愚計
アグネテから離れた後も、細々とエスピラの下を訪れる人は出てくる。
エスピラはその全てに一人当たりの時間を短くして対応した。シズマンディイコウスと話すのも忘れずに。時折、マルハイマナの言葉に聞き耳を立てて。
「ソルプレーサ様」
やっとさばき切れたと思った時、ソルプレーサを呼ぶ声がした。
相手はマルハイマナの大臣。
疲れからか、少々体がだるく感じたがエスピラは表情を保った。
「言ってきたらどうだ? 私が居なければフィルムの居ない内の交渉にならない、と言うことかもしれないぞ?」
エスピラは、くすりとソルプレーサに笑いかけた。
「シニストラに怒られるので」
ソルプレーサが至極真面目に言う。
「マルハイマナとの話も国益に繋がる」
「それを言うなら、ハイダラ将軍の個人的な話がしたいと言う申し出にも応じれば良かったのではありませんか?」
「私がマルハイマナの者と話しては駄目だろう。それに、少し気分が悪いからな。私は一度席を外すよ」
オーラを使いたいし、と言う言葉は飲み込んで。
「大丈夫ですか?」
ソルプレーサが言う。
「心配は要らないさ。すぐ戻る」
エスピラは言って、ソルプレーサと別れた。
何人かと会釈をしながら、端へ端へ。
歩いている内に、口や手にしびれを覚えだした。
(体調不良か?)
いや。これは。この特徴は。
毒の、可能性も。
毒自体は何とかなる。より強いモノに対処し続けたのだ。神をも殺すと忌み嫌われている紫のオーラを知っているのだ。
だからこそ、問題は何に入っていたか。誰が対象となっているか。
仮に、アイレスやカクラティスも対象ならば、アレッシアの威信にかかわってくる。
人ごみを避けてどちらに行こうか、とした時にシズマンディイコウスが身に着けていた金の留め具が目に入った。
エスピラはオーラを使いかけた手を止め、そちらに足早に移動する。頭痛と吐き気は、そろそろきつい。
「何か」
言いかけて、止まった。
角を曲がった先に居たのはディミテラ。うずくまり、体を震わせている。
「ディミテラ様?」
足音。影。熱。
エスピラは慌てて首を右手で隠した。前腕に異物。熱。痛み。
「誰か! 助けて! 娘が!」
狂乱しているかのように叫びながら、アグネテがエスピラに蹴りを入れて来た。
受け止め、よろめく。その隙にディミテラがエスピラの方へ押し付けられた。その状態で、アグネテと入れ替わるように走って来た男がエスピラに突進を食らわせる。
(ちっ)
落下。
そして、掘。さらに下へ。転げ落ちる。
(誘導されたか)
色々、考えている間に棍棒を持った男が飛び降りて来た。
転がる。ディミテラも居るのに、彼女を無視したような棍棒が地面を叩いた。
「と、いけねえ。こいつは『叩き』殺しちゃいけないんだったな」
男が、小さく溢し、ディミテラを蹴った。
厭らしい笑み。
アレッシアに、正確にはエスピラに恨みを抱く者もまた多いはずなのだ。
そう言った者が、鬱憤を晴らす絶好の機会だと思っているのであれば納得の表情である。
「同じ毒か? アレッシアならまだディミテラ様を助けられる」
エスピラは、郎、とした声で男に言った。
耳も澄まして周りを探る。良く分からない。多分、居ない。
手は痺れて足も痺れ。吐き気もする。
それでも、騙すために虚勢をはった。
「今更子供一人の心配をするのか?」
笑って、男が突進してきた。
棍棒の間合いになる前に前進。簡単に突き飛ばされる。よろめき、足がもつれ、地面に背がついた。
「くたばれ!」
棍棒に対し、エスピラは左手を曲げて受け止めた。衝撃。骨の悲鳴。鋭い痛みからの鈍い痛み。
エスピラは震える右手で何とか短剣を抜くと、痛む左手で何とか棍棒を掴んだ。
男が棍棒を抜き取ろうとする。おかげでエスピラも立ち上がれる。そして、首横を短剣で斬り裂いた。
血が噴き出し、地面が一気に染まる。横の土が水気で少し崩れる。
視界が大きく揺れた。
「死んで、たま、るか」
左側に倒れた衝撃で、左腕が悲鳴を上げた。
だが、エスピラはあまり動く気力が出ず。
(毒を回すための運動か)
この男も捨て駒。娘のように。
「タイリーさまは、死んだあとは、さんざ、んだ、が」
決して、娘は見捨てなかったぞ、と。
耳を澄ませど自分の荒い呼吸のみで。
エスピラは、緑のオーラを発動させた。
ゆっくりと浄化しながら、助かる確率を下げる行いだと知りつつもトガを土に汚し、前へ。目的はディミテラ。息が荒く、唇も青く震えている彼女に血まみれの手で触れ、緑の光で包む。
遠くから、喧騒も聞こえて来た。
(むすめを、ころし、た。やばん、じんに、りゆうは、いらない、と)
自分は短剣を突き立てて逃げた。
自分を想ってくれた者が攻撃に行った。
そんなところだろうかと、エスピラは朧げなままさまよう思考で導き出した。
目を下に動かす。
もしかすると、最初から自分が死ぬことを知っていたのか。
あるいは、エスピラに助けを求めていたのか。
(あのおやは、だめだな)
ディミテラが助かったとしても。
任せるわけにはいかない。
エスピラは息を吐きだして、目を閉じた。
大きな喧騒が聞こえる。夏の暑さも。
「えすぴらさま……?」
小さな声がした。
エスピラの目が薄く開く。目の前には、幾分か血色の回復したディミテラ。
次いで、耳に届く喧騒。夏の暑さ。それらが、眠りを妨げる。
「ぶじか?」
エスピラは、呟いた。
ディミテラが小さく頷く。
「そうか」
吐き出せば、少しばかりエスピラ自身に力が戻ってくるような気がした。
「ごめんなさい……」
ディミテラが謝る。
「気にするな。ああ、でも」
右手が触れているディミテラの体が硬くなった。
「できれば、私のオーラの色は内緒にしてくれると助かるな」
そして、やわらかくなった。
二度、三度と撫でてからエスピラはゆっくりと立ち上がる。
「汚れても大丈夫?」
エスピラが問えば、「はい」と小さな返事がやってきた。
痛む左腕と、短剣が刺さったままの右手でディミテラを何とか抱え、エスピラは堀を登る。
壁に体を預けながら、よろりのろりと会場へ。
中心では、アグネテが騒いでいた。
エスピラを認めてか、ソルプレーサの体から青のオーラが一気に広がる。
マルハイマナの者を押しのけ、シニストラがすぐにエスピラの傍に来た。
会場は、一気に静まり返っている。
「申し訳ありません。やはり、離れるべきでは」
「気にするな。アレッシア人の責任ではない」
エスピラは、未だに万全ではない体で極力良く通る声を出した。
ルカッチャーノが決められたリズムでオーラを飛ばす。逃げ出そうとしていたシズマンディイコウスは、アイレス王に捕まってエスピラの前に引きずり出されていた。アグネテもドーリス人によって蹴り飛ばされる。協力的でないエリポス人を押し返すように警備兵が入って来た。
「ディミテラを返して!」
アグネテが金切り声を上げる。
「黙らせろ」
エスピラはエスピラの腕から短剣を抜いて治療を始めていたシニストラに言った。
シニストラがアグネテの口を塞ぐ。騒がしい者にはルカッチャーノや警備兵が剣を抜いた。
参加者によぎるのはディラドグマの恐怖か。それとも怒りか。
(知ったことでは無い)
思い、エスピラは口を開く。
「皆様。早急に食べ物、飲み物を置いてください。毒が仕込まれている可能性がございます」
ざわり、と喧騒が一気に大きくなった。
あらゆるところで声が上がり、物が落ちる。
慌てていない者も数名。遅れている者も何人か。
青のオーラが、もう一度一帯に広がった。
「此処に居るのは各国の王族、指導者層。そして、マルハイマナからの先遣隊。いずれも死ねば大規模な混乱が訪れます。利するのはメガロバシラス。
皆様を殺そうとし、現に混乱を発生させた者がこの場に居ります」
郎、と。
今度は力が入って会場全体に確実に伝わる声でエスピラが言った。
視線は、極寒のモノをアグネテに。
「皆さんのモノには入ってないわ!」
アグネテが金切り声を上げた。
「皆様のモノ『には』、ね。私とディミテラには盛ったな、アグネテ」
エスピラの声も極寒に。
シニストラがアグネテの髪を引っ張り上げ、机に顔を押し付けた。料理が潰れる。アグネテの顔が汚れた。
エスピラは未だに少し震える手でシニストラが抜いた短剣を手に取り、近くに来たアレッシア兵にディミテラを預ける。
「私がやったと言う証拠は無いでしょう!」
アグネテが叫ぶ。
「無駄に騒ぎを大きくしたのが君ならば、アレッシアとしては処分する理由に足る。ソルプレーサ。この女は何と言っていた?」
ソルプレーサが慌てて近づいてきて、片膝を着いた。
「エスピラ様が、ディミテラ様を殺した、と。私も殺されそうになったと」
アグネテからの反論が一瞬止まる。
真実なのだろう。広めていたのだろう。
(こいつは殺し慣れていないな)
確実に殺してからじゃないと、自分が反撃を食らうのに。




