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そうか。そうしたいのか。

「師匠! 待ってました!」


 メガロバシラスとの会談に臨むにあたり、アルモニア達と合流したエスピラを出迎えたのはイフェメラのその一言だった。

 なおも詰め寄ってくるイフェメラを、エスピラは「アルモニアと話した後でな」となだめてやり過ごす。否。黙って後ろについてくるだけの状態にした。


 陥落させた食糧保管庫にあった備蓄量も、捕虜の数も、被害も。木の皮に書いていたメモと共にエスピラに説明しているアルモニアの目が、ちらちらとエスピラの後ろに向き続けている。イフェメラに視線が行ってしまっている。


「緊急の用件はなさそうだし、イフェメラ、先に話すか?」


 そして、ついにエスピラも折れてイフェメラに話を振った。

 イフェメラの後ろにはジュラメントもついている。


「はい!」


 元気よくイフェメラが返事をした。

 エスピラの護衛として着いているシニストラは無表情。


「アグネテは生かしておくべきだと思います!」

「痴れ者が」


 シニストラが一瞬でエスピラとイフェメラの間に入った。後ろに見えるジュラメントの唇が白くなっている。イフェメラは、一歩も引いていない。


「あの美貌はまさに神からの贈り物。それを処刑するのは神を罵倒することと同義だとは思いませんか」


 イフェメラの目がエスピラからシニストラに動いた。

 威圧や怒りは、残念ながら全てシニストラにかき消されている。


「戦い以外は馬鹿なのか?」


 シニストラが吐き捨てた。


「その言葉はシニストラ様と雖も聞き捨てなりません。エリポスに聞こえし美女をアレッシアが保有してこそ意味があると思います。芸術品の収集と何が違うのですか!」


 イフェメラがシニストラを睨む。エスピラからは見えないが、恐らくシニストラも睨んでいるのだろう。


「何もかも違う。アレは動く。自分の意思がある。しかもエスピラ様を殺そうとした者だ。なぶり殺しが相応しい」


「そんなことするから野蛮だと言われるのですよ」

「あ?」


 険悪になりすぎたところで、エスピラは二度手を叩いた。

 両者が離れる。二人に最も近かったジュラメントの肩は、ようやく力が抜けたようだ。


「師匠。殺すのはいつでもできます。ですが、一度殺してしまえば生かしておくことはできません」

「舐められたら終わりだと分からないのか」


 イフェメラの言葉に、すぐさまシニストラが呆れたフリをして噛みついた。


「二人とも、一度口を閉じろ」


 エスピラは険の無い声で注意した。

 黙った二人が、そのまま一歩ずつ離れる。


「確かにその昔、エリポスでは人々の心を乱す存在だとされた娼婦がその美しさから無罪を勝ち取ったことがある。それこそ、神が造りし美だとしてね」


 言いながら、エスピラはシニストラを近くまで呼んだ。

 シニストラが頭を下げ、一度イフェメラを睨んでからエスピラの傍に戻ってくる。


「それとアグネテを比べてどうこう言うつもりは無いよ。私はその娼婦の実物を見てはいない。それに、アグネテはアレッシアの法務官と実の娘を殺そうとした女だ。その処罰は然るべきものを下されるべきであり、生かしておくことはそこに含まれない」


 ジュラメントとイフェメラの顔に焦りが見えた。

 若き欲望も、ちらりと顔を覗かせている。


「でも師匠! エリポスでの戦争の流儀に則るのであれば、アグネテは降伏したと言えるのではありませんか? なら、こちら側の者としても良いと思うのですが」


 シニストラからの明確な怒りを感じつつ、エスピラは左手を上げてシニストラを制する。

 アルモニアは凪いだまま。


「ディミテラにとって、アグネテは母であり自分を殺そうとした張本人。傍に居て、どう接して良いのか分かる存在では無い。それに、死んだとも思っている。ディミテラはウェラテヌスの人質になった以上、私の庇護下だ。間違っても波乱を起こすな。


 それを理解したうえでなお訴えるのなら、私は何も関知していない。その失態は、イロリウスとティバリウスに払ってもらう。それでも良いと言う覚悟はあるか?」


「ございます!」

 イフェメラが即答した。


 返事が遅れているジュラメントを、イフェメラが小突く。


「あります!」


 目を閉じて、ジュラメントが叫んだ。

 その瞬間、エスピラの中で二人の評価が書き替えられる。


「シズマンディイコウスに便宜を図ることも許さない。その者に所有を許すのは山羊一頭と奴隷一人だけ。もし、良き暮らしをしていたならばイロリウスとティバリウスを裏切り者と見なす。良いな?」


「はい!」


 やはり、元気が良い。

 認められたからか、嬉しさも見える。


 エスピラは、ため息を心の中でかみ殺した。


「そうか。なら、これは見事な働きを見せたイフェメラへの褒美だ。私は何も見ていない。失態が起きた瞬間に両家門はウェラテヌスの門に鎖を繋ぐことを覚えておくように」


「ありがとうございます!」


 大声で返事をして、イフェメラがやや早足でエスピラの前を去って行った。

 ジュラメントも慌てて頭を下げてイフェメラに続く。やや遅れて、イフェメラがジュラメントの背中を叩いたような音と楽しげな笑い声が聞こえて来た。


「一度か二度はエスピラ様と関係を持った女だと勘違いしているのではありませんか?」


 アルモニアがシニストラよりも先に口を開いた。

 機会を失ったのか、シニストラが何も言わずにまた口を閉じる。そして、重く開かれた。


「何故、そうだと?」


 アルモニアがシニストラに目を向ける。


「エリポスの文化に妻の共有もありました。師匠の妻と弟子が関係を結ぶのです。似たようなことをしたいのか、それとも単に美しいからなのか。ただ、イフェメラ様の功績を考えれば欲しいモノを手にすることを邪魔してはエスピラ様に邪魔が入りましょう」


「邪魔?」

 と、シニストラ。


「私は正面切ってメガロバシラスを打ち砕いたわけでは無いからな。講和条件を破るのにもってこいなのは、結んだ私を追放して条約を破棄してから攻め込むこと。そのために私が戦利品を独り占めする横暴な軍事命令権保有者としたいのさ」


 何でもないことのように言いつつ、エスピラはアルモニアに報告の続きを求めた。

 が、アルモニアが何かを言う前にシニストラが間に入ってくる。


「その文化はもうあまり流行っていないのではありませんか?」

「何故無いのか、分かるか?」

「それは……色々ありますが」


「そうだな。そのうちの一つは師匠に弟子を養い続けるお金が無いこと、あるいは師匠を養うような弟子が少なくなったことが挙げられる」


 シニストラの目が止まる。


「認めることで見舞い品の価値を上げ、諸都市に恩を売ることもできる、と言う訳さ」


 私がアグネテの生存を認めない時点で効果は薄いがな、と続けて、手を止める。


「アルモニア」

「はい」


「今日許可したことの調整などと表してイフェメラが担当している外交を全て別の者に割り振ってくれ。ジュラメントも減らす」


「それは、懲罰人事、と言うことでしょうか?」


「いや。不向きだと判断したまでだ。イフェメラは、軍事のみで扱うのが一番良い。代わりはヴィンドが最適かな。アグネテを生かしておくことに利益など一つもないよ」


 会話は此処で終わり。

 後は戦後処理を行い、両国の講和を促すためとやってきたマフソレイオの使者を出迎える。


 いや、使者では無い。

 やってきたのはズィミナソフィア四世。


 マフソレイオの女王が、自ら仲立ちとしてやってきたのだった。


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