サルトゥーラ・カッサリア
全軍、もといディラドグマを乗り越えた精兵一万三千を再度召集させたのは、帰還から五日後のことであった。
遅い、ともエスピラは思ったが、新たに物資の準備や敵の情勢把握を考えれば早すぎるくらいだとは理解している。
「友を、救いに行くぞ」
左腕の懐かしい痛みを握りしめて、エスピラは号令を発した。
エリポス出発前に作っていた防御陣地群からも少しずつ物資を徴収する形で進軍速度を僅かながら速め、トュレムレを睨む山に布陣する。
敵軍は四万。
プラントゥムからの、いわばマールバラにとっての精鋭が一万二千。
北方諸部族が一万八千。元はアレッシアの同盟諸都市だった者達が八千。
百以下の単位を切り捨てれば、そういった内訳だ。
さらに布陣を分ければ、トュレムレ市街に同盟諸都市だった者八千とプラントゥムからの二千が。最外郭に北方諸部族の九千と恐らくマールバラ自身が率いている七千。後はトュレムレに近づくに従ってプラントゥムの兵が増える形で残りが布陣されている。
狙いは分かりやすい。
トュレムレ市街からの悪感情を防ぐため。そして、信用がいまいち無いからこそ市街に同盟諸都市兵を入れている。あるいは、求心力が落ちたため、プラントゥムの兵を合間合間に入れて置かざるを得なかったことも考えられるのだ。
様子を探れば、鉄の結束があるわけでは無いのも分かる。
となると。
「確実に弱体化している」
エスピラは、そう結論付けた。
ファリチェが一番に反応する。
「市街地に居る裏切り者の八千の力は二千で抑えられる程度。最前線にしても、インツィーアなどでは完全に北方諸部族だけで形成していましたが、今回はプラントゥムの兵を入れざるを得なくなっている。しかも、マールバラ本人が出てこなければならないほどに。
間の軍団もすぐに最前線にはできず、プラントゥム兵を見張りだと考えれば撤退時には北方諸部族ともマールバラは戦わないと行けなくなる。
つまり、我らが相対するべきは最前線の一万四千。その中でも主に騎兵三千と歩兵二千ほど。
と言うことでしょうか」
「こちらにとって希望的観測を並べるのなら、ファリチェの言う通りになるな」
野外に広げた地図に目を落としながら、エスピラはそう返した。
ディファ・マルティーマへの帰還に合わせてディティキで髪を整えたエスピラに続くように髪を整えたファリチェが頭を下げる。が、喜色はさほど無い。
「相手は怪物マールバラ・グラム。アリオバルザネス将軍以上とみるべきでしょう」
ずっと厳しい顔をしたままのカリトンがそう言った。
言われなくとも分かっているが、あえて、だろう。
「市街地の一万はこちらが劣勢にならない限りは無視して良いのは事実でしょう。北方諸部族の士気がそこまで高くないのもその通り。とは言え、マールバラが明らかな劣勢にならない限りは強力な一万の軍勢と、個々の武勇に勝る二万の軍勢が相手なのは変わらないと思います。
一万三千と三万。確かに装備はこちらが上でしょうが、当然のことながら厳しい戦いに変わりありません」
ルカッチャーノがフォローらしきものを行った。
「数で劣っている以上は撤退するべきだと思いますが」
言ったのはピエトロ。
すぐにイフェメラやシニストラに睨まれている。
「数も大事だが、それで全てが決まる訳じゃ無いのをあれだけ見て来たのに分からないんですか?
しかも、マールバラは船を運ぶために木々を切り出し、油を大量に消費している。冬に向けてこの消費は必ず効いてくるはずです。少なくとも、気温の低下はこちらの味方。むしろ戦うなら今しか無いと思いますが、皆さんはどうですか?」
挑発的に言ったのはイフェメラだ。
特に若い層がイフェメラに肯定的な空気を出している。
アレッシアにとって悪夢そのものなマールバラ・グラムをこの手で討つ。それは、エリポスで自信をつけた者達にとって是非とも叶えたい夢なのだろう。
それに対して、マールバラが打ち破って来た者達の強さを知っている者ほど慎重な姿勢を見せている。
マールバラは強いと。エリポスのように上手く行く保証は無い、と。
「エスピラ様」
声を上げたのは副官のアルモニア。
「此処はひとまず、情報収集と作戦の立案に向けて動いては如何でしょうか。実際に戦えるかどうかはそれによっても変わってきます。何より、元老院が援軍を寄こしてくれるのかどうか。それによっても大きく作戦は変わってくるのではありませんか?」
攻撃に出ることを前提としているように勘違いさせつつも、その実、元老院に判断をゆだねるかのように。慎重派にとっても元老院の許可があれば戦わざるを得ないのを理解して。
ちゃんとした理由がある中で中間の策を提案してきたのである。
「アルモニアの言う通りだな」
エスピラも、その策を採る。
会話を軍団の方針を決めるモノから普段の会話の延長線上へ。緊急度を落とし、発言の重みも軽くし、より自由な発言をできるような空気づくりに腐心した。
エスピラとて軍団に新たな分断が起こりつつあるのは知っている。エスピラによって取り立てられたと考えている若い層と、元から元老院に認められていた層。もちろん、そこが全てでは無いが、仲間にしては少々過激な敵対意識もある。
その解消も狙ってただ反対させるのではなく、互いに互いの立場だったらどうするのかの作戦も話し合わせたのだ。
そうしている内にも季節は十番目の月を進んでいく。
南部故にまだ雪の足音は聞こえないが、確実に気配は近づいて。
焦りが生じ始めた軍に使者が現れたのはそんな時。両執政官が目標としていた街を落とし、アレッシアからアグリコーラへ直接の進軍が可能になったとの報告から遅れてのことであった。
使者の名はサルトゥーラ・カッサリア。アスピデアウスの娘を妻に貰った男である。
エスピラは、彼を晩餐会用の笑顔で出迎えた。
「遠路はるばる良くぞ参られました。両執政官を投入した作戦も上手く行ったようで何よりです」
「仕事ですので。この後雪が積もってもアレッシアに帰るだけですから」
仏頂面でサルトゥーラが言う。
頭が下げられることは無い。
「南部は雪があまり降りませんが、アレッシアに帰る道中ではどうしても降ってしまいますからね。山道はオノフリオ様が大分整備されていたとはいえ、大変でしょう。毛皮でも持っていきますか?」
「備えはしてきておりますので結構です。それよりも、先に元老院の決定をお知らせいたします」
鉄に弾かれる水滴のように、エスピラの声は捨てられてしまった。
表情を一切変えないまま、サルトゥーラが形よく口を動かす。
「元老院は援軍は送れないと決定いたしました」
サルトゥーラを挟むように並んでいた軍団の高官の多くがざわめいた。
そんなことなどお構いなしにサルトゥーラの口がなおも動く。
「いえ。そもそもエスピラ様に許されていた任はメガロバシラスを半島の戦いに参戦させないようにすること。その達成をもって今年の軍事行動は終わり。これ以上は結構です。ディファ・マルティーマの防衛時こそ元老院の許可なく動かすことをお認め致しますが、敵占領地の奪還など越権行為に当たります。疾く、お引きください。処罰の対象になりますよ? いくらエスピラ様の処罰がアレッシアにとって大きな損失だとしても、規則は規則です」
言葉遣いよりも強い調子で声が拒絶を訴えてきている。
「ディファ・マルティーマの防衛もまたエスピラ様が与えられた任。それ故、旗下の中で最も信頼できるグライオ・ベロルスを派遣したのです。彼が失敗した以上、我らにはトュレムレを取り返す義務がある。これは、エスピラ様の権限の範囲内の行動だ」
サルトゥーラほど硬く、そしてサルトゥーラよりも熱のある声で反論したのはルカッチャーノ。
攻撃に反対だったはずのピエトロや賛成だったイフェメラも大いに賛成を示していた。
「それは特別軍団長になったグライオ様の任。エスピラ様の任ではございません」
「トュレムレが落ちることの重大さを分かっているのか?」
「確かにタルキウスには及ばないかも知れませんが、私もアスピデアウスに列していただいた者。しかも貴方よりも本国に長く居る。本国で重要な任に携わっているのです。説かれるまでもありません。それに、越権行為を罰しないと言う姿勢こそがその後に対する備えだと分からないのですか?」
ルカッチャーノの鼻筋がひくついた。
眉もせり出し目が暗くなったような錯覚もうける。
だが、ルカッチャーノは息を吐きだし、決して荒げた声を出さなかった。




