない程度。そこから四千も出して大丈夫ですか?」


 イフェメラが地図を真剣に見ながら言った。


「それ以下では時間稼ぎは厳しいだろうさ。事前に調べた限りでは、五万ほどで押し寄せてくる可能性があるからね」


「プラントゥム勢が一万二千。北方諸部族が三万。同盟諸都市勢が八千、でしたっけ。ヌンツィオ様も悪い人じゃないんだけど、どうして合流を許しちゃったかなあ」


 イフェメラが言う。


「一度の移動が百人以下のも多かったらしいからな。流石に、そこまでは手を回せないよ」

「ヌンツィオ様なら、ですよね」


「イフェメラ」

「申し訳ありません。ですが、アレッシアには師匠の足を引っ張る人が多すぎます」


「今の軍事命令権保有者に私の足を引っ張る人はいないよ」

「ティミドを見ても同じことを言えますか? 一番迷惑を被っているのは、スーペル様でしょうけど」


 ルカッチャーノの口が開いた。


「もし父上がティミド様によって迷惑を被っていると言うのなら、それはお門違いだ。タルキウスの政治力が落ちているだけのこと。ティミド様が軍事命令権を保有する器でないことはエスピラ様が弾劾しております。それを知っていて、同僚にしたのですから。タルキウスの責任でしょう」


 イフェメラが目を丸くした。

 顔は地図から上がり、ルカッチャーノの方へ。


「それ、本気で言ってます?」


「冗談で自分の家門の欠点を述べると思うのか?」


「いえ。でも、タルキウスもイロリウスと似て当主が不在に近いじゃないですか。その中でアスピデアウスに負けた云々って家門の責任じゃないと思うんですけども」


 厳密にはイロリウスは遠方、プラントゥムにあるピオリオーネに当主がいて、タルキウスは高齢のためほとんど家から出ないと言う違いがある。


「当主の座を誰かに譲れば良かったのだ」


 言って、話は終わりだ、とルカッチャーノがエスピラを見て来た。

 エスピラが口を開く。


「話を戻すが、四千で行えるな?」

「必ずや」


 ルカッチャーノが頭を下げた。


 ほとんど決まったようなものだが、正式には軍議を待って決定する。故に、移動はその後。とは言え、準備はできるのでルカッチャーノが命じるために出口に向かった。入れ替わりで、ジュラメントが入室してくる。顔に覇気がない。


「顔色が悪いな」


 苦笑して、何か飲むか? とエスピラは聞いた。

 ジュラメントが首を横に振る。


「少し、緊張しているだけですので」


 エスピラに届く前に床に落ちていくような声でジュラメントが言った。

 エスピラはイフェメラに目を向けたが、イフェメラも首を横に振るだけ。分からない、と表情が雄弁に語っている。


 エスピラは子供たちを見た。

 アグニッシモも既にユリアンナの方に行っており、ユリアンナも弟二人を上手くあやしている。乳母は後ろで三人を見ているが、手は出さないようにしているらしい。


 エスピラはそんな三人に対して柔和な笑みを向け、しゃがんでユリアンナと視線を合わせた。


「父はこれから大事な会議をしなくてはいけないから、少し席を外してもらってもいいかな?」


 ユリアンナがこくりと頷いた。


 アグニッシモはユリアンナに捕まりながらも、大きな目をまん丸にしてエスピラをずっと見ている。スペランツァはユリアンナの手を両手で握って遊んでいた。


「良い子だ」


 エスピラはユリアンナの頭を撫でて、それから離れた。

 乳母に先導されて、子供たちが出て行く。


「癒されるな」

 と、エスピラは三人に向けて笑顔を見せた。


「本当に。軍団内でもエスピラ様の子供たちは非常に人気が高いです」

 とはシニストラ。


「マシディリ様に関しては、あながち師匠の可愛がり方も過剰じゃない優秀さですからね」


 少しずれたことを言ったのはイフェメラ。

 ジュラメントは何も言わない。


「ジュラメント。的外れかもしれないが、アグネテのことなら気にするな。元より処刑は免れなかった者が少しでも延命できたのだ。君に責は無い。アレッシアの中で責を探すなら、それは暗殺未遂になる前に止められなかったことにのみある」


 陣中に女を連れ込むのも一歩間違えば危ういことであり、しかも敵国の女を寝所に入れるなど人によっては処罰モノでもあるのだが。


 だが、エスピラはディミテラのためにも大ごとにせず、『知らぬ存ぜぬ』を貫き通すこともあって罰するつもりは無い。


「いえ。エスピラ様のお心遣いはありがたいのですが、自分の責は自分が良く分かっておりますので」


 しかしと言うべきか当然と言うべきか。

 ジュラメントの顔は明るくならず、会議を迎えたのであった。


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