さて。幕引きを図ろうか
「最初からですか?」
と、シニストラ。
「言い方次第、と言ったところかな。売ったのは我らだ。喜んで貰ったのはあちら。共に永劫エリポスと手を取り合うことはできず、遅いか早いかしか無い。それなのにマルハイマナは恐怖を植え付けられず、敗北に向かうメガロバシラスと手を取った。
そして今。近い位置になったエリポス諸都市と友好関係を築くためにはアレッシアに近づくしかない。メガロバシラスは港を失ったからな。二年前にはほとんど島々への影響力も無くしている。
本当に約束の穴をつくように立ちまわっていたようだがツケがやってきたな、エレンホイネス。溶けた牙が通るほどアレッシアは甘くないぞ」
くつくつと笑いながら、エスピラは布に巻かれている左手に触れた。
怪我人のようにも見えるが、怪我をしている訳では無い。いたって健康だ。
「流石はエスピラ様です」
シニストラが頭を下げる。
「外れたものも多いさ。そうだな。その中でも、元老院の指示に従っているように見せかけていた無駄な本国との紙のやり取りはもうやめるか。もう使う場面は出てこないだろうしな」
「こうなっては不利益の方が大きいかと、私も思います」
ソルプレーサが同意する。
「では、止めるとしよう」
決断し、エスピラは手元の鐘を鳴らした。
外で待っていた奴隷が入ってくる。
「私の元に持ってきた者には直接伝えるが、休んでいる者には君からもう余計な紙を持ち運ばなくて良いと伝えてきてくれ」
「かしこまりました」
奴隷が綺麗に頭を下げる。
「ああ、それから。君は待っている間誰かに目撃されたか?」
奴隷の首が少しだけ傾いた。
「ええ。それなりに見られていると思います」
「そうか。では、伝えてきてくれ」
エスピラが言わなければ何も聞かず奴隷が去っていく。
「何をしようと思ったのですか?」
代わりに聞いてきたのはシニストラ。
「いや、大したことじゃないさ。革手袋を彼が洗ったことにしようかと思っただけだよ。アレッシアの貴族が自ら洗い物をするのはあまりよろしくないからね」
「神から授かった物ですので、致し方ないのでは?」
「そう言うことにしておこう」
笑って返すと、エスピラは「暑いな」と二人に言って、手袋が乾くまでをゆるりと過ごした。
予想が的中したと分かったのは翌日。
アルモニアが足の速い者を伝令として寄越してきたのだ。
一軍はイフェメラを大将にルカッチャーノ、ジュラメント、ヴィンド、リャトリーチらの七千。もう一軍は残りの者全てを連れ、アルモニアが大将と言う名目で実権をカリトンに。
エスピラは伝令の者を変え、その日のうちに認めると言う返事を出した。
もちろん、エスピラの許可が正式に伝わる前にアレッシア軍も動いてはいる。駄目だった時に軍団をまとめるだけで後は速度を優先するように伝えてもあるのだ。
予想外を挙げるとすれば、アリオバルザネスの首都入場の方法。エスピラ達の予想に反し、イフェメラらに叩きこまれるように逃げ込んだのである。
その後、イフェメラ、ジュラメント、リャトリーチと三千二百はアルモニアらに合流。ヴィンド、ルカッチャーノは夏場であるためこれ以上の攻撃はするべきでないと三人と別れてエスピラの下へ。ただし、ヴィンドはディラドグマで別れた兵二千を連れて、港町と首都の間に陣取っている。
その間に書いたエスピラの最大限の賛辞の手紙と入れ違いで「褒めて下さい!」とでも言うような手紙がエスピラに届きもした。送り主はイフェメラ。伝令では無くわざわざ手紙を使い、文字が躍る様は尻尾を振る子犬をエスピラに思い描かせたのである。
「決着だな」
エスピラは報告を聞きながら呟いた。
地図を挟んで向かい合っているカウヴァッロとルカッチャーノが目を合わせる。ルカッチャーノは大まじめな顔で何かを言おうとしたが、カウヴァッロは果物を口に入れた。完全に自己のペースを貫いて、味を楽しんでいる。
どうやら、カウヴァッロは奴隷からの人気も高いようで食事係は少し希望者が増えた。
「傍から見れば十分な数が居るのに救援に行かず、王も将軍たちも臆病者だと罵られる。このような民からの不信が一点。
マルハイマナが兵を連れてきたが、エリポス人をさらうためだやメガロバシラスにたかりに来たと言われている。噂がどうあれ、事実としてメガロバシラスの味方では無いのが一点。
カナロイアやドーリスの者も流れ込んできており、このままではアレッシアでは無くエリポスに領土を奪われそうだからと言うのが一点。
このような感じでしょうか」
ルカッチャーノがカウヴァッロと話すのを諦めてエスピラに聞いてきた。
「ああ。完璧だよ、ルカッチャーノ」
「動けば首都と背後を突かれるアリオバルザネスなら兎も角、王は動けそうなものですが」
「山賊退治と言う分かりやすい名目と傭兵への信頼が無くなった、というのがあるからね。しかものこのこやってきたマルハイマナがこの機に傭兵たちを扇動して一気に動く可能性だって考えないといけない。とても、王自身が率いてアレッシアと全力で当たるなんてことはできないのさ」
それでも、と思いはするが、王の度胸ではアリオバルザネスにメガロバシラス兵を預ける可能性は低いだろう。怖いから。自分を守る盾が減るから。
(ならば)
あとは、王の自尊心を満たしつつ、脅威にならないようにする講和をすれば良い。
「マルハイマナが味方には思えませんが、港に一艘も入れず、兵も外に留め置いているのはエスピラ様も同じ考えだと思ってもよろしいのでしょうか」
ルカッチャーノが言う。
「ああ。陸上に二千。海に五千。しかもマフソレイオとの国境にずっと居たハイダラ将軍。機を狙っているだろうさ。
王族を入れて来たカナロイアやドーリスもそうだろうな。メガロバシラスから旨味を絞り取れそうなら介入してくる。アカンティオン同盟なんて軍を解散させずに国境にとどまっているからな。しかも、マルハイマナとエリポスの接触も始まっている」
エスピラの言葉に、ルカッチャーノの眉間にも皺が寄った。
それは足音が聞こえても消えない。のほほんとお茶をすすっているカウヴァッロとは対照的だ。
「エスピラ様。シズマンディイコウス様、アグネテ様、ディミテラ様が到着されました」
「呼んでないのにな」
エスピラが冗談めかして言えば、奴隷が困ったような表情を浮かべた。
「冗談は暑さだけにしてください、と言っておけ」とソルプレーサが奴隷に言う。シニストラが空気を少し険しくした。
「主人に言われても困るよな。此処に連れてきてくれ」
「かしこまりました」
仕事の態度に戻った奴隷が退室していく。
「此処だと、文句を言われませんか? せめて、場を整えてからにされては?」
とはルカッチャーノ。
「本当に呼んでいないのにわざわざ来たんだ。金を使って、悠々と。血の一滴も流さずに。遊覧気分で。ただただ邪魔だ。これまでの行いもあるからな。正直、不快だよ」
エスピラは、心底不快だ、と言った顔を作って吐き捨てた。
お前も何か言わないか、とルカッチャーノがカウヴァッロに言う。カウヴァッロはエスピラを見て、またお茶を口に入れた。危機感を持て、とルカッチャーノがため息に混ぜる。
「人の上手い組み合わせを考え、力を発揮させるのも上の者の仕事だよ。その点で言えば、カウヴァッロの失態は何一つないさ」
エスピラはそんなルカッチャーノにおだやかに笑いかけながら伝えた。
ルカッチャーノが頭を下げる。足音も聞こえる。賑やかな声も。
幕の角から奴隷が現れた。
遅れて、シズマンディイコウス。アグネテ。ディミテラ。
部屋の様子を見てか、シズマンディイコウスの表情が一瞬固まった。アグネテも少し眉を顰めている。幼いディミテラは、最初から表情が沈んでいた。
「いやあ、エスピラ様。此度の大勝利、まさに神に愛されし証明ですね! まさかメガロバシラス領内で堂々と陣を張れるとは。いや、別に力を疑っていたわけでは無いのですが、嬉しくて、つい」
その一瞬の固まりが嘘のように、シズマンディイコウスが明るく言った。
両手は広げて。抱擁を示すかのように。
エスピラは、笑みは夜会用の素晴らしいものを作ったが抱擁には応えない。
「私も。此処でシズマンディイコウス様に会えるとは思いませんでしたよ」
そして、明るい調子でエスピラも返した。




