虚像と実像
「結果的に、だ」
人聞きの悪いソルプレーサの言葉をエスピラは訂正した。
「執政官二人からなる四個軍団。そのほか、昨年から当たっていた二個軍団と今年からの一個軍団がアグリコーラ近郊には居る。しかも私たちと違って全ての軍団が一万人以上で構成されているんだ。
一個軍団とは言わない。五千の兵だけでもグライオに渡してくれていれば落ちなかった。落とされる可能性は減っていた。
グライオならば守り切れていた。
言っても、仕方が無いことだがな」
エスピラは大きくため息を吐き、腕組みを解いた。
「派遣した兵も失う可能性を考えれば、元老院はそんな決断はできないだろうさ。ただでさえマールバラと戦うと兵が減るからな。できる限り多くを生かし、国力を維持する方針を選ぶのも理解できる」
「血の通っていない選択だとは思いますがね」
冷たく言ったのはシニストラ。
「あくまで推測だ。別の理由もあるかも知れない以上は、無駄に仲間に怒りを向けるものじゃないよ」
どの口が言っているんだ、と思いつつもエスピラはシニストラを窘めた。
シニストラも素直に頭を下げてくる。
「エスピラ様のエリポスでの功績は群を抜いております。アレッシア国内がどうであれ、国外ではアレッシアの第一功は間違いなくエスピラ様。そのエスピラ様にとって最も信頼できる最強の賽を奪うことで元老院に対する影響力を削ぐつもりでは?」
「ソルプレーサ」
「失礼いたしました。あくまでも、軍団内で流行りそうな言葉を述べたまでですので」
「此処にはアルグレヒトとディアクロスがおります。永世元老院議員を二つ保持し、建国五門の内四門があります。あながち、ソルプレーサ様の推測もおかしくは無い話だと思いますが」
「シニストラ」
何時から、君達はアレッシアに不信感を持ったのか、と。
言わずとも目で訴える。
「ならば聞かせてください。最初の対マールバラでは主導権をグエッラ様や利権を得たいだけの者達に握られ、今回もずっと本国に残っていた者に握られる。エスピラ様は借金をしてまで神殿を救い、支援無くともエリポスを抑えられた方なのに中枢に関われない。しかも、ウェラテヌスだと言うのに。
エスピラ様。これは、何か変わったのでしょうか?
五年前から、支配している者の名前が変わっただけで、根本的には何も変わっていないように思えます。このまま、父祖が育てたアレッシアと言う大木を腐らせても良いのですか?」
シニストラにしては長い言葉に、エスピラは思わず押し黙ってしまった。
これに対する、返答は。口からは出てこない。
「支援なくメガロバシラスを抑えるなど、不可能だと思われておりました。しかし、現にこうして成功しております。それだけではありません。マルハイマナの動きも封じることに成功したのです。ウェラテヌスの借金も消えております。
エスピラ様。間違いなく、これはエスピラ様の功績です。エスピラ様だから出来たことであり、エスピラ様が他の権力者と何が違うかを考えればこの軍団を見れば誰でも分かります。ファリチェ、リャトリーチ、フィルム。こう言った者はその代表例でしょう。
私やソルプレーサ、グライオはその先駆けです。そこを潰しに来ている。その言葉に納得する者が、少ないとお思いですか? エスピラ様がそこを見誤ると私たちが信じるとお思いですか?」
筋が通っているかどうかでは無い。信じられるかどうか。
その点に限れば、この話はとても信じやすいだろう。エリポスで自信をつけて者たちや、アレッシア本国で本当にエスピラの人気があるのならば。出世する機会が増えるのであれば、アレッシアの若者は。
おそらく、信じるだろう。他の者だって、無名の者を引き上げていると言うのに。
エスピラの左手の革手袋が、音を上げた。
「国は、割れない」
そして、吐き出す。
身を乗り出してきたシニストラを、しかしエスピラは手のひらを見せて押しとどめた。
「国を割る訳にはいかない。『今は』、そんな場合では無い。力を合わせて協力するべきだ」
それ以外に、どんな言葉を出せただろうか。
ともすれば聞きなれたささやきが脳内に響きかねないこの状況で、何が言えたのか。
「エスピラ様」
ソルプレーサが落ち着いた声を出す。
「エリポスで実際に戦った者達は、今のアレッシアの体制では、柔軟性なく全て元老院に伺いを立てて動いていれば今の状況を作り上げることはできなかったと考えております。半島に居れば見えないことも見て、学べたのです。変わらないモノなど無いのです。そのことだけは忘れないよう願います」
エスピラとソルプレーサの目が合った。
周囲に音は無く、力強くも押し返しては来ない視線がエスピラにやってくる。
「心に留めて置こう」
言えば、ソルプレーサが慇懃に頭を下げた。
エスピラはトュレムレの様子を再度探るように命じ、二人から離れる。
向かう先は寝室。二年以上前にエスピラが使っていた場所。
歩く先々で見かけた奴隷を全て下げ、エスピラは扉を開ける。
直後。何かが横を飛んでいった。
後ろの壁に当たると音を立てて砕け落ちる。恐らく、陶器の何か。砕けやすい作りの物。
「ねえ。また、隠し子?」
二年半ぶりの再会の、第一声がこれである。
見た目も、行動も。何も変わらないメルアに、エスピラは思わず笑みがこぼれた。
「なに」
メルアの顔が険しくなる。
「いや、君はかわらな」
今度は投げられた布がエスピラに当たった。
言葉を中断して、エスピラは自身にかかった布を外す。
「『君』とか、『さて』とか使わないでくれる? あの男みたいですごく不快なんだけど」
右手を広げて止めてから、指を折って手をずらす所作なども。
(意図して使っていたのだが)
メルアが言うなら、彼女の前では使わないでおこうとエスピラは決めた。
「悪かった。その方が便利だったから、つい、ね」
「で? 次はどこの誰を孕ませていたのかしら」
紫のオーラが漏れだしていそうなほど、不機嫌な声である。
「そんな訳が無いだろう?」
「あら? 毎晩のように酒宴でクロッカスの花を貰っていた人が言うと信用できるわね」
思わずため息が出てしまう。
が、嫌な気分は一切しなかった。
「どれのことを言っているかは分からないが、アリオバルザネス将軍のご家族もハイダラ将軍のご家族も、ディミテラも、私には一切似ていないだろ? 第一、その人たちが産まれたであろう時期に私はどこに居た? アレッシアか、外に出ていてもマフソレイオだ。そのことはメルアが一番分かっているだろう?」
「そう。昔のこと過ぎて忘れたわ」
「私がメルアのことを大事に思っているのは家族をディファ・マルティーマに呼び寄せたことからも分かるだろう? その上で人の命を奪って、メルアの無実を作ろうとしているとはメルアなら分かるだろ?」
「誰が頼んだのかしら」
「それを言うなら、誰が、有力者の親族を殺せとメルアに頼んだんだ?」
「証拠も無いのに疑うなんて。酷い夫ね。貴方のために七人も産んであげたのに、これ以上何を望むのかしら」
(埒が明かない)
おそらく、メルアの望みもこの会話の決着では無いので、堂々巡りを繰り返すだけだ。
エスピラは、眼光を鋭くすると左手の革手袋の紐をほどき始めた。
「まずは、八人目を望むよ」
言って、革手袋を投げ捨てる。
やや乱暴にメルアを掴み、ベッドに押し倒した。力による抵抗は無い。
「避妊をしようとしていたのは貴方なのに。後ろめたいことでもあるの?」
「黙れ」
愛おしい匂いをかき分け、エスピラは白い首筋に噛みついた。細い両腕は手首を右手で掴んで纏め、上に押し付ける。
「随分と乱暴ね」
「久しぶりだからな。加減を誤っても許してくれよ」
「なら、私も貴方の指を噛み千切らないようにだけは気を付けるわ」
挑発的なメルアの言葉に、エスピラは安堵の笑みを漏らしてから今度は耳の後ろに歯を立てた。




