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誰の望みか誰の子と声か、誰の言葉か。

 親指で、カクラティスの唇を押す。


「境遇が似ていて、互いに友と言いつつも利用している。命まで利用されるとは思わなかったけどね」


 くすりと笑って、エスピラはカクラティスから手を放した。


「そしてアイレス陛下と君も似ていることになる。アグネテの浮かれよう。恐らく、直接戦ったことのあるアイレス陛下が何か助言したのだろう? アグネテは知らないはずだからな。

 動きを封じて、体格の良い者を送り込めば勝てる、とかか?

 アカンティオン同盟も怪しいな。

 あの毒が貝の毒だった場合、私に送ったペリースの染料となった貝を使って毒殺を試みるなど、趣があって私は面白いと思うぞ?」


 エスピラは静かな挑発を。


「どこまで書く気だ?」


 カクラティスも全く焦りなく。


「どうしてほしい? アレッシア人に確かめる術はないからな。私が書いて伝えれば、それが限りなく真実に近いモノとして扱われるぞ?」


 元老院に提出しても無駄だと悟ってから。

 エスピラが、市民を対象にして書き送っている伝記、もとい報告書に書けば。


「ズィミナソフィア四世の名前が出るなら、真実を書いても構わない。と、言ったら、どうする?」


 カクラティスが僅かに口角を上げる。


「カクラティス。最早アレッシアを知らないでは済まされないぞ?」


 カクラティスが静かに笑いながら再び台に座った。


「考え方だよ、エスピラ。色仕掛けも毒殺も効かない相手にどう立ち向かう? カナロイアとドーリスの目の前で敢行された毒殺を凌いだ者が、神の寵愛を受けていないと誰が思う?」


 関与しているにせよ、両国の目を誤魔化せたにせよ。


「エリポス人が考えた策がメガロバシラスで実行され、しかもマルハイマナの協力を得ていた。全てが揃っていると思わないか?」


「首謀者であるマフソレイオが隠れていることも含めて、か?」


 カクラティスが口笛を吹いた。



「これは試練だったんだよ。そして、エスピラは打ち克った。証明して見せた。


 知らないで済まないのは君の方だ。エリポスは君個人を認めている。アレッシア人でありながら宗教会議への出席を認めた以上は、と言うこともあるが、あのメガロバシラス相手にエスピラが動くだけで勝利をもぎ取ったんだ。君の副官は惨めな敗北を喫したと言うのに、君が動けばすぐだった。


 強いのは誰か。愛されているのは誰か。


 それはエスピラだ。アレッシアに賭けることもしないし、頼ることも良しとはしないだろう。だが、エスピラになら、と言う論調も確実にある」



 くんのたり、とカクラティスがエスピラの方へ上半身を倒した。


「カナロイアを攻撃しても構わないよ、エスピラ。父上は庇わせてもらうけどね」


「カクラティスを傀儡としてカナロイアの王に定め、実権を分け合おうって?」


 非協力的な王を廃し、協力的な王子を国王に据えるのは良くある話だ。最近ではエクラートンで起こったことに近いと言えよう。


 何より、そうなれば同じく暗殺に関与した疑いのあるドーリスはエスピラの味方になる。アフロポリネイオも機会を逃せない。メガロバシラスは現在は手負い。


「エリポスを、手に入れたくは無いか?」


 つまりは、カクラティスの言う通り。



「ドーリスの陸軍。カナロイアの水軍。エスピラが集めた軍事技術。エリポス三国による権威の後ろ盾。


 私が見たところ、ソルプレーサ・ラビヌリ、シニストラ・アルグレヒト、イフェメラ・イロリウス、カウヴァッロ・グンクエスはアレッシアでは無く君に忠誠を誓っている。


 エリポスを制し、マフソレイオと手を組む。マルハイマナの牙は今は折れており、内紛すら起こりかねない。今立てば、エスピラの力で大国が出来上がる」


「戯言は二回までにしてくれないか?」


「戯言じゃないさ。良いのか? エスピラ。アレッシアは、はたして君達の働きを評価するかな? 血を流し、罵詈雑言に耐え、孤独の中で戦い続けた君たちを。本当に評価するのか? 


 正面切って戦い続けたわけでは無いだろう? メガロバシラスとしっかり組み合った会戦は無い。そのことを本当に評価するのはエリポスと、そして君の政敵となり得る者達。


 エスピラ。我が友よ。此処が分かれ道だ。私の手を取れ。私たちなら君を『大王』にできる。

 東に。西に。大版図を築けるんだ。


 アレッシアがマフソレイオの援助なしに戦えるのか? カルド島を落とした状態で食糧が持つのか?


 友よ。カルド島はエスピラならばすぐにでも統一できるはずだ。私が見る限り、スーペル・タルキウスもティミド・セルクラウスも相性が良くは無い。マルテレス・オピーマも得意分野では無いだろう。


 マフソレイオとカナロイアならばカルド島を抑えておくことも難しい話では無い。食糧を抑えれば、アレッシアも君のモノだ。


 東はマルハイマナ。南はマフソレイオ。西はプラントゥム。


 誰も為し得たことの無い世界の統一。これを、君と私で行うんだ。エリポスは小さい。こんなところだけで終わるのは御免だ。男として、貴い血として生を受けたからには自分の力を試したいと思わないか?


 それに、民の声だって君ならば直接聞ける。それができる者はほんの一握り。それこそ、神に選ばれた人間しかいない。そうだろう? 


 大事業の途中で頭が死なないならば、下の者も安心して着いて行ける。


 エスピラ。共に、世界を分け合おうじゃないか」



 物凄い熱量の籠った言葉だった。


 瞬きもほとんど無く、薄暗い室内でも爛々と怪しく光り続ける瞳は常にエスピラを貫いて。


 カナロイアの王権強化も、カナロイアによるエリポス統一も。

 これまで語っていた夢を嘘にするかのような。


 そんな、時間。語り。



「私はウェラテヌスだ。オルゴーリョ・ウェラテヌスが次男。そして建国五門が一つ、名門ウェラテヌス一門の当主、エスピラ・ウェラテヌスだ。そんな話に乗ると思ったのか?」


 エスピラも、射貫くようにカクラティスを見ようとした。

 だが、エスピラ自身が熱量で負けていることを実感している。ならばカクラティスは言わずもがな。


「そうか」


 しかし、エスピラの不安に対してカクラティスはあっさりとその身を引いた。

 さっきまでの熱量も嘘のように。煌煌と火の焚かれた祭壇から凪いだ海へと雰囲気が変わっている。


「アレッシア人を動かすのは利益では無いことは知っていたよ」


 そして、カクラティスがエスピラのために用意されている水を飲む。

 その姿は、盛りの過ぎた夏の暑さに負けた男にも見えた。


「実現も難しいしね。カナロイアやドーリスにマールバラを越える将が居るわけもなく、君の軍団も解体される。マールバラに勝てるのはマルテレスだけだろう?」


 カクラティスがエスピラに水を返してきた。

 エスピラは目を合わせてから受け取る。


「今は、の話だ。第一、グライオはトュレムレを守り切っている。イフェメラの才ならばいずれは届くかもしれない。他にも、マールバラと戦い続けた者ならば幾つか対抗策が浮かぶだろうし、私やサジェッツァならばその軍団の構成を崩すさ」


 念のため、アレッシアが有利であると。

 マルテレスにもしもがあっても何とかなると匂わせて。


「確かに、実際に崩れ始めていたな。しかし、私はグライオ・ベロルスを君が寵愛することにも驚いたけど、その力にはもっと驚いたよ。そして、居なくなっても崩れなかったアレッシア軍団にもね」

「メルアに手を出した一門を特別な理由なく重用するはずが無いだろ」


「そうだった。エスピラの愛妻度合いは、度を越していたね」

「残念だが、妻だけじゃないぞ」


「知ってるよ。私も、会ったことが無いのになぜかエスピラの子供たちに詳しくなってしまったからね」


 うんざりだ、とカクラティスが肩をすくめた。


「まあ、その子供たちに手を伸ばさずにエスピラを説得できるはずが無いか。下手に手を出せば、ディラドグマ行きだしね」


「グライオ」

 言いかけて、止まる。


『グライオもいなければ、大事業を為すのには人が足りないからな』などと言ってしまえば、どうなるか。

「のような存在が、子供たちにも居れば少しは私も安心できるのだがね」


「随分と信頼しているね」


 カクラティスの笑みは、何の笑みか。


 王族ゆえに感情まで計算されたような笑みからは、読み取ったのかは分からない。


 エスピラに家族の話をして口を緩ませたのかも。優秀な人物の話とグライオの話を出して本音を引き出そうとしたのかも。


「起きたてだろう。また来るよ」


 そう言って、カクラティスが出て行った。

 足音がどんどん離れる。


「でも、グライオ・ベロルスこそ『君のために』命を賭すんじゃないかな」


 扉から目を切った時に、そう、カクラティスの声がした。


「ベロルスが生き残るためにはそれしかない。それに、最もグライオを高くかうのは君だ。大征服の時、遠く離れて君の隣に居るのはグライオだろう? エスピラの態度からも、無理矢理納得させているだけだ」


「三度目の戯言は許さないと言ったはずだ」

 音を低くして、エスピラは声を大きくした。


 が、室内にはエスピラの声が反響するのみ。


 誰も、いない。


「エリポスを統一し、マフソレイオとカルド島を抑える。マルハイマナよりも東方諸部族を上手く統治できる以上はまさに『大王の後継者』に成れるわけだ」


 またも、声。


「黙れ」


 エスピラは目を素早く動かした。

 誰もいない。耳も何も捉えない。


「北方諸部族だって、マールバラを上手く使えば懐柔できる。プラントゥムもしばらくは混乱が続くだろうな」

「黙れ」


 まだ脳内で続く声に、エスピラは右手で横髪を引っ掴んだ。


「マシディリが優秀ならば、ウェラテヌスを二度と沈まない家門にできるぞ」

「黙れ」

「名門が体を売るか?」

「黙れ黙れ」

「名門が、アレッシア人の嫌うことを何故積極的に行う?」

「黙れ黙れ黙れ黙れ」

「今なら、アレッシアを含む全てを、世界を手に入れられるぞ?」


「黙れ!」


「エスピラ様!」

 叫んで入って来たのはシニストラ。隣にソルプレーサ。


 シニストラが、エスピラを立たせて剣を抜く。ソルプレーサも周囲を窺って。

 もちろん、誰もいない。

 誰もいないが、エスピラの耳には未だに自分の声の反響が残っていた。


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