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作戦開始の号令を

「盾を持て」「襲え」「火を着けろ」「剣を持て」「逃げろ」「略奪しろ」「投げ捨てろ」そして、エリポス語で「石を投げろ」


 傭兵たちの最低限の意思疎通に用いられる言葉であり、メガロバシラス軍である程度の地位に居る者ならば知っている可能性の高い言葉たちだ。少なくとも、そう言う意図のある言葉だとは浸透しているであろう言葉たちである。


 エスピラは、ネーレとカウヴァッロが調練を施している間にその言葉たちを一部の者達に叩き込んだ。流暢に話せるようになるまで徹底的に教え込んだ。


 その間に各所に手紙を送ることも忘れずに。


 マフソレイオやマルハイマナ、ドーリス、カナロイア、アフロポリネイオ、ジャンドゥールはもちろんのこと、今回の戦いにあまり関係の無いエリポス諸都市にも送ったのである。


 数多くは送れない。だいたい都市国家一つにつき一通だ。焦ってはいないことを示しつつ、安心させるために長い文章にもできない。

 それでも、送ったのは百十三通にも上った。同盟群に、では無く同盟都市一つ一つに。あるいは、同じカナロイアなどの領域でも遠い所にはエスピラ自らが。


 そのような形で。


 紙は、当初は元老院の指示で動いているようにも見えるようにアレッシア本国から輸送していたが、最早そのミスリードを使うことは無いとマフソレイオから直接購入した。


 もちろん、運び込まれるのを待っていれば時間がかかるのでディファ・マルティーマなどある所からかき集め、そこの穴埋めに購入した分を充てることにして。

 そうして、忙しく動いている者達を見せることによりメガロバシラスに攻撃の時期が後になると意識させようともした。


 同時に、カナロイア、ジャンドゥール、ドーリスの主要神殿にアレッシアとメガロバシラスの戦いの行方を占わせた。少し遅らせて、アフロポリネイオにも占わせる。


 エリポス全域にその結果を明示しつつ、アレッシア軍団内には良い結果だけを伝えて。さらには此処まで明示はしてこなかった処女神の巫女が占った運勢も一か月分明らかにした。


 戦意の向上。戦うための意思。


 それを見せつつ、回りくどい方法、人を多く使う方法であるために本格的な開戦はしばらく先では無いかと誤認させて。


 エスピラ自身で監督した言語部隊を集めたのは、新たにビュザノンテンなどでも占わせるべく人を送ってからそう経っていない時であった。


 シジェロの占いでもまだ四の日。五が近くに控えているのが漏れていれば、警戒が少し薄くなっている日。

 どこまで漏洩しているかは分からないが、メガロバシラスが北方、トーハ族に当てていた軍団に人員を移動させるようにと言う旨を知らせるための伝令の一人をアレッシアが捕縛した直後の日である。


「作戦を実行に移す」


 朗と張った声では無く、厳かに、他の者の耳を塞ぎ切る声で。

 エスピラは、真ん中にゆっくりと歩み出た。


「アレッシアの守護神である処女神。彼女の巫女であるシジェロ・トリアヌスは凄腕の占い師だ。二年以上前に占った結果とは言え、君たちも知っての通りカレンダーの精度は相当に高い。そのカレンダーを基に考えれば、今日では無く明日、明後日の方が攻撃を開始するのに良いのではないかと思う者も多いだろう」


 言いながら、エスピラは呼び集めた五十八名の顔を見渡した。

 此処までで疑問に思っているような表情を浮かべている者はいない。



「しかし、このカレンダーにも欠点はある。一万六千の私の友全員を占うことはできていない、と言うことだ。アレッシア軍団の運勢を占っているとはいえ、それは私を中心になってしまっていると言うことだ。


 軍事命令権保有者とは言え、一人の者が中心になっているのはあまり好ましくは無いだろう。それについては申し訳ないと思う。だが、処女神の巫女は神にお仕えしているとはいえ人間だ。限界もある。できないこともある。


 だからこそ、私を中心に占ったのだ。私にとっての軍団の運勢を占ってくれたのだ。


 つまり、私に報告がもたらされる日の運勢を表している。

 故に、私は君たちに、今日、作戦を実行に移してほしいのだ」


 最後の一文は、郎、と。

 そこだけを心地良く響かせた。



「明日の運勢は良い。何故か。それは君たちが私に最高の報告をもたらしてくれるからだ。

 即ち、今夜の君達にはアレッシアの神々の加護がついている。父祖が見守ってくださっているのだ。


 確かにこれからの行いはアレッシアの伝統に沿ってはいないだろう。多くの民が賞賛するものでは無いのかも知れない。


 だが、これも立派なアレッシアのためになる行いだ。


 その昔、アレッシアが占拠された時。取り返すべく死にに行かなかった者もいた。逃げた者もいた。何故か。彼らは彼らの信念でアレッシアを守ろうとしたからだ。血を繋ごうとしたからであり、より強力な者を呼ぼうとしたからだ。


 その後のアレッシアの発展を見れば、神々が見捨てなかったことは明らか。父祖が認めて下さっていることも明らかなのだ。


 君達にこれからおこなってもらうことは命の危険を伴う任務。アレッシアのために身命を賭す行為。そして、明日の仲間に突撃の機会を作る、正面突破にも劣らない勇気ある行いなのだ!


 約束しよう。君達に神の加護があることを。墓に彫れる誉れある行いであると。今後、君達の家門が大いに発展すると。


 さあ、行こうではないか。栄光あるアレッシアのために。祖国のために。必ず勝つと!」



 熱が入る部分はエスピラも腹に力を入れて声を轟かせた。


 兵も頷いたり、拳をエスピラの声に合わせて握りしめたり。

 夏の熱気だけでなく、より湿度の高い、そして気持ちの籠った熱が周囲に満ちる。


 エスピラは、そんな熱気の中心で右手を強く上に挙げた。アレッシア人にしては細くはあるが、しっかりとした筋肉が見て取れる。彫刻にもできる肉体美が、五十二人の目に入る。


「アレッシアに栄光を!」


 吼えるとともにエスピラは右手人差し指を立て、誰かを直接さすことは無いように、されど全員に向けてぐるりと回した。


 五十二人の口がズレなく一斉に開く。


「祖国に永遠の繁栄を!」


 アレッシア語の大合唱。


 野太い声が自分たち以外の熱気を吹き飛ばし、誓いを新たにした。

 頷き合い、出ていくものにエスピラは神牛の革手袋で握手を交わしながら送り出す。


「エスピラ様」


 全員を送った後にエスピラに近づいてきたのはカウヴァッロ。

 静かに、音も小さく。


「こちらも準備が整いました」


 エスピラは頷いて、互いの吐息が混ざる距離に近づいた。


「トーハ族の言葉は、使えるな?」

「もちろんです。メガロバシラスを撃滅せよ。勝つ。殺す。略奪の限りを尽くせきます」


 少しおかしなところもあるが、カウヴァッロがトーハ族の言葉をすらすらと言った。

 エスピラは頷いて、よくやった、とささやく。


「騎兵の扱いと少数の兵を被害無く扱うことに於いて君以上の適任は居ない。期待しているよ、カウヴァッロ」

「お任せください」


 エスピラが肩を叩いた後、カウヴァッロが静かに応えて騎兵の元へと歩いて行った。


 見送ってから、エスピラも全軍に準備を開始させる。

 出撃は今日では無い。明日。それも陽が上がってから。


 ただ、準備の動きは見えるだろう。遠くからでも分かるだろう。その動きが、今日の出撃では無く恐らく明日になるであろうことも流石に分かるはずである。


 エスピラは、明日の演説のために鶏の準備を進めながら、夜が更けるのを待ったのであった。


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