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愚計にたかるは醜き怪物たち

「ディラドグマを覚えているか、ソルプレーサ」


 エスピラは、極寒の声のまま言った。


「はい」


 ソルプレーサの頭は上がらない。


「どうやら、あれがただの脅しだと思っている者が居るようだ。非常に悲しいよ。ディラドグマの民も浮かばれないだろう」

「すぐにでも」


 ソルプレーサが短剣を抜いて、アグネテに切っ先を向けた。


「待て。ソルプレーサ」


 その手を、エスピラは掴む。


「その女の処罰を決めるのは、私たちじゃない。だろ? シズマンディイコウス」


 目はシズマンディイコウスに。


「納得のいく処罰を頼むよ。協力関係を破ろうとした女に、ね。ソルプレーサも、他の者も。納得がいかなければその時に処罰を下せばよい。責任逃れだと思えば、更地にしてしまえ。いやしくもこいつらはアレッシアの名誉を傷つけたのだ。赦すことなどできまい」


 ああ、それから、とエスピラは短剣を揺らした。


「エリポス人は短剣を体に仕舞うのがお好みらしいですね」


 そして、シズマンディイコウスの右上腕に短剣を突き刺した。


「お返しいたします」


 手を上げてシズマンディイコウスの眼球に触れ、何もせず離れる。ルカッチャーノがシズマンディイコウスの左腕に兵から受け取った盾を叩きつけた。シズマンディイコウスの関節が増える。


「エスピラ様。一つ、訂正が」


 会話に入って来たのはカクラティス。


「エリポス人にそのような趣味はございません。同時に、愚かな虚言を信じるような趣味も。シズマンディイコウスのような小さな土地しか持たない者が大国を思いのままにするなんてことも、普通は考えません。愚か者の考えです」


 シズマンディイコウスの援護か、それともアレッシア人から見たエリポス人の印象を良くするためか。


 そこの判断はまだつかないが、少なくともアカンティオン同盟に対して釘を差す思惑はあるなとエスピラは思った。


「それなのにシズマンディイコウスは凶行に及んだ。どこか、大国の助けがあればと思うのですが、そう言えばマルハイマナの者は『毒が入っている可能性がある』と言う言葉に動揺を見せておりませんでしたね」


「言いがかりはやめていただきたい!」

 マルハイマナの大臣が叫ぶ。


 シズマンディイコウスは腕を抑えて震えているだけ。


「言いがかりでしょうか。アレッシアの指揮官が死ねば、アレッシア軍にどうしてもほころびが生じる。そこで最大勢力であるマルハイマナの大軍が上陸すればエリポス人を殺すのも売るのも簡単でしょう。特に、メガロバシラスに敵意を持っているアカンティオン同盟は軍を解散させては居りませんが、此処には連れてきておりません。


 排除して、そのまま南下してトゥンペロイを奪取する。港が回復すれば傭兵への支払いも滞らずに済む。

 メガロバシラスは息を吹き返し、アレッシア軍が弱っている間に一気に西進。そのために王は兵を温存していた。


 結果、メガロバシラスはエリポスで影響力を増し、逆転の一手を成功させたマルハイマナも大きな影響力を持つ」


「妄言だ!」


「目撃者を殺してしまい、協力者を殺せば事実は全てマルハイマナのモノになると思いますよ」

「ふざけるのもいい加減にしていただきたい。それこそ、マルハイマナの名誉を穢す行いだ! それがカナロイアのやり方か?」


 怒る大臣を無視して、カクラティスがエスピラの手に触れた。


「まだ疲れがあるだろう? 少し、座ったらどうだ?」

 と、優しく言って。


 そして、エスピラのために『自ら』椅子を持ってきた。

 王族らしからぬ扱いと、それから、水の入った杯を掴んで、一口飲んでからエスピラに渡すと言う周到ぶり。


(私は口を開くな、とね)


 一枚かんでいるか、事前に知っていたな、と。


 交換条件としての振る舞いも、完璧すぎる。


 ただ、此処で不況をかうことはエスピラもしたくなかった。


「そうそう。マルハイマナの名誉ですが、存在するのでしょうか? 約束を何度も破っていると聞いておりますよ。

 イェステス王が、十年間の停戦を無視してきた、とか。あるいは軍事行動を積極的に行っているようだ、とか。アレッシアと戦わないはずなのに傭兵を派遣しているのも同じこと」


「それを言うなら、ドーリスだってハフモニに傭兵を送っているでは無いか」


「ドーリスはそのような条約は結んでおりませんよ」

「マフソレイオからも傭兵が行っている!」


「家族諸共売っておりましたね」


 軍勢を保持していると言う勢いもあるのか、大臣はまくしたててくる。

 カクラティスは、それに対して小川のように受け流すだけ。

 ドーリス王アイレスは動かない。


(証拠を持っている、とかか?)


 丁度良く堀があったのも、館を見繕ったなら知っていてもおかしくは無い。


 エスピラが死ねばそれも良い。死ななくてもこれからの目的に役立つ。

 むしろ、死ぬ可能性が低いと見たからこそ準備などは積極的に動いたのか。


 が、所詮は疑い。

 エスピラがドーリスに何かできることは無い。


「マルハイマナ人は既に信用ができない、と言っているのです」


 カクラティスが言う。


「メガロバシラスと結んでいたこの男は最早言わずもがな。マルハイマナも、メガロバシラスと手を組んでいる。それは、エリポスとマフソレイオの共通認識です」

「それならとっくに攻撃を仕掛けている」


「油断させた隙が最も効果的ですから。そうですよね、ハイダラ将軍」


 呼ばれて、ハイダラまでの道が開いた。


 そこをカクラティスがゆっくり歩き、耳元で何かを囁いている。

 ハイダラの顔は険しいまま。唇は真一文字。


「将軍! 何を!」

 と大臣が叫んだ。


 瞬間。ハイダラが剣を抜き、大臣の頭をかち割った。


 血が噴き出る。大臣がゆっくりと崩れ落ちる。


 悲鳴が、大きく上がった。

 後ろでカクラティスは薄っぺらい笑みから驚いたような表情に顔を張り替えていた。


 ハイダラの体が、エスピラに向く。目は完全にエスピラを捉えた。

 決意の固い目だ。

 ひっくり返ることは無いだろう。


「マルハイマナの将軍であったハイダラは、この時を以ってマルハイマナを裏切る。その軍事技術、作戦系統、戦略。敵に全て筒抜けであると心得よ。

 それから、エスピラ様。折角の晩餐会を無駄にしたこと、この通りお詫びいたします。

 御免!」


 叫び、大臣を殺した剣でハイダラが自分の首を斬った。

 血が噴き出し、ハイダラも絶命する。


「だ、そうですよ。マルハイマナの皆さん」


 カクラティスが笑顔で言って、まだ血の流れている死体の間を足を汚しながら横切った。


 エスピラは、ゆっくりと目を閉じる。


(最後まで国に殉じたか)


 王が、正しくハイダラの意思を受け取ることが出来たのなら。

 しばらくの安寧がもたらされたとみるべきだろう。


「シズマンディイコウス。マルハイマナの方々の行動は、明白な繋がりの証に見えるのだけど、どうだろうか? ああ、なんと言い訳しても大丈夫だよ。どうせ、この時点での貴方とマルハイマナの繋がりは断ち切れてしまったのだから」


 要するに、言い訳は聞いていない。

 そう言う話だ。


「カクラティス。我が友よ」


 エスピラは、ゆっくりと話しかけた。

 シズマンディイコウスの目がエスピラの方へ来つつも泳ぐ。


「何だい、エスピラ」

「私のために怒ってくれているのはありがたいが、シズマンディイコウスの件はアレッシアが処理すべき問題だ。そこまでで結構だよ。十分に、助かった。心から感謝している。昼食でなら妻も連れて一緒にしても良いくらいにはね」


「それは大層なお喜びの表現で」

 ソルプレーサがいつもより硬く、いつもより大きな声でエスピラの言葉に追従してくる。


「エスピラ様は妻であるメルア様を大層大事に思っており、まさに人目につかないようにして慈しむと言っても過言ではございません。そのため、アレッシアでも晩餐会に出ることは少なく、『気難しい美人である』と言う話以外何も知らない者も多いのです。名門ウェラテヌスに嫁いだ、権勢を誇っていたセルクラウスの娘でこれは異常なこと。

 どうか、エスピラ様のそのお喜びようを受け取っていただければ光栄です」


 頭を下げ片膝を着いた姿勢のまま、ソルプレーサが言い切った。

 カクラティスがソルプレーサを見る。一見穏やかだが、感情の無い視線に思えた。


 当然だろう。これ以上干渉するな、と言う意思表示なのだから。

 カクラティスにとって格下も格下。アレッシアの名門の被庇護者である平民の言葉なのだから。


「分かった。では、そうしよう」


 カクラティスが半歩引く。


 エスピラは、ゆっくりと立ち上がった。否。ゆっくりとしか立ち上がれなかった。


「二人の死体を丁寧に埋葬してくれ。責任は、ソルプレーサ。君に任せる」

「かしこまりました」


「それと、こんなことになってしまったが、食材が無駄になるのは避けたい。是非とも『続けてくれ』。無理なら、アレッシアの軍団に分ける量を増やそう。ルカッチャーノ。この場は任せるぞ」

「ご命令ならば」


 ルカッチャーノが頭を下げた。


「シニストラ。私は少し休む。申し訳ないが、部屋までついてきてくれ」

「は。この命に代えても」


(そこまでは言っていないが)


「さて、罪人たちの処罰は罪人に任せるとして、だ。子を殺そうとする親の元に子は預けてはおけない。ディミテラ様は人質としてアレッシアに来ていただく。これは、命令だ」


 最後にエスピラはそう言って、会場を後にした。


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