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ディティキの王

「早く出して!」


 まだまだ幼い王は母親の金切り声に不安の色を濃くした。


 父王が死んでから状況が芳しく無かったのも、最早国に居場所が無いのも幼王とて聞いている。だが、王宮に居れば民草のことは離れた出来事であるし、実際に敵軍に攻め落とされてもいないのだ。それどころか、この王は蝶よ花よと育てられているせいで敵軍を未だに見たことが無い。


 だから、この場での母親の焦りようだけが幼王の全てであった。


 焦っているから危険なのだと分かるし、怒っているから状況に一切の好転が見られないのが分かる。生まれ育ったディティキから逃げ出すしか無いのも漠然と分かる。


「ちょっと! 何やってるの!」


 再度の母親の叫びは、外で聞こえた声に対してだろうか。

 大丈夫ですよ、大丈夫ですよとなだめる宰相と正反対の険しい顔をした戦士長の顔の対比が、幼王の不安をさらに煽るとは馬車の中の四人は誰も思っていないのだろう。


「早くしなさい!」

 と言う母親の声に応えるように、無遠慮に扉が開いた。


 戦士長が剣を抜く前に彼の喉に剣が突き刺さる。「ひいい」と、一番情けない声を出したのは宰相だったか。聞き馴染みの無い声ではあったが幼王はただただ理解できず、呆然とするだけである。


 一度は止まった剣が、再び動き出した。

 戦士長を貫いたまま、後ろの宰相を串刺しに。


 そのまま馬車の壁に刺さった剣は、対照的な表情をしていた二人を同じ存在にまで貶めていた。


「誰!」


 名前を聞きたかったのか、人を呼びたかったのか。

 良く分からない母の短い叫びには誰も返事をすることなく、目の前の屈強な壮年の男がのそりと馬車の入口から退けた。

 一瞬だけ母親の顔に覇気が戻ったが、すぐに男の行動は母に対してのものでは無いと分かる。奥から、先の男に比べれば細身の栗色の髪の男が出てきたからだ。左半分は紫色のマントで隠れており、アレッシア人らしくない。ただ、細身とは称したが右腕に見える筋肉や馬車に掛けた右足からはしっかりと鍛えられていることは見て取れる。


「両陛下でお間違いないですね」


 アレッシア人にしては随分と流暢なエリポス語だと幼王は思った。


「違」

「ああ。失礼。質問ではありません」


 私は見たことがありますから、と母の言葉を切ってまで続けた男は、幼王にとっても確かに見覚えがあったような、無かったような。


 曖昧な記憶ではアレッシア人らしくない様子が残っているような、勘違いのような。


 迷っている間に、短剣が男から放り投げられた。

 馬車の中央。母からも幼王からも手に取れる位置である。


「貴方がたの味方は既に亡く、ディティキの陥落も秒読み。貴方がたに残された道は二つに一つです。このまま凱旋式の見世物となり、その後に縊り殺されるか、あるいはここで王族の誇りを守って自害されるか」


 母親が飛びつくように短剣を掴んだ。

 堅く握りしめた手と、幼王を見下ろす様々な感情がないまぜの目。それでありながら、既に覚悟は決まっているかのような硬質な光。


 ああ、此処で死ぬのか。


 幼王は、母親の選択を悟り目を閉じた。

 直後に、胸に痛みが走り、熱さが走り。

 泣きだしたいし苦しいし縋りつきたかった。

 でも、これが王族なら。

 そう、我慢して。

 幼王は馬車の床に体を打ち付けた。



「情けない母親だ」


 幼王の幸いは、エスピラのこの言葉を聞かずに済んだことだろうか。


 息子を殺す決断はすぐに下せたくせに、自害は出来ずに。

 ただただ子殺しの汚名を背負うだけになったディティキの女王は乱暴に馬車から引きずり出され、物品のごとく運ばれていった。


「えっと、私のアレッシア行はどのように」


 御者が手もみをしながらエスピラに近づいてくる。


「一緒に来ると良い。一応は私の奴隷として連れていくが、アレッシアに着いたら自由民にはしてやれないが誰に仕えるにしろ自由だ」


 自由民にすれば、職も無く朽ち果てるだけとも言えるが。


「ありがとうございます」


 えへ、えへへとだらしない笑みを浮かべて御者はぺこぺことエスピラに頭を下げてきた。


 エスピラの父に世話になったから、と駆けつけてくれた百人隊長ケントゥリオに女王と御者の男を任せ、エスピラは軍団の者たちの節度ある略奪の見回りに戻った。


 一人が取れる数、国庫に入れる物、順番、優先順位が略奪とは言え決まっている。

 兵の統制を保つためと言うのが大きな理由ではあるが、兵たちの楽しみ、ボーナスの時間である略奪を禁止することは出来ない。略奪の禁止は兵のやる気の低下、装備の質の低下、生活の低下、ひいては軍団の弱体化に繋がるのだ。

 略奪の時間を適切に行い、統治に繋げることが良将の条件である。


「こう言うと失礼かもしれませんが、エスピラ様は一般的なアレッシア人ではないようだ」


 エスピラが監査を任された一個大隊(約四百人)の中の一人、同盟都市の男、ソルプレーサがエスピラの横に並んだ。

 落ち着いた水色に近い青い眼のこの男は、エスピラよりも少し年上の二十四歳だが百人隊長の補佐役に任命された俊英である。


「買収したことか」


 尤も、百人隊長と言う名ではあるが内二十人は非戦闘員なので戦闘では八十人の小隊である。そこを考慮すれば、エスピラが監査を任されているのは戦闘員が約四百人で、非戦闘員が約百人の五百人であるのだ。


「それもありますが、体を隠すこともです」

「嫌か?」


 とは聞くも、エスピラはそうでは無いことは良く分かっていた。

 だから、口角が上がっている。


「いえ。むしろ好感を捧げましょう。力を見せるための正面突撃、諦めずに次々と兵を繰り出し軍団を再編すると言うやり方では、半島内では良くても外に出れば限界が見えてしまいますから」


 アレッシアの体制に対する批判ともとれる言葉を簡単に言ってくるのも、ソルプレーサからの信頼の証だろう。


「つまらないところで死ぬなよ。私が軍事命令権インペリウムを得た暁には軍団長か軍団長補佐あたりに君を任命したいからな」


 ところで、略奪をしに行かなくて良いのか、とエスピラは動き回る人々を指さした。


「略奪よりも、価値のあるお言葉を頂きましたので」


 ソルプレーサとは、このような適度におべっかを挟むのも上手い男である。

 悪い気はしないところを責めてくるのだから、本当に上手いのだ。


「今回もまた名声を上げましたね」


 女王の捕縛のことを言っているのだろう。


「神のおかげだ」


 エスピラは、革手袋に口づけを落としながら言った。


「神の寵愛を一身に受けているとは羨ましい限りです。ルキウス様もさぞ臍を噛んでいるでしょう。貴方を、当初の予定通りに軍団長補佐に任ずれば良かった、と」

「それでは軍は纏まらないさ」


 神官の役目を私情で一日放り出した、ともエスピラは言われているのだから。

 それは事実であるし、火消しの材料がそろっていたのも事実でもあるが、軍の規律を保つためには若いエスピラに高い権限を与えるわけにはいかないだろう。


「そうでしたね。合理的と言えないのが群衆とは、良く言ったものです」


 女王の位置を、エスピラは買収した者たちからの情報で知っていた。だからこそ、ソルプレーサの同郷人やウェラテヌスの被庇護者二十人引き連れるだけで王族を捕らえることができたのだ。


 誰の功績かと言えば、ほぼほぼエスピラの功績と言えるのである。


 軍のまとまりを優先した結果、ルキウスは当初の予定を変えた。その結果、外した人材が大手柄を挙げたのだ。その眼に疑問を抱かれかねない結果になってしまったとも言える。


 もちろん、そんなことは功績に比べれば実に小さな失点に過ぎないのだが。


「さて。私はそろそろ引き上げてルキウス様に報告してくるが、一緒に来るか?」

「お戯れを。私は、執政官殿に顔を売るよりももう少しディティキの地形を見て行こうと思います」

「そうか。では、また」


 言って、エスピラはソルプレーサに背を向けた。

 頭を下げる気配に軽く手を挙げて応えて。

 ルキウスのいる本陣まで歩いて行ったのだった。


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