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叩きつける手

「母上は、その、面倒くさいとおっしゃられまして」


 マシディリの目が下に行く。


「寝室か」

 と、エスピラが悪戯好きな子を窘めるように言えば、マシディリが申し訳なさそうにこくりと頷いた。


 後ろを見れば、クイリッタが顔を逸らしているのが目に入る。


「そんな顔をするな。メルアらしいと言えばメルアらしいじゃないか」


 両手が塞がっているため撫でることはできないが、空いていれば撫でていたと分かるような雰囲気をエスピラは心掛けた。


 むにい、とエスピラの頬がチアーラによって引っ張られる。


「チアーラ。父上の顔を引っ張るんじゃありません」

「はまわないよ」


 表情を硬くしたマシディリに、エスピラはやさしく声を掛けた。


「そこは気にかけて頂きませんと困ります」


 困惑するマシディリに代わって、後ろからソルプレーサの声が聞こえて来た。

 エスピラはリングアとチアーラを抱えたまま振り返る。チアーラの手が、右の視界に広がった。


「いたっ」


 思わず、声。


「チアーラ!」


 直後に窘めよりも悲痛に近いマシディリの叫び。

 チアーラの手が跳ねた。エスピラの目のあたりをはいずり、降りていく。


「目はやめような、チアーラ」


 エスピラは、ひょい、と体を揺らして、窘める。

 しかし、チアーラは泣きだしてしまった。


「悪かった悪かった。でも、チアーラも悪いんだぞ?」


 困惑しながらも、エスピラはチアーラを揺らし続けた。それでもチアーラは泣き続けて、泣き止まない。

「旦那様」


 乳母が近づいてきて、チアーラに手を伸ばす。

 チアーラは、いやいや、と首を振って泣きながらエスピラにしがみついた。

 揺らしてもあやしても、泣き続けるが、乳母の手にはいかない。チアーラはエスピラの胸で泣き続けている。


(リングアは泣かなくなったなあ)


 なんて、エスピラも少し逃避するぐらいには、困り始めてしまった。


「申し訳ありません、父上。私が大きな声を出さなければ」


「私とウェラテヌスを想っての行動だろう? なら、何も咎めたりはしないさ。父がきちんと子供たちと接していればすぐに泣き止ませることも出来たかもしれないしね」


 マシディリを止め、体を揺らし続ける。

 チアーラも大泣きから、徐々に収まってはきた。


「エスピラ様」


 ソルプレーサに再び呼ばれ、彼の視線を追えば汗だくの奴隷を一人見つけた。


 緊急の用件だろう。

 マシディリも気が付いたのか、乳母を呼んで双子を任せようとしている。


「マシディリ」

「はい」


「後で新たな家庭教師になるアリオバルザネス将軍を紹介するよ」

「大層優秀な方だと認識しておりますので、非常に楽しみです」


 マシディリが慇懃に頭を下げた。


「ああ。楽しみにしていてくれ。それと、申し訳ないがアリオバルザネス将軍から教えを請うている時はもしかしたら軍団の者も参加するかもしれない。もちろん、父も含めてね」


「ウェラテヌスの名に恥じることの無いよう、精一杯努めさせていただきます」


 マシディリの目は薄く閉じられている。


(硬いなあ)


 エスピラとの距離か、それとも大層に捉えすぎているからなのか。それは、分からないが。


「父上。チアーラをお預かりいたします」

「悪いね」


 先にリングアを下ろし、次にチアーラの両脇を抱える。熱が離れた瞬間、またチアーラが大声を上げて泣き始めた。


「っと、ごめんよ」

「エスピラ様」

「旦那様」


 エスピラがチアーラを再び抱き上げようとした時、ソルプレーサと乳母から冷たい声が飛んできた。


 マシディリは何も言わないが、受け取る準備を完了させている。


 エスピラは、チアーラに負けず劣らず泣く泣くマシディリに愛娘を預けた。

 チアーラもチアーラで、乳母は嫌がったくせに兄であるマシディリにはそれなりに素直に移ってしまったのも、エスピラにとっては悲しみを加速させてしまっている。


 顔を上げれば、ずっと黙っていたシニストラだけがエスピラの悲しみに寄り添うように頷いてくれた。ソルプレーサは無表情。乳母はやっとか、と安堵の息を吐いている始末。


「父親が疎まれるのは、もう少し成長してからじゃないのか?」


 子供たちから離れるなり、エスピラはそう嘆いた。


「家に居ないくせに構い過ぎる父親は、疎まれるには十分かと」


 ソルプレーサがすげなく言う。


 うええ、とエスピラの口がへの字に開いた。シニストラからのフォローが特に無いのもどうしようもない事実に思わせてくる。


「そちらも大事ですが、軍団としては何よりも大事な報告があります」


 だが、続くソルプレーサの言葉にエスピラは表情を一瞬で引き締めた。

 別人かと思わせるかのような変わりようである。


「聞こうか」


 言って、エスピラは室内の奥に進んだ。

 外では肩で呼吸をしていた男がすぐにエスピラの前に出てくる。見たことの無い顔。敵意はなさそうであり、すんなり来れたであろうことから土地勘もある。


(となると)


 トュレムレか。


「私は、グライオ様から予め外に出ているようにと仰せつかっていた者です」


 エスピラは頷いた。

 続きを、とソルプレーサが男に促す。


「グライオ様からは、『トュレムレが落ちたと判断したら、すぐにエスピラ様にお伝えするように』と」


 思わずエスピラは自身の唇をつねってしまった。

 男の報告は続く。


「その時が、エスピラ様の救援が間に合わないタイミングであったのならば、『ご命令を守れずに申し訳ありません。私は、最後までトュレムレに残り抵抗を続けます』ともお伝えするように申し付けられておりました」


 大きく息を吸い込むと、同じくらい大きく、それでいてゆっくりとエスピラは息を吐きだした。


 指先は冷たく感じる。確かに、外も今は涼しい季節だ。海の上では頬が裂けるのでないかと言う風も吹いていた。しかし、それにしても、である。


「君が、判断した理由を聞きたい」


 ふう、と息を吐くとエスピラは男と目を合わせようとした。

 だが、男は下を向いているためそれは叶わない。


「マールバラ・グラムの軍がトュレムレに入っていくのを見ました。それだけでは無く、二日経っても出てこないことから、恐らく、市街地での抵抗は失敗したものだと考えられます。伝令として出て行く味方も見えず、外に部隊を展開した話も聞いておりませんでしたので昼夜を問わず走り続けてきたのです。私は、幼い時よりこの辺りを駆けまわっておりましたので。月の無い夜でも走ることはできます。そこを、グライオ様に認めていただきましたから」


(月の無い夜か)


 胸の下に左腕を置き、そこに右ひじを噛ませる形でエスピラは肘をついた。口元は右手によって隠れている。


「ご苦労だった。ひとまず、ゆっくり休んでくれ」


 そして、声を絞り出す。

 出て来た音は凛としていたが、エスピラの感情とは遠い所にある。


「は」


 男が下がる。


 足音が聞こえなくなるまで、エスピラは斜め下を睨みながら立ち尽くしていた。


「招集したところで、すぐにまた闘志を燃やすのは難しい、か」

「折角帰ってこれたのです。緊張の糸が切れた今では、すぐにもう一度とはいかないでしょう」


 ソルプレーサが淡々と返してくる。


「ですが、グライオが生きている可能性が少しでもある内に動くべきだと思います」

 シニストラが言う。


 最初はいがみ合っていたのに、と言う感慨は湧いている場合ではなかった。


「こちらは一万三千。向こうは四万。しかも怪物マールバラ・グラム。メガロバシラスを離脱させた御祝儀代わりに援軍を連れてこれないか? 戦わずとも、北方から睨むだけで良い」


「試しては見ますが、恐らく、不調に終わると思います」


 暗い見通しを述べたのはソルプレーサ。だが、エスピラも意見を共にするところだ。


「北方諸部族が二万足らず。南方の元同盟諸都市が一万に満たない。残りはプラントゥムで集めた兵、だったか」


 グライオからの報告では。


「トュレムレの内通者も恐らく多いでしょう」

「アレッシアは、そこまで財が無くなったのか?」


 二人から集まった視線を、エスピラは手を振ってかわそうとし、やめた。

 代わりに耳を澄まして、二人以外が近くに居ないことを確認する。


「アグリコーラはこれまで半島第二の都市だった。トュレムレも、南部ではディファ・マルティーマに並ぶ大都市だ。この二つの民を全員奴隷として売り払えば、莫大な財がアレッシアに転がり込むだろう?

 裏切ったのであれば、売る名目も十分。買い控えも起こらない。

 そうは思わないか?」


 ソルプレーサの目も周囲を窺うように動いた。

 シニストラも静かにエスピラに近づいてくる。


「元老院が見捨てた、と?」


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