正しさとは何ぞや
「誰に対して物を言っている? お前の目の前に居るのはアレッシアの法務官だぞ?」
代わりに唸り声をあげたのはイフェメラ。
眼光で殺さんばかりの勢いでサルトゥーラを射抜いていた。
「私は元老院の代表として、執政官の遣いとして此処に来ております。それに、法務官自ら法を犯しては示しがつかないと思います。ましてやエスピラ様は建国五門が一つ。率先して法を守るべき存在。何か、間違っておりますか?」
そんな視線を受けてもサルトゥーラは変わらない。
エスピラは右手を動かし、続きそうな発言を遮った。
指を畳みながら右手を横に動かし、下ろす。
「見事な言葉遣いだ。元老院の代表ならば君と話せば事が済んだが、執政官の遣いならば君と話しても決定権が無い。とは言え、それではまるで元老院がサジェッツァの下にあるようにも聞こえるからね。注意した方が良い」
「そのような意図がエスピラ様にはあるのですか?」
「サジェッツァのために言っているのだ。君がどう思おうと、どう思われようと私にはどうでも良い」
エスピラは場違いなほどにさわやかな声を出した。
「さて、次にだが、越権行為にならない方法など山ほどある。例えば、執政官マルテレス・オピーマと二個軍団をこちらに寄越す、とかね」
「アグリコーラ奪還が最優先です」
「だが、マールバラ・グラムを討てるならそれに越したことは無い」
言いながら、エスピラはサルトゥーラに近づいた。
エスピラの後ろにはソルプレーサが続き、エスピラが足を止めれば簡易的な地図を広げる。
「ディファ・マルティーマにはマールバラのために作った防御陣地がいくつも存在している。一撃を加えて引きずり出し、マールバラを此処からディファ・マルティーマまでの遅滞戦術で引き付ける。その隙にマルテレスの二万が背後を取る。三万対三万だ。しかも、防御陣地はこちらにあって挟撃の形にもなっている。間違いなく、大打撃を与える無二の好機だとは思わないか?
誘いに乗らなくても、相手は艦隊に陸を移動させるために木々を切り倒し過ぎた。しかも、油を使って滑りを良くしたために暖を取る手段も食事に彩を与える手段も不足している。有利になるのはこちらだ」
「防御陣地が持つ保証はありません」
「だが、マールバラが陣地への攻撃の不得手を解消できていないのも事実だ。それは、三分の一しかいない我らに襲ってこないことからも明らかだろう? 時間など、いくらでも稼げるさ」
「それから、マールバラの軍は四万です」
「数はな。そして、守るべきものがある状態でそれを全て使えるかどうかは、本国に長く居たと啖呵を切った君なら分からないなんてことがある訳無いだろう」
少しだけ部下を守りつつ、エスピラは笑顔を崩さずに言った。
「そうだとしても、ディファ・マルティーマを危険に晒すことは極力避けるべきです」
「君が危険だから私を罰しないと言ったのにかい?」
「極力です。回数は少ない方が良い」
「そうだな。そして、手の内もバレない方が良い。つまり、相手も測りかねている今こそが反撃の好機とも言える。その機を逃すことは、フォチューナ神の教えに反する」
「そうですか。運命の女神はアレッシアの守護神でも無ければ、私の信奉している神ではありませんので」
「言葉を慎め」
最大級の不機嫌をぶつけたのはシニストラ。
サルトゥーラの指が動いたのも、肩が僅かに揺れたのもエスピラは見逃さなかった。
「元老院の意思は変わりません。マールバラ・グラムと戦って良いのはマルテレス・オピーマのみ。後は防衛戦など、相手に守るべき土地を攻められた時に限ります。
それに、マールバラに勝てるなどと言って消えていった愚か者は枚挙にいとまが無いでしょう? タイリー様、バッタリーセ様、コルドーニ様、ルキウス様。ペッレグリーノ様も負けておりますし、勝てるなどと豪語し続けて会戦を望み続けた末に死んだ者の代表はグエッラ様でしょう。エスピラ様も同じになりたいのですか?」
「師匠!」
言葉の途中で叫んで、イフェメラが近くにあった兜を地面にたたきつけた。
「こいつの性根を叩きなおす許可を! こいつは! 師匠と父を、明らかに馬鹿にしました!」
「駄目だ」
「ですが!」
「元老院の代表と臆面もなく名乗った男に剣を向けるわけにはいかない」
歯ぎしりが聞こえそうなほどに歯肉を剥き出しにして、イフェメラが握り拳で何度も剣を叩いた。
戦うと言う意思表示では無い。堪えるための動作だろう。
「分かっていただけたようで何よりです」
いけしゃあしゃあとサルトゥーラが言う。
「ただ、あくまで忠告ですので。後はお好きにどうぞ」
そして、サルトゥーラが初めてエスピラに頭を下げた。
エスピラもついぞ笑みを崩さず、口を開く。
「そうだね。忠告だ。私からも一つ、忠告させてもらうよ。君は、もう少し周りを見た方が良い。早死にするぞ。永世元老院議員に成れるほど優秀だと言うのなら別だが、今のままではそのための味方もアスピデアウス頼みになる」
「私は正論を述べたまで。正しいことを言えば、分かる者は付いてくる。その者こそがアレッシアをより良き国へと導くと信じておりますから」
サルトゥーラも仏頂面を崩さないでエスピラとの会話を締めた。
背筋を伸ばして踵を返し、サルトゥーラが出て行く。
「人の忠告はきちんと聞いた方が良い。少なくとも、ニベヌレスはカッサリアの孫に至るまで味方をする気が失せた。次に来るときは、エスピラ様の傍を離れないことだな」
帰り際にサルトゥーラに投げたヴィンドの言葉は、この場に居た者の全ての意思を代弁しているかのようであった。
「攻撃の準備に移りましょう」
切り出したのはピエトロ。
馬鹿にされたことが、彼の意見を完全に翻意させるに至ったらしい。
「支援物資の運搬を名目にすればカナロイアやマフソレイオにトュレムレの港に滞在しているハフモニの艦隊を攻撃させることもできると思います」
どちらかと言うと元老院寄りだったネーレも続く。
「師匠。陸上で試したい策も幾つかございます。勝てると豪語はできませんが、確実にトュレムレからは離して見せます。私に五千ほど預けては頂けませんか?」
「商人の動きも把握出来ました。マールバラの物資不足を加速させることも可能です」
イフェメラ、アルモニアと続く。
側に控えていた者が、テキパキと軍議の準備を整え始めた。
机になるものを用意し、繋げ、巨大な地図を広げる。
話し合う時間はたくさんあったのだ。
策の数なら数えきれないほどある。意思の統一も、この数日と先のサルトゥーラで成った。
「お待ちください!」
その中で大声を上げたのはヴィンド。
準備されていた机を回り込み、エスピラの前に膝を着く。腰に帯びていたニベヌレスの短剣も抜き取り、エスピラの目に置いてきた。
「会戦に臨むべきではありません」
そして、良く通る声でそう進言してきた。
「ヴィンド! サルトゥーラに味方するのか? グライオ様を見捨てろとお前も言うのか?」
真っ先に怒ったのはイフェメラ。
「違う!」
ヴィンドも怒鳴り返した。
一喝により冷静さを取り戻したのか、イフェメラは「すまん」と呟いて熱気を下げている。
「この戦い、マールバラは誘っているのです。自分の身を危険に晒してでもエスピラ様を討とうと決意しているのです。そうなれば、これまでのマールバラの動きから導き出した策など全て無駄です」
エスピラの目が思わず細くなった。
「述べよ」
先とは違う、少し冷たい声も出てしまう。
「まず、裏切るかも知れない八千の兵をどうして街の中に入れておくのか。
これは、略奪を防ぐ目的もそうでしょうが、門を閉じないと言う確信があるからだと思います。つまり、血を流して戦った相手がある程度健在であり、そちらを睨まないといけないと言うことです。船もそう。冬が近づくと言うのに物資を消費してまで行ったのは、相手がまだ海を越える手段があるから。超えられたところを陸で叩くのに不安が残るからこそです。
後ろに敵が居ないのなら、今までのマールバラを考えれば同盟諸都市八千は最前線に出ているはずです。敵が少数なだけなら、自身の二千か一千を街の中、海岸線沿いに同盟諸都市八千を並べるか、彼らを分断して組織的な反抗を阻止すれば良いだけのこと。
そうしないのは、恐らくグライオ様が健在で、市街の奥かその後ろの港湾設備を改造して立てこもっているからでは無いでしょうか。
少なくとも、グライオ様が生きていなければ此処までの対策を後ろに講じる必要はありません」
ヴィンドが力強く言い切った。
自分以外の者に堂々と言われ、なるほど、とエスピラの中にグライオが生きていると言う実感が広まる。確信に変えたかった疑念が、しっかりと払われて行ったような気がした。




