ヴィンド・ニベヌレス
ヴィンドの言葉はもちろん続く。
「次に配置ですが、マールバラが前に出るのはエスピラ様に好機だと悟らせるためでしょう。
マールバラはアレッシアの軍事命令権を保有しそうな者をくまなく調べ上げたと言います。ならばエスピラ様について調べられていても不思議ではありません。当然、信奉している神も知っているでしょう。
では、エスピラ様の特徴的な性格は?
それは、誰もが家族思いなことを挙げると思います。自身の家族よりもエスピラ様のご家族について詳しく話せるようになってしまった者もいるくらいですから」
要するに、自慢話ばかり。
もちろん、そんな意図で言っているわけでは無いだろうが。
「タイリー様。バッタリーセ様。コルドーニ様。ルキウス様。そして、コルドーニ様とルキウス様の子供たち。それと、トリアンフ様の子を葬ったのはマールバラです。ウェラテヌスの家族がカリヨ様だけである以上、愛妻家である以上セルクラウスに思い入れがあると考えても不思議ではありません。
つまり、仇敵である自分の姿が見えれば乗ってくると思っているのではないでしょうか。
部下思いでもありますから、グライオ様が危険だと思えば攻撃してくると言う算段もあり、見え見えの策を採っていた可能性もあります。
何より、アグリコーラ救援よりもトュレムレ攻略を優先したことから私にはマールバラが自身の立てた作戦に固執するタイプだと思えます。
アレッシアに最大の打撃を与えるにはどうすれば良いのか。それは、両執政官を投入してまで実行した作戦を失敗させること。自身がアグリコーラに向かえば、それがかなったかも知れないのに取りませんでした。
もちろん、要因は様々ありますでしょうが、これはメガロバシラスを半島に呼んで一気に片を付けると言うプラントゥムに居た時にも練ることが出来る策に固執しているからでは無いでしょうか。
メガロバシラスに勝ち、エリポスに認められているのは元老院では無くエスピラ様。
そのエスピラ様を討ち、ディファ・マルティーマを落とせばメガロバシラスは再び動き出す。そうすればアグリコーラの再奪還も叶う。
そのために、五年前は慎重派の旗手だったエスピラ様を戦場におびき出せた今と言う好機をものにしようと策を練っているものと思われます」
言っていることは、尤もだ。
エスピラにもそれは分かる。
故に、腕を組んで唇をいじってしまった。
「エスピラ様がグライオ様を大事にしているのは知っております。その信用、信頼に勝る者がいるとすればそれはシニストラ様、あるいはソルプレーサ様のみでしょう。此処にいる者が束になっても、いざと言う時に必要とされるのはグライオ様だと私は認識しております。
その心を咎める気はございません。生きている内に救出したい気持ちも良く分かります。
もしもその気持ちを優先させると言うのなら、私はこれ以上止めません。ただ、エスピラ様のペリースと革手袋、そして鎧を私にお貸しください。私がそれを身に着けて、奮戦いたしましょう。必ずや彼の門をこじ開け、トュレムレへの道を築いて見せましょう。
アレッシアが勝つには、エスピラ様の力が必要なのです。ウェラテヌスを再度斜陽にすることは、エスピラ様の苦境にただ指をくわえて見ていただけのニベヌレスを、最低最悪の家門に落とす行いなのです! 祖父は、何としてでもカリヨ様を私の妻に迎え入れ、遅くともウェラテヌスに手を差し伸べるべきだったのです。父祖のためにも、我が祖父と父が安心して父祖に会うためにも。二度と盟友を裏切るわけにはいかないのです。
どうか、同じ建国五門としての私の気持ちも汲んでください」
お願いします、とヴィンドが額を地面にこすりつけた。
エスピラは、音も無く大きく肺から全ての息を吐きだした。口を閉じ、目だけがゆっくりとヴィンドの後頭部に落ちる。
「やめてくれ、ヴィンド」
やさしく言って、エスピラはヴィンドの顔を無理矢理上げた。
認めてくれるまで下げようとするヴィンドを、シニストラの力も借りて何とか押しとどめる。
「今は官職によって上下が出来ているが、同じ建国五門だろう? なら、そう言う風に頭を下げるな」
そして、エスピラは左手の革手袋でヴィンドの額についた砂粒を払った。
そのままゆっくりとヴィンドを立たせた後で、凛、とした顔を作る。
「攻撃は仕掛けない。十番目の月が終わるのを待って撤退する」
「エスピラ様。ヴィンド様の気持ちは分かりますが」
リャトリーチが異を唱えている途中で、エスピラは彼の言葉を右手を向けて止めた。
「私が間違っていたのだ。
この軍団は、アレッシア史上最高の軍団である。その気持ちに変わりは無い。ディラドグマで言った言葉に嘘偽りは一つもない。だが、私はそれを偽りにしようとしてしまっていた。
グライオは名将だ。私の、無二の仲間だ。
だが、それは君達に優劣をつけるものでは無い。此処にいる者達を、無駄に死なせて良いことにはならない。
私の力量はマールバラに及ばない。その私が、マールバラを追い詰めるにはどうすれば良いのか。
それは相手の軍団の質を下げ、君達の力で以って私とマールバラの差を埋めることだ。君達の力が無いと成し得ないことなのだ。
それなのに、その君たちを危うく私は死なせるところだった。
まずは、じっくりとマールバラの軍団を解体していく。ゆっくりと、もう少し弱体化させる。如何なる名将も自らの策が軍団に伝わらなければ、実行できる集団を用意できなければ愚図と変わらない。戦いは頭では無い。仲間だ。
私は人間だ。良く間違いも犯す。
だから、君達の力を貸してくれ。自分では小さいと、意味の無いと思っても私にとっては大事な一柱一柱なのだ。失って良いもなど何もない。
確かに、この私の決断でグライオは苦境に陥るだろう。だが、数多の犠牲の末に救い出したとして、グライオが浮かばないことは今の私なら分かる。それを、彼は望んでいない。
グライオは助ける。君達と共に戦い続ける。必ずやアレッシアに栄光をもたらす。祖国に繁栄をもたらす。その全てを行うと、私は此処で神と父祖と、何より君たちに誓おう。
だから、今は怒りを堪えて撤退の指示に従ってくれ。
共に生きる未来のために」
途中までは朗々と、最後は頭は下げないが懇願するように。胸を張って頼むようにエスピラは言った。
「軍団長補佐の地位と、タルキウスの名に誓って。エスピラ様の指示に従うと此処に表しましょう」
最初に反応したのはルカッチャーノ。
ヴィンドがニベヌレスを出したため、タルキウスとして後れを取るわけには行かなくなったのだろう。
「剣を置く決定ではありません。戦い続けるための決定です。何を躊躇うことがありましょうか」
次いで、カリトン。
「エスピラ様。命令を」
言ったのはアルモニア。
エスピラは頷くと、再び口を開いた。
「撤退だ! 十番目の月が終わり次第、ディファ・マルティーマに帰還する! それまでの間敵のことを徹底的に調べておけ。グライオへの物資の輸送手段も探すぞ。このツケは、必ず払わせる。必ずだ!」
多少のためらいもあるが、アレッシア人は基本的に戦闘民族である。
しかも、この軍団は本国から離れている間、エスピラの指示に従い、そして戦果を挙げて来た。
当然、撤退に意見は纏まる。
(それだけでは、足りないな)
だからこそ。
「アレッシアに栄光を!」
エスピラは、戦いに行く時の掛け声をあえてここで高らかに吼えた。
「祖国に永遠の繁栄を!」
返事は乱れる。
乱れるが、誰もが吼えた。合わせようとはしなかった。
思い思いに力を籠めた。
その中でもエスピラの耳に一番残ったのは、ヴィンド・ニベヌレスの咆哮であった。




