食えない男
毒によって弱り、意識が混乱していただけ。
エスピラの狂乱は、そう言うことで三人の中では決着がついた。話も一切漏れていない。
ただし、これまではエスピラに対して少し強引なのはソルプレーサだったのが、シニストラも加わり、エスピラを休ませようとしてくるようになってしまった。
(休んでも、することが無いのだが)
此処は敵地。
息抜きに歩けるような場所は無く、結局は紙を見るだけ。息子たちに教育をつけようかと思っても遠すぎて時間が余る。
それでも、と見舞い品と称して各地から送られてきた芸術品を眺めながら、話し相手としてカクラティスを指名して審美眼を養おうとしたがこれは非常につまらなかった。
ズィミナソフィア四世が送ってきてくれた書物や剣、何故かサイズが合っている鎧の方が見ていて楽しい。
「お気に召しませんか?」
見張りも兼ねて後ろに控えているルカッチャーノが聞いてきた。
「まあね」
エスピラも壺の一つを手に取り、返す。
近くではディミテラが身を縮めるようにして壺を見ていた。
「そう言う君はどうだい? ルカッチャーノ」
「価値で言えば高額なものを指名したしますが、心を動かされるかと言えば否です。ヴィンドならばきっと大喜びで解説を始めると思いますがタルキウスは武に重きを置いた一門ですので」
「意見が合ったな」
アレッシア語で続く会話に不安を覚えたのか。見上げて来たディミテラに、エスピラは「私も彼も価値が良く分かっていないのさ」とエリポス語で言った。
「私は自分の意見を言っているだけです。別に、常に反対している訳ではありません」
ルカッチャーノが淡々とした中に拗ねた様子を含めて言ってきた。
「知っているよ」
エスピラも笑って返す。
耳が捉えた足音は、口の堅い奴隷のモノと懐かしいモノ。
「シニストラが気休めになるようにと見舞い品の中からえりすぐってくれたこともね。シニストラから私がどう見えているのか、少し不安になったよ」
そう、冗談めかしてエスピラは笑った。
笑っている間に、奴隷の姿が見える。
「エスピラ様。トリンクイタ様がお見えになりました」
「だ、そうだが、会っても良いかい?」
冗談めいた笑みのまま、エスピラはルカッチャーノに聞いた。
ルカッチャーノの眉が小さく寄る。
「どうして止めることができましょうか」
「一応、私がきちんと休んでいるかの見張りだろう?」
楽しそうにエスピラは笑った。
ルカッチャーノは対照的に表情を顰めている。
「元老院からの使者と会うのを止めることが出来るとお思いですか?」
「悪かったよ、ルカッチャーノ。少々悪乗りが過ぎた」
一応、真摯さを取り繕ってエスピラは謝った。
ルカッチャーノがますます顔を険しくしつつも頭を下げ、ディミテラに近づく。ディミテラが体をさらに小さくさせた。エスピラは、そんなディミテラにやさしく微笑みかける。
大丈夫だ、と。
安心して、と。
実の母と祖父に殺されかけた少女をいたわるように。
利用されたとはいえ、ディミテラもエスピラを暗殺しようとした者の一人として数えられているのだ。ならばエスピラの傍が最も安全な場所なのである。
そのディミテラがルカッチャーノに隠れるように庭の端に移動した。
連動するようにしてトリンクイタが現れる。
「やあ。久しぶりだね、エスピラ君」
齢四十を超えていることを感じさせない若々しい笑みでトリンクイタが右手を挙げた。
確かに口元に小じわは見えるが、それすらも魅力と化している。
「お久しぶりです、トリンクイタ様」
エスピラも、酒宴用の笑みを貼り付けた。
その後ろにある壺や箱などの見え方にも気を付けながらトリンクイタに向き合う。
「いや、今はもう『君』とは呼ばず『様』と呼んだ方が良いかな?」
トリンクイタが降りて来た。
探り合いなく先に出された手にエスピラも応じる。
「どちらでも構いませんよ。御覧の通り、今の私は休憩中トリンクイタ様の義弟ですから。ただ、セルクラウスを挟んで、ですがね」
三女クロッチェの夫と四女メルアの夫。
二人の母親は同じアプロウォーネ。
関係は近いと言えるだろう。
「エスピラ君のような義弟が居てくれて嬉しいよ」
「そう言ってもらえてうれしい限りです」
笑みを向け合い、二人は離れた。
トリンクイタが目を奪われているかのように見舞い品に近づいていく。
「失礼なことを言っている自覚はあるけど、これは凄いな。凄い戦利品だ。タイリー様なら帰ってすぐにこれらを並べて盛大な晩餐会を開くね。松明をずらりと並べて夜すら明るくするんだ」
興奮気味にトリンクイタが言った。
布で手を拭いてから、トリンクイタが壺の一つを手に取ってしげしげと眺め始める。
「ありありと目に浮かびますね」
ゆったりとエスピラも肯定した。
タイリー様ならそうするだろう、と。
品々の紹介だけでなく、今回の戦いの成果を誇大に報告するためにも。多大な成果を挙げたと人々に認識させるために。
「エスピラ君も開いて良いんだよ?」
うきうきとしながらトリンクイタが壺を触って、箱を触って、外衣の留め具を眺めていく。
「ウェラテヌスの家風とは合いませんので。この箱なども、無駄に装飾が多く使い辛いとしか思えないのです」
エスピラは金色の、やけにごてごてとした宝石や彫像のついた箱を持ち上げた。
装飾だけでなく、重量も多いため普段使いにも向かない。
「まあ、これが大事そうに王の後ろに飾られていたりしたので受け取っては置きますが、正直、麦か金銀の方がありがたいですね」
「エスピラ君に言うべきことでは無いのは分かっているが、それは頭を下げる証でもあるんだろうね」
「でしょうね。ですが、どうしても実際に役に立つ物資を出し渋りながらアレッシアに覚えてもらおうとしているようにしか見えないのです」
エスピラは、笑みを苦笑に変えて箱を置いた。
「孫や子供を捨ててでもと言う姿を見せてしまっているからね。エリポスとしては物品の方がまだ印象が良いと思ったんじゃないかな」
トリンクイタが腰をかがめた。視線の先はディミテラ。一瞬だけエスピラに視線が逃げてきたが、すぐに向かい合っている。
トリンクイタも、やさしい笑みで自己紹介をするだけに済ませていた。きっちりと、エスピラの義兄だとアピールして。
「将来は美人になるね」
トリンクイタがにっこにこで言う。
「母親も見目は良かったですよ。世界で六番目ぐらいに」
「随分下だなあ」
はっはっは、とトリンクイタが笑う。
「メルア、ユリアンナ、チアーラと三番目までは順不同で埋まっておりますから」
「エスピラ君が居た頃は、チアーラはまだ赤子だったのに、もうそれか」
「赤子でも見目が良いのは良いのです」
「だな。確かに、身内の贔屓目抜きにしてもチアーラは可愛らしい子に育っていますよ。ユリアンナも利発そうな子に育って」
「そうですか」
エスピラは、冗談めかしつつも声を低くした。
トリンクイタも苦笑いを浮かべて、完全にエスピラの方を向いてくる。
「クロッチェが頻繁にウェラテヌス邸に行っていてね。滅多にメルア君には会えないらしいんだが、子供たちには会えるんだ。マシディリは去年は管理委員の任に就き、根も真面目だから会える時間は短く、クイリッタも勉学が始まっているからね。必然的にユリアンナと会う時間が長いらしい。
いや、らしい、と言うか私も会いに行った時にはユリアンナが応対してくれる時間が長いよ。
ああ、安心してくれ。メルア君は、私に会おうともしてくれないし、私も会おうとは思っていないよ。エスピラ君に嫌われたくは無いからね」
「会っただけでは嫌いませんよ」
冗談だと分かっていると言う返し方でエスピラは言った。
「そうは言うがね。実は、一つエスピラ君の耳に入れておかなければならないこともあったんだよ」
トリンクイタが左右を見回し、エスピラに顔を寄せて来た。
「シオルンヌ君がナレティクスの奴隷に殺されたんだ。家族も皆殺し。噂では、ウェラテヌスに媚を売るために殺されたらしいよ」




