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紙中の戦い

「仲間を貶めてどうする」


 この呟きも仲間を貶めていると知りながらもエスピラはそう続けた。


「どうされるおつもりですか?」


 どこか楽しそうにシジェロが聞いてきた。


「どうもしませんよ。私の役目はディファ・マルティーマを守り、三年間の成果を生かし続けること。マルテレスに軍事命令権が与えられなかった今、唯一マールバラと会戦で勝った者を欠いた状態で戦わなければなりませんから。申し訳ありませんが、他のことを気にかけている余裕はありません」


 マルテレスに軍事命令権が与えられなかったのは心労を考慮しての休息だろうとは想像に易い。


 いきなり執政官をやらされたのだ。その上、怪物退治を三年間やらされ、味方も多く失っている。


 気が晴れるかは分からないが、ずっと戦場に送るよりも、とサジェッツァが思っても無理はない。今のところ、マールバラに勝てるのはマルテレスだけなのだから、最も失う訳にはいかないのである。


「グライオ様のことは、いえ、それは他の事には当たりませんでしたね」


「ええ。関係が深いことです。グライオがトュレムレを守ってくれなければ、私が居ない間にディファ・マルティーマも落ちていたでしょうから。トュレムレで耐えてくれていたグライオが、私にとっての戦功第一です」


 エリポスでグライオが居ればと思ったことはたくさんあった。

 だが、トュレムレにグライオ以外が入っていればと思ったことは無い。


「エスピラ様に頼まれていた占いですが、

『月が見えない夜はある。だが、月が居なくなることは無い。雲に紛れているが、ずっと変わらず空に座している』

 と、出ました」


 意味を解釈し、エスピラは安堵の息を溢した。

 それから、右手で上唇を軽くなぞる。


「グライオは生きている。ハフモニ軍をどかせば、再び生きて会える。と言う解釈でよろしいのでしょうか?」


「雲がハフモニ軍とは限りませんが、生きていると思われます」


 そうか、とエスピラは頷いた。

 もう一度、そうか、と呟く。


「いつもいつもありがとうございます。エリポスでも、シジェロ様の占いに助けられました」


 頭を下げ、上げた時にはエスピラは部屋を去る意思を見せた。


「最高神祇官ですら見捨てた処女神の巫女を助けていただいておりますので、お互い様でしょう」


 言いつつ、シジェロが人を呼んだ。

 エスピラも帰り支度を少し進めつつ、座ったままになる。


 待っていれば現れたのは大量の紙を持った三人の奴隷。どれもこれもが綺麗な紙に見える。


(これは神殿の財を削ろうとするわけだ)

 と、思わざるを得ないほどの豪華な使い方だ。


「今年を含めた三年間の占いです。よろしければ、活用してください」


 シジェロの言葉に合わせて奴隷の一人がエスピラの目の前に紙の束を置く。


「ありがとうございます」

「いえ。もう時間は幾らでもありますから。後輩への指導として実演する際に、エスピラ様を占わせて頂いただけです」


 それでも、手間はかかるだろう。


「三年も占うと、時間もかかるのではありませんか?」


「そのようなことはありませんよ。私がエスピラ様を知れる手段は、エスピラ様が皆のために書いた伝記か占うことしかありませんでしたから。本来なら、もう少し先まで占おうと思っていたのです」


 ふと、エスピラの脳裏に嫌な想像が起こった。


(あと三年で私は死ぬのか?)

 と言う、嫌な想像である。


 しかし、それならばわざわざウェラテヌスが対抗馬になるなどと言わないとも行きついた。


「三年後。つまり、エスピラ様が三十三歳となる年は、分岐点となっております。エスピラ様だけでも無く、ウェラテヌスだけでも無く、アレッシアにとっての分岐点です。これを、不用意に覗くことは許されないでしょう。許されるとすれば、それはその時に毎日時間をかけて占うこと。それだけ、慎重にならざるを得ないのです」


 エスピラは、細くなってしまった目をそのままにした。


「濡れた原木にしっかりと記しておきます」


 馬鹿にしている表現では無い。

 濡れている原木は燃えることが無いため、残り続ける。そう言う表現だ。


 もちろん、実際は放置を続ければ腐り、それはそれで読めなくなるのだが。


「時折でも思い出していただければ幸いです。それから、ご苦労かとは思いますが、エスピラ様の書かれる原本も今まで通り三つあればなおのこと嬉しい限りです」


(私が書く原本が三つ?)


 そう、エスピラが疑問に思う間にもまだ紙束を持っていた奴隷が机の上に紙束を置いた。


「そうであれば、このように慌てて書き写すことなく神殿にも置いておくことができますから」


 シジェロがにっこりと笑った。

 エスピラもとりあえず笑みを返し、懐かしいですね、などと嘯いて紙束を手に取った。


 綺麗な紙に整列しているのは、エスピラの字とほとんど同じ文字。ぱらりぱらりとめくっても、エスピラ自身ですら見分けがつかないような文字が並んでいる。


 ただ、時折、エスピラならば崩すであろう文字列が崩れず、綺麗なまま存在していた。メガロバシラスと相対していた夏の陣中で書いた部分も、紙はとても綺麗である。


 常に綺麗な環境で大量の紙を使え、時間のある人物。それも、エスピラの字を真似できるような人。


 そんな人は、エスピラは一人しか思い浮かばない。


(メルアか)


 マフソレイオでズィミナソフィア四世が見せてくれた手紙で、メルアはエスピラの文字を真似していた。同じことをしていてもおかしくはない。


 これでエスピラが書いた方はメルアが大切に保管しているとかならば嬉しいが、と思いつつもエスピラは表情に気を付けた。


 妙に引き締め過ぎず、かといって緩むことは無いように。


 確認したいが、妻は認めないだろうし勝手に探したのが露見すれば機嫌の急降下も免れない。それとなく聞くにはメルアはエスピラのことを知りすぎている。


「まあ、手間もありますのでそこは考えます。エリポスのように紙が比較的入手しやすい場所ならばこのように大量にも使えますが、今はそうもいきませんから」


 そして、とりあえずこの場は濁して。

 エスピラは二言三言交わしてから紙を束に戻し、退出したのだった。


 退屈を体で表現していたユリアンナと、女性陣に可愛がられて果物をたくさんもらっていたクイリッタと合流し、家へ。


 実際のアレッシアの空気を感じ取り、そしてアレッシアにもたらされていた各地の戦況の推移を纏めてディファ・マルティーマに持って帰る。それも、エスピラの仕事なのだ。


 ただし、膨大な量をエスピラ達だけでやるのではなく、戦利品輸送の護衛で来ていた兵の中から文字が書ける者を選抜して頼んだり、被庇護者にも頼んだり。奴隷だけでなく、大勢の人を動かして。動かす分、労って。


 アグリコーラで冬を越していたマールバラの軍団に動きがあったと言う報告があったのはその作業の終わりが見えていた時。エスピラは、アレッシア本国に残る被庇護者に残りの作業を任せ、ディファ・マルティーマに帰還した。行きはメガロバシラスからの財が積まれていた船には戦車競技団や劇団員を乗せて。避難の名目と共に一時的に去ったのであった。


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