懐に居るモノ
シオルンヌはマルテレスの妻の弟だ。
マルテレスには申し訳ないが、エスピラにとってはどうでも良い男でもある。
「マルテレスと私は親友だ。逆鱗を買うだけだと何故分からない」
エスピラは、それでも怒っているような演技をした。
トリンクイタが一度頷く。
「本当に怒って言うのはそっちなのかい? シオルンヌ君は、借金の返済が滞った場合メルア君を殺さないでくれと頼んだらしいじゃないか。自分の、愛妾とするために」
「もちろん、それは許されざることです。私はシオルンヌを許さない。絶対に。何があっても。
それは当然のこととして、親友の義弟でもありますから。殺すのはいただけませんよ。それも、暗殺だなんてもってのほか。ナレティクスは失策続きと言わざるを得ないかと思います」
言いながら、エスピラは貴重な物品が並べられている棚に腰かけた。
「ただ、その奴隷が媚を売ったのは本当にウェラテヌスでしょうか? 何故遠方のウェラテヌスに? しかも、暫定的な当主であるジャンパオロを外している者に?
むしろ、ジャンパオロを私の軍団に入れたかった何者かがジャンパオロを外したことに対する抗議をしてきている、と考えた方が自然かと」
最後は一音ずつ区切るように。
互いに、一拍の間を作るように見合う。
「ちなみに、実行犯である奴隷はどうなりましたか?」
本当はエスピラも結末は知っている。
「頭を壁に打ち付けて二人とも死んだよ」
「実行犯が分かっていながら、口封じまでが素早いですね。まるで、知っていたかのように」
エスピラは棚から腰を上げた。
「イフェメラにジャンパオロを連れてくるように言っておきましょう。ナレティクスの当主として、一度アレッシア本国に帰るべきだ。そうは思いませんか?」
「エスピラ君。それは悪手だと思うな」
言いながら、トリンクイタが「こっちへ」と手招きをした。
エスピラは焦らすかのようにしながらトリンクイタに近づく。
一定の距離まで近づけば、トリンクイタが素早くエスピラの背から左側に回った。ルカッチャーノから隠れるように、とも見える。
「建国五門は放すべきでは無いよ。本国に送れば帰ってくるかは分からないんだ。例え本人の力量が満足いくものでは無いとしても、建国五門はそれだけで価値がある。タイリー様ですら望んでも揃えられなかったことを忘れないでくれ」
「幾つか、訂正を」
穏やかにエスピラは切り出した。
「ジャンパオロに実力が無いのではなく、私に彼の力を活かしきる術が無いだけです。そこはお気を付けを。それから、帰ってくるか分からない、が他の者のところで働くことを指しているのであればそれは本人にとっても良いことでしょう。
建国五門の価値は私も良く知るところですが、私はウェラテヌス。セルクラウスとは違います。建国五門とかかわりを持つことは魚が水の中で息を吸えることと何ら変わりません」
苦笑のままトリンクイタが肩をすくめた。
「エスピラ君がそう言うのであれば、無理には止めないよ」
エスピラとトリンクイタの距離が再び開く。
「本国では若者に一番人気なのは君だからね。必ずしも失敗するとは思わないよ」
「それは、ありがたい限りですね」
「ならもっと笑ってくれても良いんだぞ?」
「人気が出る理由はある程度推測が出来ても、『若者』に特に人気が出る理由が分かりませんから」
軍団の面子が若いから共感を得やすい、などは分かる。
が、正面から堂々とメガロバシラスと戦ったことも無ければ、敵味方共に準備万端で会戦へと臨んでもいない。基本は機動力を活かした奇襲。少々のだまし討ち。内通者を作っての誘い込み。
アレッシア人に尊敬される戦い方では無いのである。
「名の売れていなかったソルプレーサ君を被庇護者に引き抜いて、エリポスで名の売れたシニストラ君を早期に抱え込んだ。それだけでは無く敵対家門であったグライオ君を傍に置き、今はトゥレムレの防衛を一任している。
最近でもイフェメラ君の才を早くに見抜き、カウヴァッロ君と共に重用しているからね。しかも、リャトリーチ君を連絡役として。フィルム君をマルハイマナとの交渉窓口に。ファリチェ君を軍団内の手が足りていないところをいつでも埋められる存在としてそれぞれ引き立てた。
三人とも、アレッシアでは無名に近かっただろう? それでも力を発揮できるところに配置したと言う眼を見て人気が出ているんだ。自分も、力を発揮できる場所で使ってくれるのではないかってね。
ジャンパオロ君やフィエロ君のように『外される』こともあるのは皆承知の上だろうから、自信家なのか違うのか良く分からないけどね」
「厄介な人気ですね」
言いながら、エスピラは話が長くなるとしてルカッチャーノにディミテラを休ませるようにと合図を出す。
もちろん、意図はそれだけでは無い。
本題に中々入らないことから、トリンクイタが人払いを求めていると思ってと言うこともある。
「人気があるのは良いことじゃないか。それに、単純な腕試しでは無く、家門の事情も考えてのことじゃないかな。
ウェラテヌスで戦場に立てるのはエスピラ君だけだからね。
他の家門に比べて圧倒的に不足しているよ。妻の家門とは言え、セルクラウスは大きすぎて自由には使えない。だからこそ、若者にチャンスがある。
加えて、子供はたくさんいるからね。しかもみんな大きな病なく育っている。まさかの全員が成人できると言う期待がもてるほどにね。そうなると、今だけでも七人かい? 今顔を繋いでおけば、名門ウェラテヌスと繋がれる機会が大きくなると言う訳さ。いつもウェラテヌスの子供は少なかったからね。またとない機会、と言えないかい?」
カリヨの時とは逆ですね、とは、一応声に出さず。
エスピラは、「神の御加護のおかげです」とだけ返しておいた。
「エスピラ君のオーラが緑か、メルア君のオーラが緑か。はたまた奴隷の中に強力な緑のオーラ使いが居るのか。と、これは無礼だったかな」
エスピラの言葉を流すようにトリンクイタが言う。
そして、彼はエスピラの言葉も反応も待たない。
「ウェラテヌスの家門で頼れる人が居ないのは、殺されたのがリロウスの者であることからも明白さ。神殿勢力と近いとは言え、ウェラテヌスと近いとは言い難い。でも、殺された。
誰がやったかは不明だけど、アスピデアウスもテレンティウスもオピーマも、政権を把握するのに必要な人材が死んでいるんだ。ああ、独占するのに、と言い換えるべきかな。能力的には、正直。うん。必要だけど必須では無いからね」
最高神祇官であるアネージモの子供や孫。
サジェッツァの縁戚のアスピデアウスの者。
ヌンツィオの甥。
マルテレスの義弟。
どれも、軍団の高官には名を連ねてはいない。
「ところで、エスピラ君。物は相談なんだが」
すすす、とトリンクイタがすり寄ってきた。
ぴったりと体がくっつく。柑橘系の良い匂いがエスピラの鼻孔をくすぐった。
「どうだろうか。メルア君とメルア君との子供たちをディアクロスの者がディファ・マルティーマまで護送すると言うのは。代わりに、私を財務官としてディファ・マルティーマに赴任させてはくれないか? エスピラ君が一言『欲しい』と言えば、無下にはしないだろう?」
言って、ぱちん、とトリンクイタがウィンクをかましてきた。




