マルテレス弾劾裁判
「マルテレス・オピーマに死罪を言い渡す」
聴衆を割り、ペリースをはためかせながら法廷に躍り出たエスピラは明朗にそう告げた。
マルテレスはもちろん、訴えていたはずの貴族も判決を下す役目を任されている者も呆けた顔をして、エスピラに意識を奪われている。
コネに関しては知っているはずだ。だから、エスピラがマルテレスの弁護に回ることは想定の範囲内。ただ、このはじまりでは弁護では無い。弁護とは思えない。
「この者がアレッシアに与えた最大の影響はマールバラ・グラムに勝てることを証明したことにある。開戦から三年。大方の予想に反してアレッシアは苦境に立たされていた。戦えば負け、戦えば負け。ペッレグリーノ様もタイリー様も、さらには独裁官の制度を持ち出しても負けた。この調子で行けば今頃アレッシアはマールバラの手に落ちていただろう。
だが、当代きっての極悪人、マルテレス・オピーマが勝ったことにより流れが変わった。
被告はアレッシア人にマールバラに勝てることを認識させ、徹底抗戦の意思をより強固なものに変えたのだ。
これにより戦争は長期化の一途を辿り、ハフモニに再び恐怖を植え付けた。マールバラの快進撃は止まり、皆がアレッシアの勝利を描いて突き進んでいる。ハフモニに親しい者からすれば悪夢の時間だろう。まさに、マルテレスを死罪にしなければ覚めない悪夢だ。
それだけでは無い。此処にいるエスピラ・ウェラテヌスの首を繋げたのもマルテレス・オピーマである。
ウェラテヌスはオピーマに多額の借金があった。あれだけの借金だ。私の妻が欲しいなどとふざけた算段を立てる身内も出ているのは知っている。結局私が手を下すこと無く死んだが、借金を返し次第どう殺してやろうかと考えたものだ。
だが、私の殺意を抑え、オピーマの借金の取り立てを抑えたのはマルテレスである。おかげでアレッシアはメガロバシラスの参戦を防ぐことが出来た。マールバラの、メガロバシラスと共にアレッシアを襲う目論見が崩れたのだ。これもマルテレスの力無くしてできないことである。
即ち、この者の罪、それはアレッシアの敵であるハフモニを苦しめたこと。その一点のみにある。
アレッシアに勝ち目を与えたこと。それによって、数多のハフモニ人およびハフモニに近いしい者を苦しめたことである。数多の命を苦しめたことによる罪の多さは追随を許さないであろう。
対して、アレッシアに栄光をもたらし、繁栄を引き寄せたことのみがこの者の功績である。
故に裁判にかけ、死罪を要求する。それが、ハフモニのためになるのだから。アレッシアに破滅をもたらし、此処にいる聴衆諸共消し去ることに繋がるのだから。そのために原告は裁判を起こしたものである」
語りながらもゆっくりと近づいていたエスピラは、判決を下す者の目の前に肘を置いた。
「そう言う裁判で、よろしいですか?」
「あ、」
「違う理由が私には見当たらない!」
言い淀んだ者に、エスピラは畳みかけるように郎快な声を出して今度は聴衆を向いた。
「開戦から既に六年だ。その間、マールバラに勝った者が他に居たか? 居ない。私は知らない。当初より弱くなっているとはいえ、そのマールバラの軍団を弱くしたことはマルテレスの功績だ。
マールバラも百戦百勝では無い。神の加護を受けて勝ち続けているわけでは無いとマールバラの味方が思えば、分裂も進む。その一撃を加えたのは他ならぬマルテレス。
それを、訴える?
なるほど。マルテレスを除けば再びマールバラは勢いを取り戻すだろう。オノフリオ様を暗殺同然に殺してしまったことで、アレッシアの士気は高まった。ならば今度は裁判で、か。
ハフモニ側の人間とは面白いことを考える者だ。なあ。そうは思わないか?」
最後は原告に向けて。
原告が何かを言う前に、エスピラは右手を頭の高さ以上に挙げた。
「フィガロット・ナレティクスも裏切ったのだ。アレッシアの中でも名門中の名門、建国五門の一つが裏切っている。他の者が、ハフモニに利する行動をして何を信じろと?
加えて、一昨年の末から始まっていた高官の親族殺害の件。この者達ではありませんが容疑者を絞る証拠を私は得ております。万が一、妻や子供たちがアレッシアを脱出できなかった時に備えて、エリポスで使っていた者を放っておりました。
その裁判の開廷と、弁護に回る者の調査を此処に求めます」
もちろん、原告の二人が弁護に回るとは限らない。
だが、このタイミングで政争を仕掛けてくるような輩が、自らから目をそらせられる好機を逃さないだろうとは思っていた。
「待て! 息子はどうなる?」
が、それよりも先にマルテレスの父が声を上げた。
「どうします? 情報は既に出たと思いますが?」
エスピラは悠然と裁くべく集められた人たちを見た。
「えっ、あ」
此処で死罪だとか有罪だとか言ってしまえば、彼らは生きて家に帰れないかも知れない。
あるいは、ハフモニに利する者だとして、家族を失いかねないのである。
「勝つために、どちらが必要ですか? 今も拘束する必要がありますか?」
話をすり替えて、エスピラは駄目押しをした。
裁判官の口が開く。
「マルテレス・オピーマは無罪である」
聴衆が盛り上がった。
「お待ちください」
が、エスピラは、郎、と声を張って止める。
右手を一度振って、合図も出した。
「この訴えが虚偽であり、無理矢理作り出したものである、と認めてもらえますね」
一回の頷きを二段に分けて、代表者らしき人が頷いた。
「認めましょう」
「以降この件に関して蒸し返すのは?」
「認めません」
頷いて、エスピラは離れた。
再度合図を出し、聴衆の盛り上がりに隠れて威圧するように並べていた被庇護者たちを解散させる。
「では、私の開廷要求もご検討ください」
言って、エスピラは法廷を離れた。
「随分と強引でしたね」
とはソルプレーサ。
「本当にアレッシアを考えている者達は誰もマルテレスが負けることを望んではいないからな。少し強引にでも『ハフモニに利する行為』だと認識させれば文句は出ないさ。それに、くだらないことにかけている時間は無いしな」
「広めろと?」
「もちろん」
会話が止まる。
不穏な空気故では無く、可愛らしい足音を二人とも聞き分けて、だ。
「ちーちーうーえー!」
微笑ましい視線を受けながら人ごみをかき分けてやってきたのはユリアンナ。
エスピラも笑顔でしゃがみ、愛娘の突撃を受け止めた。
「格好良かったです、父上!」
「そうか?」
「はい」
「そうか!」
エスピラはユリアンナの両脇の下に手を入れて、高い高いをした。
きゃっきゃとユリアンナが喜ぶ。
「はしたない。もう六歳だろ」
遅れて来たクイリッタが、唇を尖らせた仏頂面でそう言った。
「クイリッタもやるか?」
そんなクイリッタにエスピラは笑顔を向ける。
「私は今年八歳になりますので。そう言うのはもうしないのです」
「そうか……」
「父上。ユリアンナは八歳になっても九歳になっても父上に抱き着きます」
その一言に、エスピラは一気に破顔してユリアンナを抱き寄せた。
きゃー、と喜びの嬌声をあげ、ユリアンナもエスピラの腕の中で可愛らしく暴れる。
「娘の方が父親へのあたりが強くなるとも言いますから。今のうち楽しんでおかれるのがよろしいかと」
「そう言うことは今言わないでくれ」
「ソルプレーサ。怒りますよ」
落ち込むエスピラに、頬を膨らませるユリアンナ。
小さく頭を下げたソルプレーサに、クイリッタが一度視線をやっていた。
「エスピラ!」
そんなところに、人懐っこい者がもう一人加わってきた。
「マルテレス」
「いやー、本当に助かったよ!」
エスピラの背中に回されかけたマルテレスの手は、途中で止まりエスピラの背を叩くだけになった。
ユリアンナを抱いているのを見て、だろう。
「マルテレスならもっと弁護人を呼べただろう?」
「呼ばずともエスピラが来てくれたじゃないか」
「私はマルテレスを支えると約束したからな」
「やっぱり持つべきものは友だな」
マルテレスが結局エスピラに密着して、ユリアンナに「大きくなったな」と語りかけていた。
不思議そうな顔をするユリアンナに苦笑いを浮かべた後、マルテレスがクイリッタに「ますますメルアに似て来たか?」と頭を撫でながら聞いた。クイリッタはマルテレスの手を避けようとしているが、完全に動きを読まれている。
「可愛げが無くなったなあ。昔は父上父上といつもエスピラを呼んでいたのに」
哀しいなあ、と冗談めかしてマルテレスが呟いた。




